当事者になってみて実感しました、中学受験は、格差拡大を促進装置です。意識が高くて受験させるかさせないかで、学力に差が開き教育環境に差がつくのは一つの側面です。
だから、そこで差をつけられないように塾や家庭教師で勉強させて「格差の上へ」行こうよというのが受験産業なのだと思います。ニーズがあるところに供給があり、産業が生まれることは否定しません。「
中学受験の失敗学」の瀬川さんが、家庭教師として受験産業の中にいらっしゃったこと、その立場でベストを尽くされたことは行間からも読み取れました。筆が率直過ぎてお叱りが出たりしていますが、それはそれで、いいことしか書かない既存の受験本とは一線を画そうという気概がもたらした、瑣末なことだと思います。
■本当に必要なのは、『中学受験の諦め学』また、書籍レビューで「失敗学」という書名にだまされた、違うというものもありました。畑村先生が切り開かれた工学的アプローチによる失敗学とこの本にある失敗事例群、そして、著者の伝えたいことは確かにずれていると思います。
実は、著者が伝えたいのは、「無理して中学受験するな、無理だと諦めろ」ということだと思うのです。
中学受験が格差拡大の装置となっておりそれに抗うための、受験産業であり家庭教師だろう、身の程をわきまえよという批判の気持ちはよくわかります。しかし、問題の本質は、格差があることを受け入れず、無理に抗って、基礎的な読書習慣とか、勉強する環境や習慣、親から受け継いだ素質とかとか、が無いのに受験させている親にあるのです。
司令官の方針に無理があるのを兵卒が何か救えるのか?いやそれは無理でしょう。
だから、その司令官に目覚めてもらおうと著書にまとめられたのだと思います。
無理に、中学受験など実はしなくてもいいのです。高校だったらたとえ、どんなに勉強していなくても進める学校があり、逆に勉強したくなったら中学からやっても間に合います。
親がしゃかりきにならなくても、中学生の間に目覚めればそれなりの高校に、安く進めるし、出遅れた高校生だってしっかり自覚して勉強すれば自分に合う大学に進めると思います。
中学受験をさせている親は大学のランクを気にしますが、ランクが下だから全くダメというものでもないし、社会性をしっかり見につけて立派なサラリーマンになるとか、いろいろな可能性があります。
そして、別に大学に行かなくても、高校に行かなくても、しっかり生きて、充実した人生を歩み、親孝行してくれる子供に育ってくれる可能性は大いにあります。
むしろ、成長に支障がでるくらい無理に勉強させたとか、普通の努力で受からない場違いな学校に受からせてしまったとかの方が、より良く生きることに支障をきたす危険性を増やすことでしょう。
本当に必要なのは、中学受験を諦める力かもしれません。人生いろいろな苦難があり、年はとるし、結局死んでしまいます。なるようにしかならないのです。子供の成長は喜びであり、親の関与で伸びたり伸びなかったりする中学受験の成功は、親にとって人生をかけるほどの一大事に思えるかもしれません。しかし、実は、長い人生での大きな出来事ではありますが、人間万事塞翁が馬、それが結局幸福につながるのかどうかは、誰もわかりません。
■それでも、最後の最後まで努力せよ、ナタクン
無理するなと書きながら、がんばれと、叱咤激励しているわけなんですが、それは、やれる範囲で可能な夢に近づくために努力するということです。
合格の可能性が低かろうと、がんばって勉強できる目標を見つけたのだから、しっかり最後の最後まで努力すれば、大逆転勝利のような奇跡も起きえます。そして、逆にまさかの不合格を経験するかもしれません。
中学受験という試練を消化してベストを尽くすことでこそ、先々のもっと大きな、人生の苦難にも打ち克てるはずですから。

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