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ケイシロウとトークアバウト

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さよならサマー

2025-06-04 23:11:00 | 日記




(本記事はススムさん監修記事とさせていただきます)

★旧約聖書 詩篇第23章3節後半から4節
「主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。死の影の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける」

本日0時40分、
サマーが天へと旅立った。

この衝撃的なニュースは、
スパーキーから俺とケイシロウにLINEで知らされ、
サマーにお別れに来てほしいとメッセージされた。
俺は先程まで、
ケイシロウと電話で話し、
ケイシロウからは、
スパーキーとの連絡を密にして行動しようと話し合った。

問題はブログ記事についてやけど、
ススムさんから、
過度に悲しみを表す文章を控えることを前から言われていた。
ススムさんは、
米が値上がりしてフツーでさえ悲しいのに😢
記事の方は湿っぽくしないようにと、
監修まですると言って来た。
(人の訃報に笑いを取るような表現をしてはならない😠)

ケイシロウとススムさんは考えが似ている。
あの陽キャを貫いたサマーが、
湿っぽい記事はおろか、
悲しく生活することを望むはずはない。

コトの経緯やけど、
先月の初めから、
抗がん剤も効かなくなった。
それでも、
散歩をする体力があったサマーは、
春から初夏にかけて、
移りゆく花々を見るのが大好きやった。
レフティ達の食事も用意した。
俺はケイシロウに、
「ひょっとしたら助かるんやないか?」と言ったほどやった。
サマーも運動療法や食事療法で乗り越えるという意欲が強かった。
そんな矢先、
体調が急変して、
横になり、
2度と目を開けることはなかった。

急な出来事にあって、
俺らは茫然となった。
ついこの前まで、
元気にはしゃいでいたのに、
生命の終わりが来るという現実に、
悲しみというよりも驚きを実感した。

ブログ記事のありがたさは、
こうして気持ちを書き綴るだけで、
客観的になれる利点がある。
(ガチギレしている時はボロクソけなしまくり、それで怒りが抑えられるのではなく更にキレる💢という事実も、ブログ記事は心の中身を文字化するから、その点は仕方がない)
しかし、
どうしようもない不幸に見舞われた時は、
その事実を客観的に見る必要がある。
感情的になっても意味をなさないから。

そして、
サマーがいなくなったことは、
この世の誰もが身をもって同じ道を歩む訳やから、
この人生の始まりと終わりを、
どう向き合うかを、
考えることは損ではない。

人は最初は生まれて最後に死んでいくのなら、
まるで、
死に向かうために生まれたようなものやないのか?
そしてそれは、
世界のあちこちで展開されるひとつの現象やないか?
人の一生は、
まるで明滅しながら光が弱くなり暗くなっていく電灯に等しい。
最近は長持ちするLEDが現れた。
けど長持ちするというだけでLEDも寿命がある。
人間も百歳まで長生きするようになったけど、
やはり命の終わりを迎えることに変わりはない。

レフティ。
今から外に出て、
小高い丘に登れ。
そこで瞬く夜空の星々を眺め、
ひとつひとつの星に、
母親サマーとのいろいろな思い出を投げかけろ!
全部、
その想いは、
サマーに届くから。

そしてサマーに可愛がられたケイシロウ。
いつものお前らしく、
前へ前へ突き進み、
生きていることの輝きを表せ!
その輝きとレフティが見ている星の輝きは等しいはずやから。

サマー。
ありがとう。
サマーのたくさんの笑顔の思い出が、
これから生きていく俺らの輝きやから。