一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』…エル・ファニングに逢いたくて…

2018年05月23日 | 映画


日本の女優では、
広瀬すず、小松菜奈、石井杏奈、蒼井優(他にも数名)の出演作はすべて見たいと思っている。
先日も、広瀬すずが出演している映画『ラプラスの魔女』(2018年5月4日公開)を見に行ったが、
残念ながらレビューを書くほどの作品ではなかった。(広瀬すずは悪くなかったが……)
たまにそういうこともある。
海外の女優では、
メリル・ストリープやエル・ファニングの出演作はすべて見たいと思っている。
で、先日、エル・ファニングの出演作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』を見た。
今年(2018年)の2月23日に公開された作品であるが、
佐賀では、シアターシエマで、5月中旬になってようやく公開された。
遅くなってもエル・ファニングの出演作を見ることができるのは、やはり嬉しい。
監督は、ソフィア・コッポラ。


本作は、第70回カンヌ国際映画祭で、
(ミヒャエル・ハネケやジャック・ドワイヨンら名だたる巨匠たちを抑え)
監督賞を受賞している。
女性としては56年ぶり、史上2人目という快挙だった。


そのソフィア・コッポラ監督作『SOMEWHERE』(2011年日本公開)にも出演していたエル・ファニング。
『SUPER 8/スーパーエイト』(2011年日本公開)でエル・ファニングを見初めて、
次に見た作品が『SOMEWHERE』だったのだが、
〈これからもエル・ファニングの出演作をずっと見ていこう〉
と決意した作品でもあった。
(両作品ともタイトルをクリックするとレビューが読めます)
7年前のレビューを読み返し、エル・ファニングの写真を見ると、
様々な思いが蘇ってくる。
まだ成長過程だが、
彼女の最近の映画を見ても、素晴らしい女優になっているのが判る。
〈エル・ファニングを応援してきて良かったな〉
とつくづく思う。
そんなエル・ファニングの最新作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』を、
私はワクワクしながら鑑賞したのだった。



1864年。
美しい鳥のさえずりが響くバージニア州の森には、
遠くから絶え間なく大砲の音が聞こえ、
3年目に突入した南北戦争が暗い影を落としていた。


キノコ狩りをしていた女子寄宿学園に通うエイミー(ウーナ・ローレンス)は、


傷を負った北軍兵士マクバニー(コリン・ファレル)を発見。


手当をするため学園へ連れ帰ることに。


マーサ・ファーンズワース女子学園は、
園長のマーサ(ニコール・キッドマン)、
教師のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)、
そして家に帰ることができない事情を抱えたエイミーをはじめ、
アリシア(エル・ファニング)、
ジェーン(アンガーリー・ライス)、
エミリー(エマ・ハワード)、
マリー(アディソン・リーケ)の5人の生徒が暮らしていた。


招かざる敵兵の出現にはじめこそ戸惑うものの、
キリスト教の教えに従い回復するまで面倒を見ることに。
男子禁制の学園で暮らしていた乙女たちは、
ワイルドでハンサムなマクバニーに興味津々。
早熟なアリシアは思わせぶりな視線を投げかけ、


エドウィナは肩の出たドレスを着てセクシーさをアピールし、


まだ幼いマリーまでが負けじとエドウィナの装飾品を黙って借りて着飾る始末。


園長のマーサはそんな彼女たちをたしなめるものの、
手当をするために久しぶりに触れた生身の男性の身体に、
彼女自身も胸の高鳴りを抑えきれずにいた。


手厚い看病を受けるマクバニーは、誠実な態度で信頼を勝ち取り、
7人全員から好意的に受け入れられるまでに。


ただし、誰にでも愛想を振りまき、
女性たちが自分に虜になることを楽しむかのような態度は、






秩序を保ってきた集団の歯車を次第に狂わせていく……




南北戦争期のアメリカ南部にある寄宿学園を舞台に、
負傷して運び込まれた北軍兵士をめぐって、
女性たちが情欲と嫉妬をむき出しにする……
このようにストーリーを紹介すると、映画ファンならば、
クリント・イーストウッド主演のドン・シーゲル監督作品『白い肌の異常な夜』(1971年)を思い出す人が多いことだろう。




『白い肌の異常な夜』とはスゴイ邦題だが、(笑)
原作は、トーマス・カリナンの小説『The Beguiled』。
【The Beguiled】には、
「楽しませる」「喜ばせる」「接待する」などという意味と、
「騙す」「欺く」「紛らわせる」というようなまるっきり違う意味もあるらしい。
両方の意味を持つ作品なので、
『白い肌の異常な夜』も『欲望のめざめ』も邦題としてはあまり相応しくないような気がするので、
『The Beguiled/ビガイルド』だけでも良かったかもしれない。
私など、「紛らわせる」という意味から『息抜き』『暇つぶし』というようなタイトルが好みだが、
それはそれでとても恐い気がする。(笑)
『白い肌の異常な夜』が男性視点で描かれていたのに対し、
ソフィア・コッポラ監督は、女性視点で描くことに注力することによって、
『白い肌の異常な夜』の単なるリメイクになるのを避け、
ストーリーは同じでも、『白い肌の異常な夜』とは違った作品にしている。


女性たちの映像が美しく、
ファッションが美しく、
仕草が美しく、
言葉遣いまでが美しい。
美しいが故に、
赤裸々にあぶり出される女性たりの欲望や嫉妬が蠱惑的で、
見る者を耽美的な世界へと誘ってくれ、
ソフィア・コッポラ監督の独自の世界を創り上げている。
第70回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞するだけのことはあるなと思った。



マーサ・ファーンズワース女子学園・園長のマーサを演じたニコール・キッドマン。


1967年6月20日生まれなので、現在50歳。(2018年5月現在)
〈かのニコール・キッドマンも50代になったか……〉
と感慨深いが、
50代になっても凛とした美しさは変わらない。


『パーティで女の子に話しかけるには』でもエル・ファニングと共演していたが、
あのときは、パンクロッカーたちを束ねるボス的存在の女性の役で、
ド派手なメイクで、見る者の度肝を抜く演技をしていた。
これが実に格好良かった。
『パーティで女の子に話しかけるには』のジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、

キッドマンの私生活はむしろ保守的な気さえするが、演技となると話が違う。いつも冒険したがっていて、それまでとは別のことにチャレンジする。監督選びも独特で、ラース・フォン・トリアーからパク・チャヌクまで個性的な監督の作品に好んで出ているし、脇役でも興味があれば出演する。次にどんな人と組んだらおもしろいのかをいつも考える。そんな挑戦をしている女性は、たぶん彼女とイザベル・ユペールくらいじゃないかな。ギャラとか名声にはこだわらないし、外見も気にしていない。(『キネマ旬報』2017年12月上旬号)

と語っていたが、
『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』では、
『パーティで女の子に話しかけるには』とは真逆の役柄で、
古風で、頑なな性格で、それ故に己の欲望に戸惑いをみせる女性を、
実に繊細に演じていた。



教師のエドウィナを演じたキルスティン・ダンスト。


キルスティン・ダンストで思い出すのは、
第64回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した『メランコリア』(2011年)という映画なのだが、


これが実に不思議な映画だった。
地球に巨大な惑星が接近中という異様な設定の中、
タイトル通り憂鬱な精神状態の花嫁が、精神崩壊していく様を描いた物語で、
「己の終わり」が「地球の終わり」と重なり、
衝撃的なエンディングを迎えるのだ。
鬼才ラース・フォン・トリアーが、
鬱病でにっちもさっちもいかない時期に構想し、創り上げた映画なので、
すべてがぶっ飛んでいて、レビューを書きたいのだが、書けなかった作品であった。
キルスティン・ダンストは、
子役時代を経て、『スパイダーマン』シリーズ(2002年~2007年)でヒロインを演じるなど、
アイドル的なイメージであったが、
2008年2月にアルコール依存治療のため、ユタ州にあるリハビリ施設に入所。
入所理由は薬物治療ではなく、鬱状態の治療のためだったらしいが、
そんな状態のキルスティン・ダンストが演じた『メランコリア』は、
強く印象に残る作品で、キルスティン・ダンストという女優が特別な存在になった作品であった。


キルスティン・ダンストは、
1982年4月30日生まれなので、36歳になったばかり。(2018年5月現在)
しかし、本作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』では、もっと老けて見えた。
役作りでそうしたのかもしれないが、若々しさがまったくなかった。
女性としての魅力が乏しかった。
そんなキルスティン・ダンストが演じる教師のエドウィナは、
傷を負った北軍兵士マクバニー(コリン・ファレル)に最も積極的で、


それでいて何を考えているのか解らないような茫洋としたところもあり、
キルスティン・ダンストが創り上げたその謎めいた女性像が秀逸であった。



早熟な少女・アリシアを演じたエル・ファニング。


私としては、エル・ファニングの出演シーンがもっとたくさんあると思っていたのだが、
意外に少なく、(私の期待が大きい分、そう感じてしまったのかもしれないが……)
もっと彼女を見ていたかったというのが、正直な感想。
とは言え、少なく感じたその出演シーンの中で、
きっちりアリシアという少女を演じ切っているのは「さすが!」と思わされた。


エル・ファニングがソフィア・コッポラ監督作品『SOMEWHERE』にも出演していたことは先程書いたが、
あれから7年ほど経っており、随分と大人になった。
私は子役時代から見ているが、女優として順調に成長しているのが嬉しい。


『パーティで女の子に話しかけるには』のジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、

彼女の世代ではベストな女優だと思う。(中略)女優としては本物のプロ精神を持っていて、ナルシスティックなところがまるでない。ずうっとショービジネスで育った子役出身の女優にはどこか常識からずれたところがあるけれど、彼女はすごくノーマルで、彼女みたいな人は珍しいと思う。(『キネマ旬報』2017年12月上旬号)

と語っていたが、私もそう思う。
今後もエル・ファニングの出演作を見続けていくつもりでいるが、
私よりも40歳以上も年下なので、
彼女の生涯における全出演作を見ることができないのが残念だ。
それでも、いつまでも見ていたいと思わせる女優に出逢えたことは、
私の人生においては大きな収穫である。
そんな女優に出逢えた幸運に感謝したい。



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