「カニ入り長芋のネギ焼き」は秀逸な一品。すりおろした芋にカニの身と青ネギを混ぜて焼いたものでトロトロの食感だ。素朴な味わいながらも鍋底にお焦げが出来ているので微妙な変化を楽しめる。

「カワハギの一夜干し」を客自らが好みの加減に焼いて食べる演出が憎い。炭火で焦がさぬようにさっと焙り口に入れた。淡白な魚を干してアミノ酸分解を待つのは実に理にかなっている。瀬戸内でポピュラーな造りや煮魚とはまた違った良さがある。

しめは名物「塩にぎり」。飲んだ後にちょっとお腹に入れたいという客の欲求を十分に満たす。他にもネタは選べたが、イカを注文した。イカの上にはアンチョビがのっていて、この塩気と旨味で寿司を食べるのだ。柔軟な発想の出来ぬ古臭い「喰い切り料理屋」が腰を抜かすメニューだった。
「体を蝕むラーメン(毒入り餌)」が大好きなタコスケが冷やかしに出掛けるのを防止するためにあえて店名は伏せておこう(大笑)

ラフな格好で現れたHさんは私を見つけると片手を挙げて「おぅ」と言った。顔を合わすのは今年の冬以来だ。私達は駅前の割烹に入り、座敷に上がった。
汗をかき過ぎて喉はカラカラである。つまみを注文して生ビールで乾杯した。「うまいっ!」2人の口から同じ言葉が飛び出した。私が持参したレア物を手渡すとにやっとしての北京オリンピックの話題を振ってきた。
「閉会式にはあのジミー・ペイジが出たらしいな。お前見たんか?」
「ええ。まあ一応」
「で、どうやった?」
「‥‥‥。そうそう、佐田からも同じ質問を受けましたよ。ベッカムの面はとても良かったですが、ペイジは大根役者でしたね。腹のぷっくり出たクラプトンと同様に見っともなくて哀れでした。その点ジェフ・ベックは違います。別格というか。年々渋くなる名優のようで。決して守りに入らず攻めの姿勢を貫く、孤高のギタリスト」
「そやな。ベックはめっちゃ格好ええと思う。ペイジはやっぱりあかんか」
「はい。全然あきまへん。既に終わった人ですよ。それを無理して褒めるのはかすみ目のヅラオヤジくらいでしょう。現在がないのは非常に辛いw」
「あははは。ほんまボロクソやの」
「また扱き下ろしてしまったわ。でも本当のことですからねぇw」
その後も宮川大助・花子の漫才のような会話が延々と続いたのである。店の人はさぞかし苦笑していたことだろう。
汗をかき過ぎて喉はカラカラである。つまみを注文して生ビールで乾杯した。「うまいっ!」2人の口から同じ言葉が飛び出した。私が持参したレア物を手渡すとにやっとしての北京オリンピックの話題を振ってきた。
「閉会式にはあのジミー・ペイジが出たらしいな。お前見たんか?」
「ええ。まあ一応」
「で、どうやった?」
「‥‥‥。そうそう、佐田からも同じ質問を受けましたよ。ベッカムの面はとても良かったですが、ペイジは大根役者でしたね。腹のぷっくり出たクラプトンと同様に見っともなくて哀れでした。その点ジェフ・ベックは違います。別格というか。年々渋くなる名優のようで。決して守りに入らず攻めの姿勢を貫く、孤高のギタリスト」
「そやな。ベックはめっちゃ格好ええと思う。ペイジはやっぱりあかんか」
「はい。全然あきまへん。既に終わった人ですよ。それを無理して褒めるのはかすみ目のヅラオヤジくらいでしょう。現在がないのは非常に辛いw」
「あははは。ほんまボロクソやの」
「また扱き下ろしてしまったわ。でも本当のことですからねぇw」
その後も宮川大助・花子の漫才のような会話が延々と続いたのである。店の人はさぞかし苦笑していたことだろう。

旅先での楽しみの一つが食べることである。地の食材をどう調理しているのかを見ると本当に勉強になる。我が街の食文化レベルが実は大したことはないとよくわかるのだ。
日本料理のコースでは四季を感じさせる旬の食材をさり気なく盛り込むのが定石だったが、最近では若い人の嗜好も考えて魚だけでなく肉も出すようになっている。魚ばかりでは飽きるので変化をつけて客の満足度を高めるのが目的だろう。
私は大いに結構なことだと思う。肉を使っても和の世界になってさえいればいいのだ。若い世代が日本料理を敬遠するようになった理由は値段が高いだけではないと思う。
食いたくもない料理を勝手にバンバン並べられても鬱陶しいだけだろう。店側の押し付けとある種の説教臭が煙たがられていることは見逃せない。
日本料理にもフレキシビリティは必要だ。古き伝統を大切にしながら、もう一方では新たな道を模索し続ける、この姿勢がなければ明日はないし廃れるだけだろう。
地元の店で食事をしていると悲観論が出がちだが、県外で進化する日本料理に触れると非常にうれしくなる。新しいお客さんを惹きつける努力を怠らない店は口コミで高い評価が伝わる。
下手なコマーシャル(自作自演)はやればやるほどマイナスになることが多い。できる店はそのことを十分知っている。
日本料理のコースでは四季を感じさせる旬の食材をさり気なく盛り込むのが定石だったが、最近では若い人の嗜好も考えて魚だけでなく肉も出すようになっている。魚ばかりでは飽きるので変化をつけて客の満足度を高めるのが目的だろう。
私は大いに結構なことだと思う。肉を使っても和の世界になってさえいればいいのだ。若い世代が日本料理を敬遠するようになった理由は値段が高いだけではないと思う。
食いたくもない料理を勝手にバンバン並べられても鬱陶しいだけだろう。店側の押し付けとある種の説教臭が煙たがられていることは見逃せない。
日本料理にもフレキシビリティは必要だ。古き伝統を大切にしながら、もう一方では新たな道を模索し続ける、この姿勢がなければ明日はないし廃れるだけだろう。
地元の店で食事をしていると悲観論が出がちだが、県外で進化する日本料理に触れると非常にうれしくなる。新しいお客さんを惹きつける努力を怠らない店は口コミで高い評価が伝わる。
下手なコマーシャル(自作自演)はやればやるほどマイナスになることが多い。できる店はそのことを十分知っている。
