たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡の旧町名(長町)

2011-10-01 | ぶらり盛岡
(25)長町(ながまち)

盛岡駅から北上川に架かる旭橋を渡って、まっすぐに進むと長町です。現在は長田町とよばれています。
長町とは,城下の町々のうちで最も長い町並みから付けられたという。文化年間には長イ町と呼ばれたこともあった。












材木町から上田に通じる南北に走る道筋で,長町から上田に出る坂を駆上(かけあが)り坂と称した。

寛政11(1799)年,長町の若者25人が火消し組を藩庁に願い出て,許可された。これが盛岡の町方火消しの始まりである。馬町の一番組,油町の二番組と並んで三番組となった。

また,町の西,梨木町との間の田圃の中に聖寿寺末の明宜庵(みょうぎあん)という庵寺があったが,戦後に廃寺となり,現在は聖光保育園の敷地になっている。

長町の東側の中程に,未決の犯罪人を入れる揚屋(あがりや)という牢屋があった。嘉永6(1853)年に4人の囚人が土台下を掘って脱獄する事件が起きている。元治元(1864)年には三閉伊百姓一揆の指導者三浦命助が牢死している。



長田町




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啄木の盛岡中学時代の歌

  暝(ねむ)りゆく胸に無限、威とはず、暮るゝ野雲を古調にほこる。
 
≪盛岡中学校校友会雑誌 第3号(明治35年12月)≫ 「白蘋」名で9首 (その4)

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