TamonTokyo - 多聞 ブログ

少年サッカーから私立中学受験、そして中高一貫校の生活などを書いていきます。

SF亡き時代の悲しみ - ゴセシケを知ってますか?

2005-01-26 | 子供の教育・中高一貫校生活
実は私は小学生時代、スポーツはせず、外で遊ぶのも嫌いで一人で本を呼ぶか、お友達を招いて家で百科事典を一緒に見るか、遊びに行って漫画とか図鑑とかを見せてもらうのが楽しみでした。そうは言っても田舎の話で、里山に入って鎌でつたを切ったり、秘密基地を作ったらり、がけを降りようとして怖くなって、動けなくなったりなんてことはやっていたので、体を全く動かさなかったわけじゃないのですけど、田舎暮らしに違和感を感じていたんです。
そんなわけで、ゴールデンエージになる小学生の低学年あたりでそういう遊びは止めてしまい、私の運動能力など推して知るべしで、疲れを知らないかのように走り回る息子にはもう実は尊敬の気持ちを抱いています。
話を私に戻して、おかげで、読書は好きで図書館のSF全集とか、端から順番に読んでました。子供のころの鮮烈なSFの記憶としてあちこちに書かれている「ゴセシケ」合成神経細胞群塊という脳だけが生き延びている怪物の話です。「合成脳の反乱」 は身体能力と心の問題を鮮烈に考えさせた本でした。原作者のRaymond F. Jonesさんは、極東の少年少女に鮮烈な印象を残したということをご存知だったのか興味深いところです。

さて、息子は、ゲームが好きでいろいろやって今は タマゴッチを気に入っています。「命」というのは実は抽象的な存在であって、電子的なあのおもちゃにも実はあるというのはある意味真実だといつごろ理解してくれるのか。観念的に体が動けばそれで仮想現実となること。そして、私はもう、プロの選手や息子が試合する様子を見て楽しんでいるばかりだけど、体が思うように動いたり、そして期待したように上手くなれる時期はほんのわずかでしかないことをいつ気づいてしまうのか? とかとか思いながら土日はサッカー練習をぼんやり眺めています。

PDAの夢と幻想が生んだiPod

2005-01-25 | IT業界動向
PDAという言葉をご存知でしょうか? パーソナル・デジタル・アシスタンスの略です。個人をデジタルが助けるというと、携帯電話みたいですが、ハンドヘルド機器とも呼ばれた電子手帳のことでした。1990年代後半、アップル社がNewtonというPDAを出し、パソコンの世界はPDAによって脅かされるという報道がされ、新聞レベルでは「パソコンが無くなる?」などと書かれたものです。
マスコミの常として、「xxが無くなる?」というのりは、大衆受けするため過去から散々書かれてきました。実際のところ、ワープロ専用機とか馬車とか姿を消したものはいろいろありますが、そんは大きなトレンド(潮流)はなかなか見えるものではなく、後から気づくものです。
さてその、期待された電子手帳としてのPDAが普及しなかったのはなぜでしょうか?
私は、サブセット(ごく一部の必要なデータ)を持ち出すという発想が難しくて広がりがもてなかったからだと思っています。80%がたは足りても残りの20%の必要なデータはどれなのか?足りなくて困るをしたくなければ、結局全部持ち出すことになってしまいます。

iPodはその点、5GBとか、20GBとかの大容量で、個人が持っている音楽全部を持ち出すことを実現しました。必要なものを選ぶという実に難しい問題を全部入りという方法で解決したのです。私は、アップル社のスティーブ・ジョブス氏がかつてのNewtonでの失敗の本質を見抜いて仕返しをうまくやったのだと考えています。また、iPod Shuffleは、フラッシュメモリーという限りある容量の中で、シャフルという運に任せさせることで、必要な音楽を選ぶという苦行を避ける思想とセットで売っています。これまた見事です。近い将来液晶をつけて曲名だけは分かるようにするかもしれませんが、これは本質を変えるものではありません。

よそのチームの試合結果が気になる

2005-01-25 | 少年サッカー
しばらく対外試合をしていないこともあり、よその様子が気になります。いろいろチェックすると、共通の相手(※)や、共通の相手と試合したことのある相手とかが見つかります。そういった結果を見て、「このチームはうちが1敗1分のHチームに惜敗したAといい勝負なら、それほどは離されて無いだろう?」などと夢想するわけです。
3つくらいの繋がりで辿ると、全国的に知名度が高いところとも出くわすので、有名チームもそれほど遠い存在じゃないかな、などとも思います。実際のところは中学年ごろから周りの有力チームを吸収して強くなるところも多いのでしょうけど。

※うちのコーチは「敵」って呼んじゃダメ、サッカーする仲間なんだから「相手」と呼びなさいと厳しい。言葉狩りというよりは、気持ちは言葉から始まるので、実によい方針だと大賛成です。

風水的東京論 - 江戸の生命線としての代田橋

2005-01-06 | 東京・建築・都市デザイン
東京の発展は江戸から始まり江戸のインフラを利用して都市として続いています。江戸の発展は徳川家康が江戸に入った時からで、神田山を崩して駿河台にするなどして作った土で日比谷入り江を埋め立てるといったことから始まりました。街としては日比谷、河岸があった日本橋、八丁堀とかあたりから発展して隅田川沿いの浅草など街が広がってきました。交通は河川交通や徒歩が中心です。

埋立地は井戸水が得にくく、人が増えたことから江戸は水道に頼ることになり、平川と呼ばれtが川の流路を変えて神田川として上水に利用します。それでも足りなくなり、多摩川の水を江戸に運ぶ玉川上水を開きます。代田橋の名は甲州街道にかかる玉川上水の橋に由来します。

以下代田橋に縁の深い水道の話なのですが、江戸から東京に変わる混乱で水道の管理が悪くなり近代水道整備の必要に迫られました。それでも過去のインフラを補強して利用するのが効率がよいことから旧玉川上水から和泉水圧調整所あたりで分岐させ玉川上水新水路(今は水道は甲州街道地下に移され水道道路と名を変えています。)
http://homepage2.nifty.com/riverside/setagaya/t-sinsuiro.html
が築かれて、淀橋浄水場へと結ばれました。また、井の頭通り(これも別名水道道路)にも地下に水道管が埋設されており、和田掘の給水所は都市東京の水を支える生命線の一つと言えます。
代田橋は街が開けないとお嘆きの方も多いのですが、和田堀の給水所は関東大震災の翌年に防災拠点を意識してできた由緒ある施設です。是非代田橋に誇りを持って自慢していただければと願います。

詳しくはWikipedia 江戸とか
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8



江戸が発展していくにつれ、埋立地が多くいい水が手に入らないことから上水を引く必要に迫られて、
神田上水とか玉川上水とかが引かれていった。
神田川は元は平川と呼ばれる自然の川だったのが途中で流路を変えられ今の名前になった。


代田橋近辺に関係するところでは、