私が東広島市で生活し始めたのは二十歳の時である。当時は田圃や畑だらけで娯楽施設は一切なかった。交差点に信号機がついただけで驚いたものだ。だだっ広いキャンパスはサンダル履きの野郎で溢れ、むさ苦しさがプンプンが漂っていた。夕方からスポーツで汗を流し、夜はマージャンに熱を上げていた。くそ暇な休みの午後はよく釣りをしていたと思う。
ある秋晴れの日曜日、Hと鯰を引っ掛けに寮食堂の近くの池へ行った。その日はボウズであった。帰り支度をしているとHが大声で「お~い、これ松茸じゃないか?」と言う。確かに格好はそれらしい。
「まさか」
「そう言わんとこの匂いをかいでみい」
「どれどれ。ん~、これは間違いない。お前よう見つけたな。はっはっはっ」
「Mの家で料理してもらおうよ」
「うん。それがええわ」
不意打ちをくらったMは一瞬迷惑そうな表情を浮かべたが、かさの開いた太いブツを見てニヤッとした。私達はその晩松茸ご飯をたらふく食った。学食では秋のシーズンにこのメニューを何度か出していたらしい。しかし、私はただの一度もありつけなかったのである。
ある秋晴れの日曜日、Hと鯰を引っ掛けに寮食堂の近くの池へ行った。その日はボウズであった。帰り支度をしているとHが大声で「お~い、これ松茸じゃないか?」と言う。確かに格好はそれらしい。
「まさか」
「そう言わんとこの匂いをかいでみい」
「どれどれ。ん~、これは間違いない。お前よう見つけたな。はっはっはっ」
「Mの家で料理してもらおうよ」
「うん。それがええわ」
不意打ちをくらったMは一瞬迷惑そうな表情を浮かべたが、かさの開いた太いブツを見てニヤッとした。私達はその晩松茸ご飯をたらふく食った。学食では秋のシーズンにこのメニューを何度か出していたらしい。しかし、私はただの一度もありつけなかったのである。