「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

済々黌先輩英霊列伝⑯寶田三千穂「水上偵察機搭乗員として、輸送艦艇の上空・対潜掩護に従事中、敵戦闘機と果敢に戦い散華す」

2021-01-26 11:01:39 | 続『永遠の武士道』済々黌英霊篇
敵爆撃機に体当たりして奇跡的に生還
寶田 三千穂(たからだ みちほ)S14卒
「水上偵察機搭乗員として、輸送艦艇の上空・対潜掩護に従事中、敵戦闘機と果敢に戦い散華す」
  
 『日本陸海軍航空英雄列伝』(光人社)には大空の戦功者として139人が紹介されているが、その中に二人の済々黌出身者が出て来る。一人がこの寶田でもう一人は三週間後に紹介する四宮徹である。  

 寶田三千穂は大正10年7月に菊池郡泗水村に生まれた。済々黌卒業後昭和14年4月に甲種予科練習生第4期生として横須賀航空隊に入隊。16年9月、飛行練習生(飛練)第9期(偵察術)を卒業し水上偵察機搭乗員となった。二座水上機の偵察員として母艦『千歳』に乗り込み、大東亜戦争開戦と共にフィリピン、蘭印攻略作戦、ミッドウェー海戦、第三次ソロモン海戦などに参加した。

 17年9月、R方面航空部隊に編入され、ソロモン諸島西部ブーゲンビル島の南に位置するショートランド島泊地に集結、ガダルカナル作戦に際し、輸送艦艇の上空護衛、対潜水艦護衛の任務に従事した。10月4日、ガダルカナルよりショートランドに帰投する水上機母艦(輸送艦としても使用)『日進』を上空警戒中の寶田機は、米ボーイング17(大型戦略爆撃機)の5機編隊の指揮官機に対し体当たり攻撃を敢行して撃墜した。搭乗していたゼロ式観測機は激突して空中分解したが、機長の寶田二飛曹(二等飛行兵曹・陸軍だと伍長)と操縦員の甲木一飛兵は奇跡的に脱出、落下傘降下して駆逐艦『秋月』に救出された。寶田機の勇戦に対し、『千歳』艦長から褒状と特別善行章一線が付与された。12月、特設水上機母艦『国川丸』に転じ、引き続きこの方面の哨戒任務に従事した。

 18年1月27日、寶田上飛曹はコロンバンガル島増援部隊輸送船団の対空対潜哨戒任務の為発進、『第二十御影丸』上空哨戒中に敵戦爆連合約38機を発見、寶田機はグラマン10機編隊に果敢に突入、敵機5機と空戦中に被弾し発火炎上し、自爆散華した。享年21歳だった。

 『千歳』乗組時、寶田二飛曹搭乗のゼロ式観測機の胴体側面には、誉の「桜のマーク」7個(撃墜した敵機の数)が描かれていたという。

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