2014年12月総選挙結果の一票の価値を巡る違憲訴訟が,2015年7月22日に最高裁大法廷に回付された。
『衆院「1票の格差」、大法廷に回付 最高裁 :日本経済新聞 」
このブログ記事は,上記の訴訟判決が出た後に投稿しようと考えていたのであるが,恐らく,政府・与党が進める『平和安全法制』参議院採決には,判決が間に合わないであろうと考え,早めることにした。
平和安全法制法制について,日本国憲法九条第二項に関する違憲性と,第九十九条への違憲性が多く指摘されている。
しかし,私は,政府および国会の有する国家権力の源泉から,現政府・与党の進め方は,国家権力の源泉に基づかないと考えている。
政府・国会および裁判所の権力の権威は,日本国憲法の前文の最初の段落に記載されている。国家権力の源泉は,赤字下線部に記載されている。
『日本国憲法
(昭和二十一年十一月三日憲法)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 』
特に重要な一節:『国政は国民の厳粛な信託によるものであって,その権威は,国民に由来し』
この一節は,世界の政体の歴史を深く含蓄している。
古代王政は,武力によるものであった。
古代ギリシャ都市国家や古代ローマ帝国は共和制を採用したが,その権威は,市民選挙を権力の源泉に置いた。
古代ローマは共和制からカエサルとオクタヴィアヌスにより帝政が始まる。しかし,古代ローマ帝国の皇帝は,中国や日本の皇帝とは異なり,ローマ市民と元老院の支持が権威の源泉であった。
古代ローマが東西に分かれた頃,コンスタンティヌス帝は,キリスト教を公認し,後に,後の皇帝が,更に,キリスト教を国教とした。この決定により,ローマ皇帝の権威は,市民・元老院の支持とは無関係に,キリスト教の神の『 神託』により,その権威があることになった。この考えは,東ローマ帝国において1000年にも亘って続く。ギリシャ正教会のトップは,ローマ皇帝であった。この考え方は,ロシア国教会やずうと後に英国国教会に引き継がれる。
一方,西ローマ帝国霧散後に,多くの封建諸侯による中世になり,それは,日本の戦国時代と同じ,武力こそ権威であった。しかし,神聖ローマ帝国皇帝とフランス王,ドイツ王,シチリア王,英国王などの権威の源泉は,やはり『神託』であった。 今でも,ヨーロッパの王の即位式はキリスト教教会において行われるが,それは,このような背景に基づく。この政体は,18世紀までヨーロッパの主流であった。
しかし,18世紀から,所謂啓蒙主義により,国家権力に市民の参加が進むことになる。その代表がフランス革命である。フランス革命後に,短期間の共和制がなされるが,その権威は,市民の支持に基づく。
一方,日本では,徳川幕藩体制まで,軍事国家であるから,武力こそ権威と言う社会であった。ただし,征夷大将軍の地位は,朝廷からの授かる官職であるから,徳川家の権力の源泉は,朝廷に基づく。この朝廷の権威を,国家神道として,利用したのが,明治政府であり,大日本帝国憲法は,統帥権を天皇が有し,日本国民は,臣民という扱いであった。それが,日本国憲法施行まで(1947年5月2日)まで続く。
すなわち,旧憲法下においては,日本の権力の源泉は天皇にあったが,日本国憲法において,国家権力の源泉は,『国民の信託』に変わったのである。
この信託のため,普通選挙権があるのである。よって,もし,2014年12月総選挙結果に,最高裁大法廷が『違憲判決』を出すと,現在の政府・国会は,その権力の権威の源泉が揺らぐことになる。
また,最高裁が合憲と判断しても,2014年12月総選挙における比例区与党の得票率は,自民党が33.11%,公明党が13.71%である。ただし,この時の投票率が52.65%であったから,積極的に自民党を支持したのは,有権者の17.43%に過ぎない。
この選挙結果を権力の源泉として,『国民の厳粛な信託』によると考えらるか,非常に疑問である。
憲法改正には,国会の3分の2の賛成による発議と国民投票の過半数の賛成が必要である。それだけ,重要なことに関わる法律の問題であるから,先の総選挙の結果に,憲法改正に準じるような重要な決定を行う『国家権力』の権威が,信託されているとは思えない。
すなわち,現内閣と与党の権力は,権力の源泉を述べた憲法前文の一節に 基づかないと考えるべきである。
よって,最高裁大法廷の判決は,極めて重要なものとなる。 『違憲だけど有効』なんて,中途半端な判決を出すと,今の政権の権威は,訳のわからないことになる。もちろん,違憲・無効となったら,現内閣は,権力の源泉を有しない。
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