国道180号・板倉交差点(五叉路)の少し北側に真金(まかね)十字路バス停がある。真金十字路とは松山往来(国道180号)と山陽道の分岐点ということだから当交差点を指すのであろう。真金は鉄を意味し、古代製鉄技術を持った強大な豪族との間で武力衝突が起こったことが推測できる。
私は交差点を右折して山陽道を東へ進んだ。鯉山コミュニティハウス(吉備津288)が建つ位置が板倉宿本陣跡と伝わる。備中国賀陽郡宮内村(現吉備津)にあった本陣が板倉村に移ったのは寛文・延宝年間(1661~81)のことらしい。岡山市のホームページには板倉村について詳しい解説が掲載されている。
明治8年(1875)宮内村・川入村と合併して真金村になった。…川入村は同14年分村した。…板倉宿は備前国との国境近くにあった…
かつて宿場は色街としても栄えたようだが、今では静かな通りに変わっている。道が二手に分かれる所の植え込みに「旧山陽道板倉宿」の表示が見えた。
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私は交差点を右折して山陽道を東へ進んだ。鯉山コミュニティハウス(吉備津288)が建つ位置が板倉宿本陣跡と伝わる。備中国賀陽郡宮内村(現吉備津)にあった本陣が板倉村に移ったのは寛文・延宝年間(1661~81)のことらしい。岡山市のホームページには板倉村について詳しい解説が掲載されている。
明治8年(1875)宮内村・川入村と合併して真金村になった。…川入村は同14年分村した。…板倉宿は備前国との国境近くにあった…
かつて宿場は色街としても栄えたようだが、今では静かな通りに変わっている。道が二手に分かれる所の植え込みに「旧山陽道板倉宿」の表示が見えた。
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