一日目はヨング先生が案内・・というか一緒に回ってくれることになりました。
まずは北村プッチョンから。ここは朝鮮時代の韓屋ハノクの街並みが残っています。
以前NHKの路地裏散策の番組でも紹介されてましたよ。



ぐるっと回って、ウニョングンへ。
ここは朝鮮王朝最後の王にして、大韓帝国初代皇帝の高宗コジョン:高宗の生家です。
高宗は先王の外孫なので、彼が即位してから「宮」という名前がつけられたそうです。幼くして即位したので、父親であるフンソンテワングンが摂政につきました。

コジョンが結婚後もしばらく住んでいたという建物。

普通の家では台所の煙がオンドル兼用ですが、ここはオンドル専用のかまどです。
ここは再建したものではなく、当時の建物がそのまま残っている貴重な文化財。政治の中心となった「宮」ではないので、当時はもっと大きかったと言ってもやはり質素な感じです。
あと、ヘテとか獅子とか龍とかの石像がありません。
で、すばらしい建物なのにどうして写真があんまりないかというと~、ここは「宮」のドラマや映画「スキャンダル」の撮影地として有名なので日本人のお客さんも多いのですが、私のように歴史オタクな人間は珍しい、とおばちゃんにつかまったのでした。
当時は、外国からの圧力、国内の政変、日清戦争などきな臭い時期が続きました。政治的に不安定でいろんなところから口出しされていた朝鮮王朝末期、明星皇后は身寄りがなく、その点を買われて輿入れしたそうです。ひとりで生きてきたからかとても聡明で、先進的な考えを持った王妃だったそうです。
明星皇后はロシアへ接近したことから殺害され、この閔氏殺害事件と断髪令を契機に全国的な義兵抗争が続く中、日本軍を避けるために高宗は当時のロシア公使館へ身を寄せます。(俄館播遷:アグァンパチョン 1896年)
歴史の舞台となったロシア公使館は今でも残っています。

徳寿宮の入口の方からトルダムギルを登っていくと右手に表示があります。
この言葉よりも「アグァンパチョンのアグァン」と言ったほうが通じます。

なんと工事中・・・。
今では洋風の公園になっています。
ここで、親ロシア内閣が成立し、結局日本の干渉からロシアの干渉へと移ってしまいます。ここで、アメリカから帰国したソ・ジェピルらは、独立新聞を発行し、独立協会を創立し、独立門を建設します。
さて、ネイティブのヨング先生にも質問してみましょう?
독립문은 뭐가 독립한다는 건가요?
独立門は何が独立したんでしょうか?
....우응...독립하고 십다는게 아닌가요??
え~と、独立したいな~ってことじゃないですか?
ソウル旅行の際にパリの凱旋門に似た建造物を見て不思議に思ったのは私だけではないと思います。独立門という名前はついているけど、はて?何をもってどこからの独立なんだろう??と思っていました。
ソウルは城郭都市だったわけですが、南大門を抜けると今のソウル駅から西大門の駅の方に続く大きな通り、ウィジュ路があります。これは中国へと続く道。当時まで、今の独立門のところに迎恩門があり、その脇に慕華館があり、中国からの使者がソウルを訪れる際には王が自らここまで迎えに来て歓待したそうです。
つまり、清は朝鮮の宗主国であり、清の皇帝と朝鮮の王は対等ではなかったそうです。(・・・!この辺全く知りませんでした)
ソ・ジェピルたちは、迎恩門を取り壊して独立門を建設し、慕華館を取り壊し独立館を建設します。
また独立新聞を発行します。この「独立」は清からの独立を意味するので、独立新聞は清の文字、漢字を使わずハングルの分かち書きを採用します。
日本人の私たちは、漢字便利なのに~と軽く考えて不思議に思ってしまいますが、当時の朝鮮にあっては漢字を使わないことも国家のアイデンティティの一端だったのでしょう。

ソ・ジェピルが右手に持っているのはやはり新聞でしょうか・・。

ソウル旅行で見かけた方もいるのでは?

独立館

そしてここも思いっきり工事中。
同じ時期にロシア公使館に身を寄せていた高宗は慶運宮、今の徳寿宮に戻ります。そして、国号を大韓帝国とし、年号を公武と改め(清と共通ではなく独自の年号)、自身を皇帝(清国・日本の皇帝とならぶことになる)と称します。
当時の慶運宮は今のウェスティン朝鮮ホテルのあたりまでひろかったそう。今でも当時の建物、園丘団ウォングダンがホテルの庭に残っています。

ウォングダン。きれいな建物です。

ホテル側からみたところ。

階段の脇にはヘテ。よい政治をすると現れると言う想像上の動物です。真ん中は龍。丸い形が天を、四角い形は地を表すそう。龍は皇帝を意味します。

そしてここも工事中。写真は昔のソウル広場の風景。工事が終わると、ソウル広場からウォングダンの方へつながる感じになるのかな?
있잖아~ 雨男나 雨女나, 그사람이 있으면 꼭 비가 온다는게.
영구, 너 공사중남이지?
ほら~、雨男とか雨女とか。その人がいたら絶対雨がふるのが。
ヨング、あんた工事中男でしょ?
저도 그런 것은 처음이라 그렇게 생각하시지 않아도 됩니다.
僕もこんなのは初めてだからそんなふうに考えなくてもいいですよ~。
あ、そういえばいつも通り過ぎていた、光化門の十字路にあるこの建物、高宗の即位40年を記念したものなんですね~。

え?近すぎる?

今度は遠すぎる??つ~か、車が。
ベストショットの距離だと車にひかれると思われ・・・。
と、このように歴史の時系列にそって、旅行できると最高なのですが、実際は教保文庫で待ち合わせをし、ちょっと本を買って(やっぱりそこからあとはヨング先生に荷物を持たせ・・)、ご飯を食べて~、ウォングダン、アガン、タクシーで独立門、地下鉄でウニョングン。と回りました。
北村の写真は三日目に一人で回ったときのもの。
ちなみに上記の歴史的な文章は旅行のプランを考えながら復習をかねて事前に用意したものです。
ヨングさんとは久しぶりに会うし、この先さらに久しく会えないのですが、
「そういえば、たまさんにあったら話したいことがあって~」ってなぜ英語の完了体の話??
ま、わたしもロシア語と韓国語のアスペクトについて熱く語ってしまいましたが。日本と韓国の間の歴史はやはりデリケートな部分もあります。
が感情的にならないヨングは歴史散歩には最高のパートナーでした。さすが語学系。
しかし、脳内構造が似すぎているのか、二人とも地図が読めないの。何番出口だったかも思い出せず・・。
우리 다 외국어 잘하는데 숫자가 그렇게 안되나??
二人とも外国語はできるのに数字は弱いな~。
としみじみ。
私は行く先々で韓国語をほめられ、ヨングさんも韓国語をほめられ、笑いました。
歴史については、この辺やっぱり韓国でも年度の最後に駆け足でやってしまうらしく、あんまり知らないの。どこに行っても私が教えてあげると言うスタンスで。
난 진짜 수학여행의 인솔한 선생님 같은데요~??
私本当に修学旅行の引率の先生みたいなんだけど~?
電車でなぜか一人暮らしの話からトイレに紙を流すとつまる・・と言う話になり、
「それは日本暮らしが長いからでしょう?」「ミリャンは流せます」とか言ってるうちに私が降りる駅。
軍隊に行ったら2年は会えないし、もしかするとこのままず~っとあえないかも知れないので、
그럼 군대가도 잘 먹고 잘 살아.
배족이 전해지면 한 번 연락도 해.
とあわてて挨拶して別れました。
こういうソウルもたまにはいいでしょう?
まずは北村プッチョンから。ここは朝鮮時代の韓屋ハノクの街並みが残っています。
以前NHKの路地裏散策の番組でも紹介されてましたよ。



ぐるっと回って、ウニョングンへ。
ここは朝鮮王朝最後の王にして、大韓帝国初代皇帝の高宗コジョン:高宗の生家です。
高宗は先王の外孫なので、彼が即位してから「宮」という名前がつけられたそうです。幼くして即位したので、父親であるフンソンテワングンが摂政につきました。

コジョンが結婚後もしばらく住んでいたという建物。

普通の家では台所の煙がオンドル兼用ですが、ここはオンドル専用のかまどです。
ここは再建したものではなく、当時の建物がそのまま残っている貴重な文化財。政治の中心となった「宮」ではないので、当時はもっと大きかったと言ってもやはり質素な感じです。
あと、ヘテとか獅子とか龍とかの石像がありません。
で、すばらしい建物なのにどうして写真があんまりないかというと~、ここは「宮」のドラマや映画「スキャンダル」の撮影地として有名なので日本人のお客さんも多いのですが、私のように歴史オタクな人間は珍しい、とおばちゃんにつかまったのでした。
当時は、外国からの圧力、国内の政変、日清戦争などきな臭い時期が続きました。政治的に不安定でいろんなところから口出しされていた朝鮮王朝末期、明星皇后は身寄りがなく、その点を買われて輿入れしたそうです。ひとりで生きてきたからかとても聡明で、先進的な考えを持った王妃だったそうです。
明星皇后はロシアへ接近したことから殺害され、この閔氏殺害事件と断髪令を契機に全国的な義兵抗争が続く中、日本軍を避けるために高宗は当時のロシア公使館へ身を寄せます。(俄館播遷:アグァンパチョン 1896年)
歴史の舞台となったロシア公使館は今でも残っています。

徳寿宮の入口の方からトルダムギルを登っていくと右手に表示があります。
この言葉よりも「アグァンパチョンのアグァン」と言ったほうが通じます。

なんと工事中・・・。
今では洋風の公園になっています。
ここで、親ロシア内閣が成立し、結局日本の干渉からロシアの干渉へと移ってしまいます。ここで、アメリカから帰国したソ・ジェピルらは、独立新聞を発行し、独立協会を創立し、独立門を建設します。
さて、ネイティブのヨング先生にも質問してみましょう?
독립문은 뭐가 독립한다는 건가요?
独立門は何が独立したんでしょうか?
....우응...독립하고 십다는게 아닌가요??
え~と、独立したいな~ってことじゃないですか?
ソウル旅行の際にパリの凱旋門に似た建造物を見て不思議に思ったのは私だけではないと思います。独立門という名前はついているけど、はて?何をもってどこからの独立なんだろう??と思っていました。
ソウルは城郭都市だったわけですが、南大門を抜けると今のソウル駅から西大門の駅の方に続く大きな通り、ウィジュ路があります。これは中国へと続く道。当時まで、今の独立門のところに迎恩門があり、その脇に慕華館があり、中国からの使者がソウルを訪れる際には王が自らここまで迎えに来て歓待したそうです。
つまり、清は朝鮮の宗主国であり、清の皇帝と朝鮮の王は対等ではなかったそうです。(・・・!この辺全く知りませんでした)
ソ・ジェピルたちは、迎恩門を取り壊して独立門を建設し、慕華館を取り壊し独立館を建設します。
また独立新聞を発行します。この「独立」は清からの独立を意味するので、独立新聞は清の文字、漢字を使わずハングルの分かち書きを採用します。
日本人の私たちは、漢字便利なのに~と軽く考えて不思議に思ってしまいますが、当時の朝鮮にあっては漢字を使わないことも国家のアイデンティティの一端だったのでしょう。

ソ・ジェピルが右手に持っているのはやはり新聞でしょうか・・。

ソウル旅行で見かけた方もいるのでは?

独立館

そしてここも思いっきり工事中。
同じ時期にロシア公使館に身を寄せていた高宗は慶運宮、今の徳寿宮に戻ります。そして、国号を大韓帝国とし、年号を公武と改め(清と共通ではなく独自の年号)、自身を皇帝(清国・日本の皇帝とならぶことになる)と称します。
当時の慶運宮は今のウェスティン朝鮮ホテルのあたりまでひろかったそう。今でも当時の建物、園丘団ウォングダンがホテルの庭に残っています。

ウォングダン。きれいな建物です。

ホテル側からみたところ。

階段の脇にはヘテ。よい政治をすると現れると言う想像上の動物です。真ん中は龍。丸い形が天を、四角い形は地を表すそう。龍は皇帝を意味します。

そしてここも工事中。写真は昔のソウル広場の風景。工事が終わると、ソウル広場からウォングダンの方へつながる感じになるのかな?
있잖아~ 雨男나 雨女나, 그사람이 있으면 꼭 비가 온다는게.
영구, 너 공사중남이지?
ほら~、雨男とか雨女とか。その人がいたら絶対雨がふるのが。
ヨング、あんた工事中男でしょ?
저도 그런 것은 처음이라 그렇게 생각하시지 않아도 됩니다.
僕もこんなのは初めてだからそんなふうに考えなくてもいいですよ~。
あ、そういえばいつも通り過ぎていた、光化門の十字路にあるこの建物、高宗の即位40年を記念したものなんですね~。

え?近すぎる?

今度は遠すぎる??つ~か、車が。
ベストショットの距離だと車にひかれると思われ・・・。
と、このように歴史の時系列にそって、旅行できると最高なのですが、実際は教保文庫で待ち合わせをし、ちょっと本を買って(やっぱりそこからあとはヨング先生に荷物を持たせ・・)、ご飯を食べて~、ウォングダン、アガン、タクシーで独立門、地下鉄でウニョングン。と回りました。
北村の写真は三日目に一人で回ったときのもの。
ちなみに上記の歴史的な文章は旅行のプランを考えながら復習をかねて事前に用意したものです。
ヨングさんとは久しぶりに会うし、この先さらに久しく会えないのですが、
「そういえば、たまさんにあったら話したいことがあって~」ってなぜ英語の完了体の話??
ま、わたしもロシア語と韓国語のアスペクトについて熱く語ってしまいましたが。日本と韓国の間の歴史はやはりデリケートな部分もあります。
が感情的にならないヨングは歴史散歩には最高のパートナーでした。さすが語学系。
しかし、脳内構造が似すぎているのか、二人とも地図が読めないの。何番出口だったかも思い出せず・・。
우리 다 외국어 잘하는데 숫자가 그렇게 안되나??
二人とも外国語はできるのに数字は弱いな~。
としみじみ。
私は行く先々で韓国語をほめられ、ヨングさんも韓国語をほめられ、笑いました。
歴史については、この辺やっぱり韓国でも年度の最後に駆け足でやってしまうらしく、あんまり知らないの。どこに行っても私が教えてあげると言うスタンスで。
난 진짜 수학여행의 인솔한 선생님 같은데요~??
私本当に修学旅行の引率の先生みたいなんだけど~?
電車でなぜか一人暮らしの話からトイレに紙を流すとつまる・・と言う話になり、
「それは日本暮らしが長いからでしょう?」「ミリャンは流せます」とか言ってるうちに私が降りる駅。
軍隊に行ったら2年は会えないし、もしかするとこのままず~っとあえないかも知れないので、
그럼 군대가도 잘 먹고 잘 살아.
배족이 전해지면 한 번 연락도 해.
とあわてて挨拶して別れました。
こういうソウルもたまにはいいでしょう?