
70代にあっても革命心を忘れない革マル子ちゃんは、
日に3度、
チェ・ゲバラ(南米の伝説的革命家)のポスターに香を焚く。
そして、
年金と意外と貯金してた生活費で、
革マル子ちゃんは、
日本赤化(暴力革命による日本共産化)の野望を抱く。
そんな中、
米の値上げが革マル子ちゃんの懐を直撃した。
革マル子ちゃんは、
生活苦に悩みつつも、
いよいよ時が来たことを悟った。
史的唯物論でマルクスは言っている。
経済体制の不均衡が闘争を生み、
プロレタリアート(労働者のこと)独裁社会が来る、と。
革マル子ちゃんは、
日本人主食の米をめぐっての社会的混乱に、
革命の臭いを嗅ぎ、
赤旗の幻を見た。
そんな革マル子ちゃんに、
左派系NPO法人の外国人支援団体から、
電話対応のお仕事のお願いが来た。
互いに日本語での対応となるからということやった。
革マル子ちゃんは、
そういう言い方は人が外国語を話せないという卑下した考えでありブルジョワ的やと、
心がキレた😠
が、
この仕事を引き受けた。
やって、
本当に、
革マル子ちゃんは外国語は英語すらしゃべれんやったから。
早速、
一本の電話を取った。
相手は、
「私はインド人ですけど、職場の方からカレーばかり食わずにたまにはカレイの煮付けを喰えと言われました」と相談した。
革マル子ちゃんは呆れつつも、
「それはマルクス同志によれば人間疎外に該当する。ストライキで対抗するように」と助言した。
相手のインド人は、
「そんなことをしたら私はクビになります」と嘆いた。
革マル子ちゃんは、
「コミンテルン(国際共産主義のこと。イマはないはずやけど🤔)があなたを守ります」と答えた。
相手は呆れ果てて電話を切った。
次の電話が鳴り取った。
相手は、
「私は中国人ですけど、職場から麻婆豆腐ばかり食わずにたまには湯豆腐を食えと言われました」と相談した。
革マル子ちゃんは驚き🫢
「同志よ。革命無罪に動き毛主席を讃えよ!」と助言すると、
相手は、
「あなたは心がタイムスリップしておられる」と答え、
電話を切った。
すぐに次の電話があった。
相手は、
「私はイギリス人ですけど、職場から紅茶ばかり飲まないでたまには緑茶を飲めと言われました」と相談した。
革マル子ちゃんは、
「紅茶の赤こそプロレタリアートの血だと言いなさい」と助言した。
このあまりの唯物論的対応に、
革マル子ちゃんは、
クビになった。
そんな時、
備蓄米や古古米の出来事から、
都議選、参議院選挙となり、
石破おろし問題のイマを迎えた。
石破辞めるな運動を見つつ、
革マル子は毛沢東の、
共産主義理論のエキスである、
『造反有理』(ぞうはんゆうり)という教えが心に蘇った。
岸田同志と石破同志の反逆には道理がある。
イマこそプロレタリアート革命が実現する。
『造反有理』こそ真理なのだ。
ブルジョワは打倒され、
プロレタリアートの勝利の血の象徴の赤旗が、
この国の国旗となる!!
こう呟き革マル子はうれし波を浮かべた。
(石破辞めるな運動が共産主義者によって起こされている事実を『造反有理』とは早計過ぎるので、ひとつの出来事としか当ブログは見ていません。しかし、共産主義思想の深さには脱帽です。実践力があるかないかはさておいて)
牧かおりは革マル子ちゃんに言う、
「それはあなたの幻影です」
革マル子ちゃんは反論する、
「黙れ❗️この反動が❗️」
たまには寝て曜日が必要なので良かったです🍀
革マル子ちゃん✨
年金だけじゃなくて貯金もあって偉いですね👏
革命を働きかけたけど✨
やっぱり聞かれてたんですね😅
でも1つの信念を貫くのは大事な事ですね✨
石破さん反対はそうだったんですね😰
自民党支持者じゃないと石破さんもガッカリですね💧
私は後の2人が嫌で続けてほしいから変わりませんね😅
自民党の若い議員達もやめろ運動してますが🌀
ただそれだけ⤵
政策は何も考えてなくて上任せ😡
やっぱりダメですね😑
税金泥棒ですね😑
今夜も横浜はいい風が吹いてます😌🌠
朝暑くて起きます😅
凶公さま😌良い週をお迎え下さい💖
石破総理に関しては、
かつては自民党の総裁選で党員によって選ばれ、
このまま総理になると当時の国民は大喜びしてた記憶があります。
それが決選投票で安倍総理が誕生したんですね。
国民は落胆しました😔
党員によって選ばれた石破さんが、
結局、
決選投票で、
議員票で総理になれなかったんですから。
この状況をよくよく知ってたのが岸田さんでした。
それで、
表向きは石破さんおろしをしながら裏側では石破さん続投を企て、
自民党左派を存続させて、
最後は自分が返り咲くシナリオを持ってたはずです。
一方野党の左派は、
右派勢力の台頭から、
与党を混乱させようと、
石破辞めるな運動を起こしました。
ここで、
極左と呼ばれる連中が、
一連の米の高騰から政権のゴタゴタを、
資本主義経済末期と判断して、
石破辞めるな運動を通して、
毛沢東の「造反有理」論を当てはめて、
階級闘争へと持っていこうと画策していることも次第に現れて来ました。
『造反有理』とは、
体制側の重要人物が体制側を裏切って反体制側につくことで、
階級闘争の正当性を示すものです。
極左の人たちにとって、
ひょっとしたら石破さんや岸田さんは、
共産主義社会を作ってくれるという望みを抱き、
石破さんと岸田さんが左派政権を築き、
立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新撰組に自民党左派を加えた内閣が出来上がると思い込んでいるんです。
それは、
共産主義思想に照らし合わせると、
そのまま当てはまるからなんです。
これは、
マトモに聞いていたら納得させられてしまうほど的を得ている思想です。
しかし、
あくまで思想の世界で、
実践できるのかという疑問符がつきます。
革マル子ちゃんは、
極左ばあちゃんと呼ばれ、
いつも革命だの階級闘争だの言いまくっている人でした。
この人が、
米の高騰から政権のゴタゴタを通して、
やはり階級闘争を意識してしまったんですね。
そしてどこに確証があるのかわかりませんけど、
岸田さんや石破さんを隠れコミュニストだと信じてしまい、
『造反有理』説に照らし合わせてしまいました。
私の知り合いが会社の組合の極左連中からゼネスト(全国民のストライキ運動)を起こして石破政権を存命させようとまで公に言うんですから、
ナニか起こりそうな予感になって当たり前です。
そしてこういう状況を産んだのは共産主義者ではありません。
自民党の老害どもがやらかしたことです。
これはjasmine様がブログで書かれておられる通りです。
共産主義者に利用されるばかりか、
本気で階級闘争から赤化運動にまで持って行かれようとしたんです。
石破さんは全く悪くありません。
石破さんをそうした人物に仕立て上げた自民党の幹事長が一番の悪者です。
共産主義の歴史は、
弾圧と体制側の裏切りの連続の歴史でした。
これが、
資本家は話し合いをする相手ではないと結論付けました。
ここに共産主義者がよく使う理屈があります。
2匹の猿がいました。
この2匹の猿の前にバナナの木がありました。
1匹の猿は木に登ってバナナを得ました。
つまり木に登ってバナナを得るという労働をしたことで進化をして人と成り行く未来を得ました。
が、
もう1匹の猿は、
木に登ろうともしないで相手の猿のバナナを力づくで奪いました。
このもう1匹の猿は労働をせずに相手から奪うことから人への進化は閉ざされました。
木に登ってバナナを得た猿は人間としてのプロレタリアートで、
ナニもせずにバナナを奪った猿は猿のままのでブルジョワだと定義付けして、
ブルジョワは人間ではなく猿だから殺害しても構わないという理屈になり、
暴力革命論が生まれました。
通常、
経済と政権が不安定で格差のある国家には必ず共産主義が入り込み、
暴力革命を起こして左派政権を築きます。
それが、
韓国や日本にまで経済と政権の不安定が現れ、
共産主義が入り込む余地が出来たことは驚きです。
しかし日本国民は、
右派政権に期待を抱き、
右派政党を応援するという従来の国家とは異質の社会構造となりました。
そこで、
慌てて無理矢理、
『造反有理』の現実を作り上げたいと思ったんでしょうね。
もし、
石破さんや岸田さんが隠れコミュニストなら、
『造反有理』の実現から階級闘争が起こり暴力革命によって日本は赤化されることになります。
今後、
どうなるかはわかりませんが、
第二第三の石破辞めるな運動は絶対に起こります。
『造反有理』に共産主義者が賭けているからです。
革マル子ちゃんの望みが叶うのか、
ナニごともなく自由主義が続くのかは今後の成り行きですね。
共産主義者は芸術家やマスコミに多く、
プロテスタント教会にあっても、
クリスチャンコミュニストと呼ばれるキリスト教共産主義者も多数います。
1970年に、
日本キリスト教団(石破さん所属)の山手教会に、
キリスト教共産主義者が、
教団会議に乱入して、
ゲバ棒で出席者を叩きまくる流血事件を起こしています。
キリスト教共産主義者はイエス・キリストは共産主義者だったという思想を持っています。
私たちは、
マスコミやネットの噂に流されず、
自分でそう信じた事実を大切にすべきです。
jasmine様ご自身のポリシーでもあることを、
私の方がjasmine様のブログで学ばされています。
革マル子ちゃんのおかげで、
私自身も共産主義を思い起こすことになりました。
けど、
人にとって一番大切なものは、
思想ではなく、
自分が持っている信条だと思います。
ナニよりもこの国が住み良いようになることを願って止みません。
そしてもうひとつの願いは、
jasmine様が元気になられて職場復帰を果たされポッポちゃん達とも再会できることです。
まずはよくよく療養されてください。
そして猛暑の中の通院を気をつけられてください。
jasmine様のリアクションとコメントをうれしくいただきます。
14時間も寝たので、
なかなか眠れない中にあって、
返信の文章が長くなりましたことをお詫びいたします。
今回のお話の登場人物、
すなわち、70代にあっても
革命心を忘れない
革マル子ちゃんは、
確かに、
あまりの唯物論的な
対外国人電話対応により、
クビになってしまいました、、、
かなり過激でした、、
なんでも、行き過ぎは
宜しくはないのですが、、
赤的な発想が全部
悪いわけではないとは
個人的には思います。
かたや、
1、余りにも資本家発想が
強すぎますと、
弱者完全切り捨てに
なりがちです、
少なくとも
資本主義をとる国では
富の偏在はみとめられつつも、
一部の富裕層の無制限に近い
おかねの力による
過度なまでの自由な権利の
偏在までは、認めるのは、
社会の公平さを失し過ぎます。
一方で、
2、余りに労働者側や
生活困窮者側に
偏り過ぎますと、
これまた、片寄り過ぎな
現象も 生じ得ます、、
たとえば 極端な事例に、
勤労意欲も
努力をする意欲まで
完全になくしつつも、
口だけは達者で、筋の通らない
権利ばかり唱える不届きな輩が
多発するなど、です。
いわば、健康体ながら
暮らしていく最低限のおかね
さえないのに、
働く気さえ完全にまったく失い、
かつそれをすべて肯定して、
過度な権利へ保護を
主張をし出す輩の多数出現です。
これまた、
社会の公平性を完全に失します。
事情さまざまなので
一概に紋切り型で判断できない
むずかしさは ありますが、
結局は、上記1と2の、中道、
つまり、
1 2、どちらにも偏りすぎない
柔軟な発想が
いま、(実は太古の昔から)、
もっとも必要と
されているのではないかな?
と個人的には考えております。
政治、マツリゴトの
原点に回帰した自由自在な
柔軟な発想のできる人たちに
是非とも
政治、行政、司法、教育、、
などの本来的聖職に就いて
頂きたい ものだなあ、、
と、個人的には考えています、、
いつも、有り難う御座います
https://blog.goo.ne.jp/575
なお、
当575からのコメントは、
gooブログ
ケイシロウとトークアバウト
gooブログ内、記事、
https://blog.goo.ne.jp/talk_to_keijiro/e/c96b8cea2457e3fc06f880b38a2865fc#comment-list
嘆きの異邦人
2025-07-27 23:35:00 | 日記
の、コメント欄への
575からの記載コメントです、、575
今回はNPO外国人相談センターであったことでした。
そして、
575様の言われる通り中道こそが、
様々な可能性を生み出す余裕を持てると私も同感いたします。
革マル子ちゃんの極左思想も、
当時の実践力が乏しい机上の思想群にあって、
マルクス主義は、
実践力が凄まじくあったということですね。
マルクス主義の時代は本当にブルジョワによる搾取と抑圧の時代でした。
畑に行けば大地主に搾取され、
海に出れば網元に搾取され、
ブルジョワの為に人生を貢いでるような時代でした。
そして、
宗教までも、
お布施と献金による救済を説き、
ここにマルクスは、
人間疎外論を提唱することになりました。
ここに、
人間にとって重要であるものは、
宗教や社会や国家以上に衣食住による経済だということをマルクスは見抜きました。
そして徹底的に経済学を探求しました。
これが、
共産主義思想最大の土台と上部構造の理論を生み、
共産主義社会実現の為の階級闘争を訴えることとなったんでした。
ところが今日、
かつての衣食住困窮問題はそこまで問題視されず、
階級闘争の意味を失っていくように感じます。
政治的問題は大切なことです。
社会的問題もです。
だから、
弱者の権利を声高に言うんでしょうけど、
共産主義思想の核は経済です。
経済社会における搾取と抑圧がなりを潜めているイマ、
共産主義そのものも大人しくなって当たり前です。
かつての本物の共産主義思想が生きていた時代、
弱者の権利の主張は国家や社会にお願いするという今日的対応ではなく、
階級闘争と革命を通して、
弱者は権利の主張を力で手にしたのでした。
一方、
右過ぎても、
国家主義や民族主義に偏り、
弱者には犠牲を伴わせ、
個人よりも民族や国家を第一にする傾向になります。
本当に偏り過ぎは良い案を得れません。
だからこそ、
右派にも左派にも属さない自由な中道思想は凄く意義があると思います。
本当に、
上に立つ人々は、
偏った政策を止めて、
安寧秩序の構築を第一にとする公人としての原点に立ち返ってほしいものです。
575様のリアクションとコメントに感謝いたします。
ナニよりも机上の空論以上に良き実践を国家社会が推進されますように。