一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『海炭市叙景』 ……映画を見ている間、私は「海炭市」の市民であった……

2011年06月07日 | 映画
1995年に徒歩日本縦断をしたとき、
旅先から原稿を送るという形で、
一週間に一度、地元の新聞に紀行文を連載していた。
その旅のレポートで、私は、函館でのことを次のように記している。

8月23日の早朝に長万部を出たぼくは、25日の午後には函館に到着した。
この長万部~函館間は、交通量が多い上に、歩道が少なく、歩いていてとてもコワかった。
北海道の車は高速道路並みのスピードで走る。
それに追い抜きを頻繁におこなう。
道内の人に訊くと、「時速80キロ程度ではすぐ抜かれる」ということであった。
狭い路肩を歩いているぼくのすぐ脇を猛スピードの車がすり抜けていく。
途中雨も降り出し、水飛沫を何度もかぶった。
こぶしを振り上げ、車に罵声を浴びせながら、ぼくはひたすら歩いた。
だから函館に着いたときは、ホッとしたものだ。
函館はぼくの好きな街のひとつである。
青春時代に何度か訪れたことがあり、懐かしさもある。
特に港からまっすぐにのびた坂道が気に入っている。
この日の夕刻、ぼくは函館市大町にある「弁天寿司」という店で、新鮮なスシや刺身をたくさん御馳走になった。
もちろん無料(タダ)で。
なぜか?
この旅を始めたばかりの頃、ぼくはあるおじさんと知り合ったのだが、この人は函館に本社がある会社の社長さんであった。
「鹿児島まで歩いている」と話すと。
「函館を通過するときには、ぜひ連絡しなさい。鹿児島県出身の奥さんがいる行きつけの寿司屋さんがあるから、そこへ招待してあげる」と言われていたのだ。
図々しくも連絡すると、社長さんは仕事の関係で一緒には行けないが、寿司屋さんにはもう話しているので、直接行ってほしいとのことであった。
店のご夫婦、お客さんにまで大歓迎を受け、お土産まで頂いた。
こうして北海道の旅は終わった。


当時の新聞から文章を書き写していると、
いまでも函館でのいろんな出来事が思い出されて、懐かしさで胸がいっぱいになる。
函館は私の大好きな街なのだ。


その函館を舞台にした映画『海炭市叙景』をやっと見ることができた。
第12回シネマニラ国際映画祭で、グランプリと最優秀俳優賞のW受賞。
第65回毎日映画コンクールで、撮影賞、音楽賞の受賞。
第84回キネマ旬報ベスト10で、第9位。
等々、昨年とても話題になった作品。
佐賀では上映の機会がなく、これまで見ることができないでいたが、
ここへきてやっと佐賀でも公開されることになった。
で、さっそく見に行った。

原作は、佐藤泰志。
1949年4月、北海道函館市生まれ。
函館西高在学中、有島青少年文芸賞を2年連続受賞。
國學院大学入学のため上京。
上京後いくつもの職に就きながら小説を書き続ける。
1977年に発表した「移動動物園」が新潮新人賞候補作となり、文壇デビュー。
その後、閉塞した日常の中で生きる人々を描いた青春小説や群像物語が評価され、芥川賞候補に5回、三島由紀夫賞候補に1回名前が挙がるが、いずれも受賞できず、
1990年10月、東京の国分寺市の植木畑でみずから命を絶つ。
享年41歳。
没後、地元の同級生が追想集を発行し、再評価に向けた活動を続け、
2007年10月、初の作品集「佐藤泰志作品集」が出版社クレインから刊行された。


佐藤泰志の小説『海炭市叙景』は、「海炭市」と架空の街を装ってはいるけれど、
函館をモデルにしてることはあきらか。
それは小説を読めばすぐに判る。
シャーウッド・アンダースンの『ワインズバーグ・オハイオ』(アメリカ中西部オハイオ州にあるワインズバーグという架空の田舎町の人々を描いた23編の物語)のような小説で、この『海炭市叙景』は『ワインズバーグ・オハイオ』よりもスケールが大きく、冬・春・夏・秋の36編で構成される筈であった。
が、それは自死によって、前半(冬・春)の18編だけで終わった。
だから『海炭市叙景』は小説としては未完なのである。
映画では、この18編の中から5つの物語を選び、オムニバス形式で海炭市に生きる人々の姿を描き出す。


その冬、海炭市では造船所が一部閉鎖され、大規模なリストラが行われた。
解雇されたふたりの兄妹が、なけなしの小銭を握りしめて初日の出を見にロープウェイで山に登る。
しかし、帰りのロープウェイ代がひとり分しかなく、兄は歩いて山を下りることに。
だが、いくら待っても、待ち合わせ場所に兄は現れないのだった……
兄妹を演じた竹原ピストルと谷村美月がすごくイイ。
兄を待つ谷村美月の姿が切ない。


70歳になる老婆は、産業道路沿いに建つ古い家に住んでいた。
地域開発のため周辺の家は次々と引っ越していき、いま残っているのは彼女の家のみで、立ち退きを迫られていた。
そんなある日、飼い猫が姿を消してしまった……
老婆を演じた中里あきの演技に唸らされた。
いや演技ではなかったのかもしれない。
一説によると、監督が函館の裏町の飲み屋街でスカウトした、まったくの素人さんらしいのだ。


プラネタリウムで働く男の妻は、派手な格好に厚化粧をし、夜の仕事へと出かけて行った。中学生になったひとり息子はすっかり口をきかないようになっている。ある日、妻が仕事に行ったまま一晩帰ってこなかった。腹を立てた男は、ある晩、ついに妻に仕事を辞めさせようと、妻が働く店へと車を走らせる……
夫婦を演じた小林薫と南果歩がリアル。
さすがだ。


父親から代々続くガス屋を継いだ若社長は、新しく始めた事業がうまくいかず、日々苛立ちをつのらせていた。家庭では、再婚した元同級生の妻が、夫の不倫に気づき、その嫉妬心から、夫の連れ子であるひとり息子を虐待していた……
ガス屋の若社長を演じた加瀬亮の存在感が抜群。


長年、路面電車の運転手を務める父は、路面電車の前を通り過ぎる息子を見つけた。息子は東京で働いており、仕事のため地元に帰ってきていたのだが、父と会おうとせずにいた。年が明けたある日の昼下がり、父と息子はお墓参りで鉢合わせになった……
父親を演じた西堀滋樹は、映画「海炭市叙景」製作実行委員会の事務局長。
原作者である佐藤泰志の盟友だとか。


函館を舞台にしているとは言っても、絵葉書のような風景ばかりを切り取ったいわゆる観光映画ではない。
造船所、産業道路沿いの古い家、飲屋街……
生活の場としての函館を実に魅力的に描いている。
この映画は、函館市民の手で企画され、
市民の多大な協力のもとに撮影されている。
企画に賛同し参加した竹原ピストル、谷村美月、小林薫、南果歩、加瀬亮、あがた森魚、伊藤裕子、村上淳などのプロの俳優陣に混じって、
オーデションで選ばれた函館市民も数多く出演している。
プロと素人が混在した出演者から素晴らしい演技を引き出したのは、北海道出身の熊切和嘉監督。
見終わったときに、良質な純文学の短篇集を読み終わったような感じになったのは、原作の質の高さもさることながら、熊切監督の手腕に因るところ大である。
地方都市である函館から、このような傑作が生まれたことを嬉しく思う。
……映画を見ている間、私は「海炭市」の市民であった。


シアター・シエマにて、
6月10日(金)まで上映中。
10:00~/15:20~

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