イザベラ・バードを読みつつ、キム・ヨンスの作品を思い出したので。
『朝鮮紀行』を書いたイザベラ・バードが朝鮮を旅したのが1894年から1897年。
キム・ヨンスは [거짓 된 마음의 역사](タイトルの和訳は私が仮につけたもの)で
アメリカ人の青年の見た1888年のソウルの風景をこう描いています。
(主人公は王立写真館を運営している)
조선 국왕은 사진을 찍을 때마다 늘 같은 표정으로 늘 같은 자세를 취합니다.
하지만 예전의 사진과 인화한 사진을 비교해보면 그 안색에서 뭔가가 조금씩 저문다는 사실을 느낄 수 있습니다.
가을볕이 조금씩 스러지는 것처럼. 그럴 때면 제가 지금 대단히 위태로운 나라의 국왕을 시진에 담고 있다는 걸 새삼 깨닫게 됩니다.
(中略)
미국인들이 보기에는 아무짝에도 소용없을 것 같은 물건들로만 즐비한 상점가 앞을 가득 메운 흰 두루마기 차림의 사람들, 성문을 닫은 시간이면 낮은 초가집이 즐비한 도시에 은은하게 울려퍼지는 종소리, 남자들이 통행금지가 되는 저녁이면 마술에서 풀려난 것처럼 거리로 쏟아지는 여인들, 시궁창 속에서도 가을 하늘처럼 티없이 맑은 웃음을 지으며 뛰어노는 벌거벗은 아이들과 그만큼 더러운 개들,가꿈씩 야경꾼들이 두들기고 지나가는 막대기 소리에 겹쳐 들려오는 다듬잇들 소리와 개구리 우는 소리.....조용한 밤의 한가운데서 멀찌감치 이런저런 소리가 들려오는 밤이면 저는 병원에서 돌아온 착한 아내를 위해 휘트먼의 시를 읊습니다.
朝鮮の国王は写真を撮るたびにいつも同じ表情でいつも同じ姿勢をとります。
しかし以前の写真と撮ったばかりの写真を比較してみるとその顔色には何か少しずつ終わっていく事実を感じることが出来ます。
秋の日が少しずつ消えていくように。そんなときには私が今大変危うい国の国王を写真に収めていると改めて気づかされます。
(中略)
アメリカ人が見るに何の役にも立たなそうなものばかりずらりと並べた商店と、通りをぎっしり埋めている白いトゥルマギ姿の人びと、城門を占める時間になると低い藁ぶきの家が並んだ都市に殷々と鳴り響く鐘の音、男性たちが通行禁止になる夜には魔法が解けたかのように通りにあふれる女性たち、どぶの中でも秋空のように曇りのない澄んだ笑顔で駆けて遊ぶ裸の子供たちと同じくらいに汚い犬たち、時折夜警が打ち鳴らして通っていく拍子木の音に重なって聞こえてくる砧石の音と蛙の鳴き声・・・静かな夜の真ん中で遠くからあんなこんな音が聞こえてくる夜には私は病院から帰ってきたやさしい妻のためにホイットマンの詩を諳んじます。
(ここまで一文です、長い!)
キム・ヨンス作家の描写は写真に納まっている高宗のイメージにぴったり!で、そこから위태로운 나라に繋がるのはなんだかはっとしました。そして위태롭다という言葉を覚えました。
後半の朝鮮末期のソウル城内の様子、藁屋根の家とか商品が安っぽい!とか、子供と汚い犬が下水で遊んでいる、というのはイザベラ・バードも繰り返し書いています。
キム・ヨンス作家は歴史にむちゃくちゃ強くて、その上でたくさん本を読んでいるんだろうなぁ、と感じますが、同じ本を読んだかも。と思うとちょっとうれしいです。
で、거짓된 마음의 역사 って何なのかな?と考えてるんですけどわかりません。
宣教看護師として韓国に行ったきりの恋人を探してくれ、といったきり、女性への執着も捨て、主人公である探偵への依頼も破棄してしまった依頼主の心変わりもあり、
主人公の見るアメリカと、依頼主の考えるアメリカはひとつではない、という描写もありますが、アジアから見るアメリカ像も比較されているはずです。
本当に、おもしろいけど難しいです。でも好き。キム・ヨンス。
『朝鮮紀行』を書いたイザベラ・バードが朝鮮を旅したのが1894年から1897年。
キム・ヨンスは [거짓 된 마음의 역사](タイトルの和訳は私が仮につけたもの)で
アメリカ人の青年の見た1888年のソウルの風景をこう描いています。
(主人公は王立写真館を運営している)
조선 국왕은 사진을 찍을 때마다 늘 같은 표정으로 늘 같은 자세를 취합니다.
하지만 예전의 사진과 인화한 사진을 비교해보면 그 안색에서 뭔가가 조금씩 저문다는 사실을 느낄 수 있습니다.
가을볕이 조금씩 스러지는 것처럼. 그럴 때면 제가 지금 대단히 위태로운 나라의 국왕을 시진에 담고 있다는 걸 새삼 깨닫게 됩니다.
(中略)
미국인들이 보기에는 아무짝에도 소용없을 것 같은 물건들로만 즐비한 상점가 앞을 가득 메운 흰 두루마기 차림의 사람들, 성문을 닫은 시간이면 낮은 초가집이 즐비한 도시에 은은하게 울려퍼지는 종소리, 남자들이 통행금지가 되는 저녁이면 마술에서 풀려난 것처럼 거리로 쏟아지는 여인들, 시궁창 속에서도 가을 하늘처럼 티없이 맑은 웃음을 지으며 뛰어노는 벌거벗은 아이들과 그만큼 더러운 개들,가꿈씩 야경꾼들이 두들기고 지나가는 막대기 소리에 겹쳐 들려오는 다듬잇들 소리와 개구리 우는 소리.....조용한 밤의 한가운데서 멀찌감치 이런저런 소리가 들려오는 밤이면 저는 병원에서 돌아온 착한 아내를 위해 휘트먼의 시를 읊습니다.
朝鮮の国王は写真を撮るたびにいつも同じ表情でいつも同じ姿勢をとります。
しかし以前の写真と撮ったばかりの写真を比較してみるとその顔色には何か少しずつ終わっていく事実を感じることが出来ます。
秋の日が少しずつ消えていくように。そんなときには私が今大変危うい国の国王を写真に収めていると改めて気づかされます。
(中略)
アメリカ人が見るに何の役にも立たなそうなものばかりずらりと並べた商店と、通りをぎっしり埋めている白いトゥルマギ姿の人びと、城門を占める時間になると低い藁ぶきの家が並んだ都市に殷々と鳴り響く鐘の音、男性たちが通行禁止になる夜には魔法が解けたかのように通りにあふれる女性たち、どぶの中でも秋空のように曇りのない澄んだ笑顔で駆けて遊ぶ裸の子供たちと同じくらいに汚い犬たち、時折夜警が打ち鳴らして通っていく拍子木の音に重なって聞こえてくる砧石の音と蛙の鳴き声・・・静かな夜の真ん中で遠くからあんなこんな音が聞こえてくる夜には私は病院から帰ってきたやさしい妻のためにホイットマンの詩を諳んじます。
(ここまで一文です、長い!)
キム・ヨンス作家の描写は写真に納まっている高宗のイメージにぴったり!で、そこから위태로운 나라に繋がるのはなんだかはっとしました。そして위태롭다という言葉を覚えました。
後半の朝鮮末期のソウル城内の様子、藁屋根の家とか商品が安っぽい!とか、子供と汚い犬が下水で遊んでいる、というのはイザベラ・バードも繰り返し書いています。
キム・ヨンス作家は歴史にむちゃくちゃ強くて、その上でたくさん本を読んでいるんだろうなぁ、と感じますが、同じ本を読んだかも。と思うとちょっとうれしいです。
で、거짓된 마음의 역사 って何なのかな?と考えてるんですけどわかりません。
宣教看護師として韓国に行ったきりの恋人を探してくれ、といったきり、女性への執着も捨て、主人公である探偵への依頼も破棄してしまった依頼主の心変わりもあり、
主人公の見るアメリカと、依頼主の考えるアメリカはひとつではない、という描写もありますが、アジアから見るアメリカ像も比較されているはずです。
本当に、おもしろいけど難しいです。でも好き。キム・ヨンス。