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寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市東深津町5丁目の三密院跡に辿り着く(後編)

2013年04月26日 | 郷土史
丘のほぼ頂に空き地があった。三密院の標識を見た私は「ここだったんですね」と言った。案内役を務めた男性は満足げな表情を浮かべて頷いた。

三密院の標識

丘の上から山陽新幹線の高架を望む

昭和23年生まれの男性の話では小学校5年の頃までは廃屋が建っていたという。敷地の隅の方には五輪塔や地蔵がまだ残っている。江戸時代の文献の記述通り見晴しのいい場所だ。

松柱庵
三密院といふ、眞言地なり、松柱と云ふ處にあり。昔、世羅郡高山今高野山の僧來りて艸創と云。桂(佳か)景なる地なり。

『西備名區』

深津高地は開発によって様々な建物ができたが、独特の形状や高低差の把握は今でも可能である。存在する物だけにとらわれると大切な物を見落とすということを悟った。

田舎者の郷土史研究が陳腐な過去マンセー調になりがちなのは現在と未来に希望を抱けないためだろう。市中心部の発展と鰻の寝床のような僻地の没落、民度・産業・立地条件が複雑に絡み年々格差は広がるばかりである。私は丘の上で「想像してごらんよ」と実現不可能な理想郷を歌った男が蜂の巣になって最期を迎えた例を静かに思い浮かべていた。

跡地に残る五輪塔など

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