昨日はファシリテーション九州支部1月定例会だった。
今日の体験と学びを記録。
今回のテーマは「新春オンライン詠み会」。
北海道と福岡をオンラインで繋いで連歌を詠むという風流な新年のスタート。
片方が上の句をつくり、いただいた上の句を受けて下の句を作成するというもの。
お題は「今年実現したいこと」。
短歌は中学生のときに国語の宿題で作成した以来である。
まず拠点間のグループマッチング。
それからグループごとに上の句を作成し交換。
上の句を貰い受けて、下の句をつける。
1)グループ(3人)で短歌を作るというプロセスから学んだこと。
「ファシリテーター役がいないとテンポよく進まない。」
我々のチームには率先して話を進めていくタイプ不在。
私は思考作業中は浮かんだアイデアを書き出しながらイメージを膨らませるパターン。
完全に一人作業。
これはグループワークには不向きだ、と思い途中封印してみたが今度は思考が進まない。
2)定例会(泡会含む)は異業種交流=異文化交流
FAJにはいろんな職種の方が参加している。
よく耳にする企業の方、行政の方、コーチングやファシリを生業としている方、医療職の方・・・。
日ごろの私の人間関係は看護学生、看護師さん、大学の先生という中にある。
かなり偏った人たちとしか交流がない。
看護職には看護職の文化があり、大学の先生には先生の文化がある。
なんとなく「この方、看護師さんじゃないかな?」、「あー、助産師っぽい」と思ったりすることはよく体験する。
同じ文化の中にいると価値観とか考え方とかが似てくるのだろう。
説明変数は職種だけではないと思うが、バラエティに富んだ集まりとして客観視すると面白い。
充実した年代にあり貫禄溢れるおじ様たち、ノリノリの若者、抜群のバランス感覚で輪の中にいる中間層。
ちなみに、私は年齢的には中間層だけども「あのバランス感覚欲しい」とうらやましく眺めながら人見知りを発動していた人。
(あ、説明変数が年齢になってしまっている、ドンマイ)
まあ、とにかく、こういう利害関係のない異文化同士の集まりは交ざっていく中で流れがあっちこっちに行くので面白い。
(同文化の交わりは流れが読めることが多い。というかパターン化している。)
新天地に赴くと我々は文化の中で生きているということを実感できることが多い。
今まで普通だったことは普通ではなくなり、idealで到底できっこないと思っていたことが習慣化されていることもある。
今年度は異文化に入り、日本語としては理解できているのだが、話がみえないミーティングも多い一年だった。
我々は文化という暗黙の共通知の中で会話をしていることを実感した。
FAJの集まりはそれがないので説明を多くしなくては話が通じない。
最近はそういうことがあまりなかったせいか説明力、表現力、しまいには語彙力が落ちてきていることを感じた。
今、この記事を書いている最中も言葉が浮かばない。
博士の追い込みに突入してからは、本当に籠もった生活をしていたので、もうしばらくリハビリが必要なようである。
2017.1.8
たまご