読書の秋やから、
と、
一冊手にしたのが、
森鴎外の「阿部一族」。
馬爺に森鴎外って知ってるか?と尋ねたら、
「あんた古いこと知ってるね。花の中3トリオの一人や」と答えた。
俺は心の中で、
「お前、それ、森昌子」と呟いた。
森鴎外は、
事の表裏を描く作風に抜きんでる大家!
この「阿部一族」も驚いた。
ネタバレしないように書くけど、
熊本城の城主が、
死の病にあった時、
島原の乱で武勲を得て、
1100石の位を与えられた第一側近の、
阿部弥一右衛門が、
殉死を城主に願い出るが、
「いけん」と言われて、
その命に従った。
お上に従うことも武士道やからや。
なのに、
城主が亡くなるや否や、
側近が次々と切腹殉死!
やから、
阿部弥一右衛門は、
熊本城で、
卑怯者だの臆病者だの、
江戸版5チャンに晒された。
ズバリ、
悪口三昧!
ここに二代目城主が着任。
殉死禁制の掟が発布される。
やけど、
阿部弥一右衛門への陰口は、
止むことなく炎上するので、
遅ればせながら、
阿部弥一右衛門は切腹殉死する。
が、
自分の命に背いたとガチギレした二代目城主は、
阿部一族の1100石を、
その息子たちに分割の命を出す。
カタチとしては、
イマ風な、
財産分けやけど、
分割することで、
熊本城での位は、
遥かに小さくされた。
阿部家の長男権兵衛は、
後ギレした。
やから、
殉死者の一周忌法要の際、
髻(もとどりと読む。頭の上で髪を細く巻くこと。志村けんのバカ殿の髪型)を切って、
父親の位牌に供える。
これに超ギレした二代目城主は、
一周忌法要を冒涜したという名目で、
阿部権兵衛を盗賊同様に、
打ち首して晒した。
ここに、
激ギレした阿部一族と、
熊本城との全面戦へとコトが運ぶ。
この後はネタバレになるからここまでにするが、
武士道を尊べば陰口のテンコ。
遅ればせながら殉死したら、
お上への背き扱い。
ひと言で表現すれば、
阿部一族には、
ツキが無かった訳やと思う。
ここに、
自称、阿部一族の子孫、
阿部啓一郎からのコメント、
「俺はよくわからず、ただ、何でか?という感覚です。でも、ご先祖のことですから、重く受け止めます。
思えば、俺の人生も、何もしなければ陰口されて、何かすれば非難とシカトされました。ご先祖の血の濃さを深く感じ、俺なりの阿部家を守る決意でいっぱいです。阿部家は不滅です」
やけど、
ここでの阿部一族の血統は耐えているはず。
ケイジロウ、
この男はナニモノやろか🧐❓
多分、
阿部一族の縁戚子孫の一人やろう🤔
レフティは言う。
「分割贈与されただけなんでしょ?意地張るとロクなコト無いっスね。俺の先祖も武士なんっスけど」
(それよりも、阿部啓一郎もレフティも原作キチンと読めよ😠!)
ケイジロウ。
最後にこの話を加えて終わろう。
今から七年前の今頃、
一人の阿部一族の縁戚子孫であろう青年が、
熊本城に日帰り旅行に来た。
今にして思えば、
里帰りやったんや、
AM❗️
そして、
その3年後に、
熊本地震によって、
熊本城は、
崩れた‼️