いかにもこの都市は中心を持っている。だが、その中心は空虚である
ロラン・バルト著「表徴の帝国」より
東京を語るのに、はやり猪瀬氏に習って空虚な中心という西欧(ドイツ)的な広場を中心として城壁に囲まれた都市とは裏返しの構造を持つ都市、東京ということから始めたいと思います。これは実はサッカーにも当てはまるのです。東京都心部には国立霞ヶ丘競技場という中心を確かに持っています。しかしそれはどこのクラブチームのホームスタジアムでもない中立地という名前の空虚な非武装地帯なのです。北の赤いクラブが内のホームだと思っていると語ったり、東の黄色いクラブがホームとして使ってアウェイジャックされたり、はたまた本社は東にスタジアムは西にという分散型のクラブは「公式戦」では長らく負けていない(レアル・マドリッドは公式じゃなかったし)というそれぞれの想いで使う空虚な聖地なのです。
ロラン・バルト著「表徴の帝国」より
東京を語るのに、はやり猪瀬氏に習って空虚な中心という西欧(ドイツ)的な広場を中心として城壁に囲まれた都市とは裏返しの構造を持つ都市、東京ということから始めたいと思います。これは実はサッカーにも当てはまるのです。東京都心部には国立霞ヶ丘競技場という中心を確かに持っています。しかしそれはどこのクラブチームのホームスタジアムでもない中立地という名前の空虚な非武装地帯なのです。北の赤いクラブが内のホームだと思っていると語ったり、東の黄色いクラブがホームとして使ってアウェイジャックされたり、はたまた本社は東にスタジアムは西にという分散型のクラブは「公式戦」では長らく負けていない(レアル・マドリッドは公式じゃなかったし)というそれぞれの想いで使う空虚な聖地なのです。