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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2012年12月23日も、栃木県鹿沼市の石仏めぐりに出かけました

2012年12月24日 | Weblog



 今回から、鹿沼市の近世宝篋印塔の纏めが出来たので、今度は本気になっての鹿沼市未調査地区の洗い出しと、2000年以前に調査した碑塔の再確認作業として出かけます。その手始めとして、自宅からは近い鹿沼市南部の東部地区へ入りました。最初は日光奈良部町と上奈良部町が、前回までに終了したのでその続きとして下奈良部町へ行きました。この地区は、2000年以前に何度か訪れながら一部を覗いただけで調査してしていない地区だが、碑塔のある場所は分かっている。したがって、朝から順調に調査作業が進みました。でも、一箇所の共同墓地内にて、崩れかけた近世宝篋印塔を見逃していたのに気づき早速見てみると、そこには宝篋印陀羅尼経からの掲文が簡単ながら刻まれている。せっかく纏め終えたというのに、1基追加である。面倒だが、水洗いをして全文を記録する。
 その後は、隣の南上野町から大和田町、さらに藤江町へと進んで最後は楡木町の雷電神社へ行き、ここで銘文の読めない石仏を手拓して本日の石仏巡りを終了する。結果的には、本日の再調査を含めて記録を取った石仏は34基でした。
 上記に掲載した写真は、1995年に藤江町で初めて見つけた男体山碑(写真右側の赤い前掛けが十重二十重に巻かれている台座に銘文が刻まれている)です。暫くぶりに見てみると、台座の下部に剥離が見られ、このままでは近いうちに読めなくなるのは確実と思い、台座三面を写真にとって記録として残しておくことにしました。紀年銘は天明四年とあるので、男体山碑としては古い方になります。
 さて、今年も後わずかです。年内に残っている仕事は26日で終わり。年末は、今年最後の石仏巡りとしてどこかへ行く予定ですが、それも天候次第と言ったところです。それにしても今日などは雪雲が日光方面から次から次へ流れ来て、いつ宇都宮でも雪が降り出してもおかしくない天候。つくづく、昨日に石仏巡りに出かけて良かったと空を見上げながらこれをパソコンに打ち込んでいます。そしてこの後は、昨日の写真整理等でもしようと思っています。