たまごの晩餐Ver.3

たまごの徒然なる日記です。3回目の引っ越しをしました。

ファシリその後

2016-10-28 22:12:14 | Weblog

10月22日(土)、第42回福岡・佐賀神経難病ケア研究会がありました。

前任の先生が事務局をやっていたってことで、事務局の任を引き継ぐことになりました。

今回の研究会は「風はいきよという」という、難病を抱えながら地域で積極的に生活をされている方に焦点を当てたドキュメンタリー映画の上映会、

からのフリーディスカッション。

教授から「司会よろしく。まあ、感想とかどうぞーってしてたらいいよ」とのこと。

ファシリテーション基礎講座を受けたてホヤホヤでしたので、よし、これはいいチャンスと捉えて教えていただいたことを実行すべく、一人作戦会議。

そもそも、フリーディスカッションとなると目的と目標が難しい・・・。

時間配分は・・・30分の中で・・・

発散の時間を十分とるとなると・・・・?

アイスブレイクの時間なくない?

など、直前まで考えて、基礎講座で「欲張らないこと」「一個でもいいから」という講師の先生の話を思い出す。

とりあえず、今回は目的・目標を明示して、了解をとって進めることができれば、まあいっか、という低いハードルを設定。

とりあえず、4人グループに分けてその中で自己紹介してもらって、ディスカッションを始めてもらうことにした。

が、

そもそもよくしゃべる人の集まりだったので、自己紹介で想定以上の時間を消費。

ここで時間設定をしていなかったミスに気づく。

そして、自己紹介終了時刻がグループごとにばらつく。

第1の反省:時間管理。

仕方がないのでそのままグループでディスカッションに突入。

教授に促されて私もそわそわしながらあるグループに混ぜてもらう。

が、グループ内でしゃべっているのは主に一人、時々もう一人。

せっかくグループ作成時に所属をばらしたが・・・あれ?

ほかのグループを見てみると、やっぱりしゃべる人が偏っている模様。

第2の反省:グラウンドルールを作ってなかったー。グループ作成時は年齢階級別にしたほうがよい。

そろそろ時間と思いながらも、なんだか盛り上がっており終了を告げにくい・・・。

とりあえず終了を告げ、グループごとに発表してもらう。

そして、板書に挑戦。

全然、まとまらん。

この話はどこへ行くのか・・・うーーん。。。

とか思ってむりやりまとめようとしていると、、、、おしゃべりが始まる。

あー、これが場が温まるということか・・・。

が、温まってきた頃には終了時間が・・・

第3の反省:1に同じく時間管理。

 

なにかと反省点の多い会ではありましたが、まあ、意識してやったのは初めてってことで、

ドンマイ。

アンケートには「意見交換がよかった」って書いてあったから、まあよしとするか。

河野

 

 

 

 

 

 

 

 


ファシリテーション基礎講座

2016-10-16 23:50:13 | Weblog

昨日、ファシリテーション基礎講座を受講してきた。

10時~18時半までみっちり研修。

脳みそをフルに使ったのでかなり疲れた。

しかし、眠くもならず「あー、私もこんな楽しい講義ができたらな」と心の中でつぶやく。

 

一昨年くらい、協同学習と同じタイミングで興味を持ち始めたファシリテーション。

なんとなく、直感的に使用していたホワイトボードであったが正しかったことが判明。

思えば前の職場は決まらない会議が多く、当時はストレスでしかなかったが、おかげでファシリテーションに出会えた。

むしろ感謝すべきかもしれない。

 

協同学習の勉強会の参加者と、ファシリテーション研修会の参加者からは同じ色を感じた。

この色の中に、私も混じっていくことができるだろうか。

研究のための使うための時間と脳みそも確保しなくてはならないが、バランスが難しい・・・。

たまご

 


きのうのブログ

2016-10-11 23:35:18 | Weblog

こんばんわ。

昨日のブログ、かなり眠たい中での書きました。

何を書いたのは余り覚えていないなー、と読み返す。

こ、これはひどい!

文章構成も独り言だし、誤字脱字、変換ミス多すぎ!

まあ、これもまた旅の思い出ってことで。

ドンマイ。

たまご。

戦利品の「戦国手帳」はいくら見ても飽きません。


2016 秋のお城三昧

2016-10-10 23:01:29 | Weblog

新しいチャンネル

3連休初日、名古屋で開かれた看護倫理の勉強会へ行く。

ついでに、お城をめぐりながら九州へ帰ってくることにした。

10月8日(土)

1城目:名古屋城。

人によっては「鉄筋コンクリートじゃないか」という方もおられますが、意外と気にならない私。

天守にEVで登れるなんて、なんて画期的!

足腰弱くても登れる!

と思うし、第2次世界大戦で焼失してしまったので鉄筋コンクリートになってしまったわけであるが、それもまた大切な史実として受け入れる。

しかし、私の一番のお目当ては清正石だったりする。

九州の人間であればもちろん馴染み深い武将であるし、地元では「清正公祭り」という加藤清正公を奉るお祭りがある。

参勤の際の宿場町だったようです。

10月9日(日)

2城目:犬山城

現存12天守のうちの1つ。国宝です。

夜のうちに岩倉まで移動を済ませ、朝9時登城をめざす。

入城時にもらったリーフレットに違和感を覚える。

「現存する天守はXX年に何が氏が築城したもので~~」という文言がない。

なんとなく、ぼやって隠しているかんじがある。

お土産やで立ち読みしたところによると、1600年ごろにできたけど、あんまりはっきりしたことは分からないそうな。

でも「分かりません」とは書けないわけで、ぼんやり書いておりました。

そういう神秘的な感じ、好きです。

名城の隣には名日本庭園あり!ってころで国宝のお茶室が残る「有楽苑」へ。

もちろん、お抹茶をいただいた。和菓子の栗きんとんが大変美味でした。

織田信長公の弟であり、茶人としていきた織田有楽斎の作った庭と茶室。

清正公の朝鮮土産、「釜山海」という石があった。ここにも清正公!!

3城目:岐阜城

岐阜城も鉄筋コンクリートだから残念な感じよー、という前評判もなんのその、岐阜城公園はなかなかの人だかりだ!

あれ?ポケモンさんのほうですか??

あー、やっぱり荷物を岐阜駅のコインロッカーに預けてくるんだった。

重たいリュックを背負って、岐阜城登城。

ロープーウェーがあるからそんなに歩かないと思っていたら、なんのその。

かなり歩かされた。

登りながら、下りながら考えたこと。

①死ぬまで城攻めを続けるには、足腰を鍛えておかねばならぬ。

②巻爪、治療に通っていて本当によかった。

下りの途中からドイツ人ナイスガイ”ステファン”と一緒に下る。

6週間仕事で日本に来ており、2週間は休暇でその休暇中だそうだ。

本日、鵜飼いを見に行くらしい。

鵜飼い、岐阜城、犬山城で悩んだらしい。

ステファンは徒歩で下るとのことで、ロープーウェイの駅でおさらば。

4城目:大垣城

行くつもりはなかったんだけど、時間があったのでJRを降りてみた。

なんと、わりと大きなお祭りの最中だった。

大分の七夕祭りと同じくらいかな。

せっかくなので、お祭り気分味わうべく、縁日ではしまきを購入。

期待をうらぎらないソースかけすぎ。

大垣城は関が原のときに石田光成の本拠地となっていたことが知られている。

ここもまた、第2次世界大戦の被害者だ。

10月10日(月)

5城目:彦根城

ひこにゃんに会えず、屋形船には置いてけぼりにされるというハプニングありの4時間滞在。

広かったー。

さすが現存天守。勾配が急すぎる。乳幼児を連れている家族の気が知れん。

年をとっても登れなさそうだし、現存天守は今のうちに回っていたほうがよさそうだ。

彦根城の隣にも日本庭園あり。

井伊家のみなさん、グッジョブ!

ここでもきれいな庭園を見ながら薄茶をいただく。

隣の席にいたツアーできているという2人組のおばちゃんに「まあ、一人なの!?」といわれてた時の目が・・・。

彦根城は関が原後、あっちこっちのお城からいろいろ摂ってきて作ったリサイクル城。三重櫓は櫓に割には気品があるな、と思ったら小谷城の天守だったらしいよ。

あわよくば安土城へ登城したかったが、そんなことをしていたら帰りが夜中になってしまうと思い諦めた。

アプリ上のみ登城修了。

このほかに、わざわざ乗った鉄道をつかってアプリの城攻めを行った。

琵琶湖一週してみたいなー。

 

たまご

 


障がい者の母を持ち・・・

2016-10-07 20:55:47 | Weblog

最近、母が某スーパーマーケット(というかディスカウントというか、24時間なんでもそろうお店)にパートに出始めた。

身体障がい者枠での雇用だった。

母は生まれつき弱視であまりよく見えない。

と言っても、あまりにも普通に生活をしているので、幼い時は特に意識していなかった。

大学生くらいの時に突然「お母さん、身体障がい者手帳、もらったよ」と言われひどく驚いたのを覚えている。

普段から、慣れていることは難なくこなす母であるが、さすがに外でのパート、しかも初めてのこととなると苦労が多い。

まず細かいものはあまり見えないし、見るのに時間がかかるのであまり手早くはできない。

と言っても、慣れるまでの話であるが。

パート先でもできることとできないことははっきり伝え、野菜コーナーの裏方で野菜をカットする仕事に従事することになったらしい。

働き始めたばっかりなので多分スピードは遅いのだろうが、優しい野菜コーナー担当の若者社員さんと個性的なパートの他のおばちゃんたちと何とか続けていた。

10月に入って、どこかからもう一人おじさん社員さんがやってきたらしい。

おじさん社員さんはわが母に数々のひどい仕打ちをしてくれた。

「このおばさん使えん」みたいなニュアンスのことをかなり言ってきたみたいだ。

しまいには、他のパートのおばちゃんに見張りをさせていたらしい。

思うに、そのおじさんも見張りをしていたに違いない。

母はおじさんの顔をみると体が動かなくなってくるほどの症状が出て、急きょパートを辞めることになった。

 

相模原の事件はこの夏の話だ。

「優生思想」がどうのこうの、なんて話はニュースの特集なんかでよく見かける。

そんな時勢もあってなのか、県の障がい者ナントカ課に相談に行ったとところ、すぐに対応してくれたそうだ。

おそらく某スーパーマーケットには公的介入がなされるであろう。

私自身はほぼ普通に暮らしてきた母に育てられ、従妹も一部体が不自由であったがやっぱり普通に接しており、そういう見方をする人の思考は全く理解できない。

仕事がら他人の思考のプロセスを紐解くことはよくするのだか、今後も理解できることはない。

唯一、救われたエピソードがあった。

仕事を紹介してくれたハローワークの担当の方に報告に行くと、「そんなところ辞めていい!」と言って一緒に泣いてくれたそうだ。

ああ、早く大分に帰って、孫育てをしてもらわねば、と深く思った夜であった。

たまご

まずは相手を探すところからですが・・・(涙)