ラッキーノッツ

さまざまな出会いを大切にして・*:..。o○☆*゚

伊達家の石…

2007年04月22日 | ○○に…

久しぶりに「石」登場~

石を見ればホイホイ寄って行く、河原や海辺、山や森と、自然の所有物であれば手にとって、相性よければ持ち帰る。

そんな石好きの私が目にした陸橋下の石。

え…こんなところに?



「丸い礎石は仙台藩伊達家の上屋敷御殿の土台として使われていたもの…」

言われのある立派な石。

人目につかない陸橋下の暗がりに…しかもこんなふうに固められ、自由を奪われ気の毒に、さぞ切なかろう…。

石なんだから、こんなふうに固定しちゃえ、紛失を防げるし掃除も楽だろ。

そんな考えなんでしょうか。しかしなぜここに?

調べました。

開府以来、汐留の地は埋め立て造成が行われたそうです。

つまりは、ここは海だった。

そうここ汐留は海の近く、時々潮の香がするんですね~

銀座方面より、脇坂家屋敷、伊達家屋敷、会津藩屋敷。

さらに、浜松町側は、森家屋敷、関家屋敷、江川太郎左衛門大小炮習練場。

ここの開発に当たって進められた調査で分かったことは、

これらの大名方々の江戸屋敷内の様々な施設の跡が発見されました、そうです。

屋敷で使用された生活の品々が掘り出され、それを「遺跡の出土、発掘」とされているところに、私「!」と思いましたね~

上屋敷の暮らしぶりがわかる、貴重な調査であったわけで、遺跡。

遺跡なんですこの石。

江戸時代⇒遺跡 といった意識がなかっただけに、私、凡人でした。

つまり、橋の下に閉じ込められた、封印された石に哀れを感じる必要などないわけで、石が伝えたいことは…つまり、

「忘れますな皆の衆、ここに我が伊達家の屋敷あり~」とガンと「石」はおっしゃっていたのでした。

ははぁ~ん…

石との交信には自信があったのにな…




大時計

2007年04月22日 | ○○に…



一日5回、10(土日),12,15,18,20:00に音楽を奏でる大時計。三分四十秒、つかの間の演奏。集る人々は~

子どもたちって好きですよね、こういうの。 でも大人だって大好き。

なんでしょう、始まる前のワクワクドキドキ感。

宮崎駿さんデザイン、汐留にある日テレビル設置の、その大時計はでっかい。

幅18メートル、高さ12メートル、奥行き3メートルの大きさ。

外側は一枚一枚たたいた銅板が1228枚使用されており、なんと総重量は28トン! へぇ…

中央が「時計盤」、右が「鍛冶屋一族」、左が「鐘一族」という三つで構成されており、全部で32個のからくりだそうで。

「鐘一族」側では、鐘の頭をした人形が屈伸やお辞儀をしたり、ドラが鳴ったり。

「鍛冶屋」側では、電球の頭をした人形がカナヅチを使ったり、大砲が煙のようなものを発射したり。

文字盤に時計職人の影、脚が握っている二個の玉が開閉して赤い光をユ~ラユラ。

しかしその赤い光と動きは、意外と静かでけっこうシンプル。

物語的な動きなんでしょうが、残念ながら、把握できなかった…

でも~とっても味があります、ふしぎな世界。

その世界に色濃く包まれて、今日は忙しい一日でしたが、胸に浮かぶ記憶はからくり時計の姿ばかりで…これってなんだろ…