石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

石造物の拓本採り方の色々とその私の考え方10 佐野市閑馬町の千躰庚申山最後の調査終了。

2021年05月27日 | Weblog

約、調査開始から1年半ほどかけた千躰庚申山の最終確認のために為していた拓本採りも、今回で最終を迎えました。そこで今回は、特別にお世話になった山口氏と共に山へ登り、表口から登る山頂直下の庚申塔で手拓が残っていたものや紀年銘に確信が持てないのを二人で一緒になって拓本採りを行いました。一日をかけて4基のみの手拓と2基の紀年銘確認作業という有様ですが、成果は上々で今までは氏名がありそうだが無視していた庚申塔に紀年銘の存在を確認出来ながらも読めなかったもの、やはり奉納者の名前があるのを確認していながら、独りではどうにも大きくて動かせない庚申塔を、山口氏の力を借りて裏面迄手拓出来ました。全く、ありがたいことです。感謝感激のまま、これで最終回とする庚申山を意気揚々と鶉坂口から下山することにしました。後は、天候などの都合により、行くところが無くなった時には今回の一年半を過ごした庚申山を懐かしんで時々訪れることにしましょう。
 そして、私が今回のこのブログにて言いたかったのは、拓本を採ることの本来の目的は何だったのだるか?という事です。くどくどとは言いませんが、拓本だからこそ出来るアナログ的な最高の複写方法は何のために活用すべきかということに尽きましょう。その技法継承が今や風前の灯です。見てくれだけの手拓方法論や見栄えの良い拓本を採ることだけが、手拓の本来の目的ではなかったはずです。そんな事柄に気付いてくれた方がもしもいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。また、興味本位でなく本気になって拓本技術を習得したい(特に若い)方からの連絡も歓迎です。

さて、その最終回の庚申山で手拓した第一番目のご紹介庚申塔は、表口から登る山頂直下の西側212番目にある庚申塔です。下部は土中に埋もれているのだが、手拓となるとその下部の埋もれている個所を出来るだけ掘らなければならず、それに結構時間がかかりました。また、その庚申塔の裏面には紀年銘と奉納者名が刻まれているのだが、独りでは動かすことが出来ないが、今回は山口氏が一緒ということで、表面を手拓後に二人で何とか動かしてその裏面も採拓することが出来ました。とは言え、相変わらず自然石の表面を加工せずに文字を彫り込んであるので、それを手拓するとなるとそれはもう大変な作業です。裏面などは特に酷く、何とか山口氏との共同作業で墨入れ迄完了しましたが…。

次は、この表口から山頂にあと一歩といったところにある庚申塔です。高さは70㎝あるのだが、幅は17.5cmという細長さ。加えて表面は全体に細かにひび割れています。所謂、文字だかヒビなのか判読するに非常に難儀する庚申塔ですから、見た目には誰もが文字などあるなど精査出来ぬまま表面の「庚申」という文字だけを読んで終わりにしてしまいます。それを今回は、根性の一言で解読しようと挑戦しました。そして何事も勉強勉強というわけで、墨入れ迄を山口氏に一任して仕上げました。そんな、文字解読に興味のある方は是非に現地で解読に挑戦してみてください。ちなみに、私たちが読んだのは「守田■■右エ門」だけで、二字?は降参しました。

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石造物の拓本採り方の色々とその私の考え方09

2021年05月17日 | Weblog

今年は異常気象なのでしょうか? 早くも今週からは毎日梅雨に入ったような天候が続いています。庚申塔などの小さな石造物ではなく、本格的な石碑拓本採りには絶好の、空は曇り空で風もなくこの日を待っていたかのような拓本日和です。その合間に、もう少しで現在進行中の、佐野市閑馬町千躰庚申山の拓本採りが終了予定なので、今回はその中から2基だけですが画像ご紹介としました。
最初は、庚申山表口から登る参道東側12番目にある庚申塔です。サイズは高98.0×幅35.0cmの自然石庚申塔ですが、ご覧のように早くも夏草に背丈が負けそうです。当地では、素直?な庚申塔なのと、天保10年紀年銘塔なので今回最初の拓本として採ることにしました。その手拓前の光景と拓本画像です。勿論その前に周囲の草刈りと、蒸し暑い中での穴掘りで土中部分の箇所をスコップで掘り下げました。

次は、同じ東側の40番目に出てくる庚申塔の手拓です。サイズは高43.0×幅32.0cmと、小ぶりな自然石庚申塔です。しかしこの庚申塔、拓本を採ろうとすると少々厄介なことがあります。それは、中央がすり鉢状に凹んでいることです。素直にそのまま画仙紙を水張しようとすると、必ず数か所に大きなシワ(たるみ)が出来てしまい、そのまま進めると拓本画像としては見られない、酷い状態の仕上がりとなってしまいます。このような自然石の手拓においては、最初の水張の時に中央から始めます。そうすると否応なしに周囲にシワが生まれますので、そのシワ(たるみ)の生まれた個所を手でもって意識的に破ります。勿論、シワの部分となる箇所の画仙紙は余りますので、それを上手く重ね合わせて綺麗に水張します。順次、これをシワの生まれた他の箇所にも施して水張すれば、見た目にはシワのない綺麗な水張状態になると思います。画像2番目をご覧ください。その状態で墨入れを終えた写真です。そうそう、そのシワ部分となる箇所の破き方は、ナイフやハサミ等を使わず、水に濡れた状態の画仙紙をビリビリと画仙紙の繊維が生まれる状態で破って下さい。後で、修復するときに非常に有効な手段ですので…。三枚目の写真は、その墨入れの終わったものを地面に広げて撮影しました。この庚申塔では、少なくも三か所の大きな破れを作っていることが判るでしょう。その代わり、皆様が一般に作ってしまう水張時のシワは一本もありませんので、後で修正すれば綺麗な拓本となります。今回はここまでです。本当なら、こうして文字で書いても、それを実際に行うのとはずいぶんズレが生じます。近くなら、参加できる人には直接手を取って教えられるのですが今の世の中の情勢ではそれも叶えません。

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石造物の拓本採り方の色々とその私の考え方08

2021年05月11日 | Weblog

今回も、又しても今までと同じで、拓本など採る必要もなさそうな庚申塔を相手にして過ごしてきました。これこそ、誰も拓本を採ろうと等は思いもしない庚申塔であるが、だからこそ後世に現状を残したいために手拓するのである。2~300年後に一人でも良いから当地の庚申塔に興味を以て調査しようと考えたご仁が現れることを願って!。さて今回は、初めから一枚の画仙紙ではどうもがいても採れないことが判っているので、初めから用紙を半分にしての水張です。そして始めて見れば、それでも用紙が大きすぎてしまい、更にその半分でも大きすぎることを納得しましたが、もう始まってしまったのでそのまま続行。そうそう、今回の庚申塔サイズは、高さが73㎝、幅が43㎝です。高さが足りないサイズの画仙紙を用意してしまったので、下部が一部はみ出てしまいました(笑)。そしていつものことながら、今回も水張りした画仙紙を指で破るために来たのかと疑う位に、石碑本体の歪みと凸凹に合わせて破りまくりましての水張となり、それはもう完全に破れ紙の張り合わせ状態です。加えて、それから更に凸凹箇所の水張ですから、ホントッもう完全に誰が見ても破れ紙同然です。写真では、その破れ箇所全ては見えませんッ!。それを馬鹿丁寧に墨入れしてから同じ作業を下部にも施し、ボリボリになった画仙紙に墨入れが終わった時には2時間半が過ぎていました。今回は更にもう一基、同様な石質状態の庚申塔の拓本を採りました。朝の8時から初めて終わったのは12時半。お腹が空いた以上に、中腰での作業連続で体はクタクタ、休憩用のブルーシートの上に倒れこみ、兎に角一休みでした。
午後の部は、小さく手拓しやすい庚申塔を中心にして作業し、何とか今日一日の成果目標とした9基を連続して夕方5時過ぎまで頑張って達成しました。それでも、帰宅してから見てみれば完全に拓本としてはアウト的な下手な拓本が一基、また左側面の紀年銘等の手拓忘れが一基あり、何ということだと苦笑するだけでした。また折角手拓したのに、その目的のために手拓したものの、肝心な文字の存在を確認しただけで読めない。読めなければ話にならないので、次回もまたこの庚申塔を相手に銘文解読のための戦いを挑むことになりそうである。今回の解読は難しく、かなりの奉納者氏名部分の手拓を何度も繰り返さなければならないだろう。嗚呼、気が重い次回である。

次は、帰宅してから修正して仕上げた拓本画像である。拓本というには、かなり苦しい姿であるが…。

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石造物の拓本採り方の色々とその私の考え方07

2021年05月05日 | Weblog

今回も相変わらず普通の拓本趣味の方なら、およそ手拓しようとなど考えもしない庚申塔の手拓画像紹介です。はじめに、その全景写真を掲載してからそれを手拓終えた段階で撮影した手拓写真を掲載しました。この庚申塔を奉納した川田忠衛エ門という方は、当地に三基あるのですが、その3基とも、同質の石材を利用しています。よほど、この石材に関心を持った方だと推察していますが、その庚申塔に刻まれた文字を読まなければならない者にとっては難儀な代物です。そしてそれを拓本にしようとする者は、今度はその細かく無数にひび割れた状態に頭を抱えてしまいます。仕方がないので、直径1センチ程の小さなタンポで時間を掛け、丁寧に丁寧に何度も墨入れしました。そして墨入れが終えた段階で、今回はそれをそのまま写真に採りました。画仙紙の余計な所は全部削除しての写真です。濡れたままの画仙紙を地面に置いての撮影なので、一部にゆがみがはある所はお許しください。今回は、前回に当地の鶉坂庚申塔群中の手拓忘れ庚申塔2基を朝の8時から手拓し、それからこの庚申塔等のある場所へ移動して作業に入りました。今回の予定では、15基の庚申塔拓本を採る計算でしたが、山の中では夕方の4時半までが限度と諦めて終了したので、今回も2基を残しての帰宅となりました。今回は全紙1枚を使っての手拓等と大きな自然石庚申塔があって、建っているままの拓本採り(当然ながら、下部部分はスコップでの掘り出しが必要で、これがまた時間のかかる作業です)が多くなり意外と時間がかかり、前回に続いての2基残しです。それでも、今回のを含めて150基程の手拓が終えたので、帰宅してから未拓本の庚申塔を数えたら残りは約40基程になりました。何とか、今月中に現在進行中の千躰庚申山の拓本採りを終了したいと甘い考えでいます。まあ、いずれにしても先が見えてきたのでここが頑張り所かと思っていますが、毎回夢中でロクな休みを取らずに手拓作業を続けているので体力が持たずに持病の腰痛が始まったようです。と、独りでぼやいています。それでは、今回の私以外には無駄な拓本画像などをご覧になって笑ってください。そうそう、「庚申」文字の左側下に「川田忠右エ門」の文字が読めましたら拍手喝采です。

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石造物の拓本採り方の色々とその私の考え方06

2021年05月02日 | Weblog

ここのところ何かと忙しくしていましてブログはお休みしていましたが、またしても庚申塔拓本のご紹介です。今まで同様に、今回も拓本採りを趣味にしている方なら、絶対に「そんな拓本はタダでもいらない!・お金を払うと言っても採りたくもない」という代物です。しかし、私にとっては今のうちにそれを記録として写真ではなく拓本で残しておきたいと、敢えて挑戦しました。そして馬鹿らしいような時間を要して手拓しましたが、その出来栄えは採る前から分かっていましたのでガッカリもしません。むしろ、よくぞ後世に残す資料を増やしたと、自画自賛しています。それほど、この庚申塔は当地の庚申塔群の中でも最悪の状態です。高さは94.0㎝で横幅は52.0㎝。勿論、大人三人でもビクともしない重さです。それゆえに、本来なら立てて置きたいのだがどうしようもなく横倒しのままです。また見た目が非常に悪く、普通の庚申塔調査なら見逃してしまいそうな庚申塔です。しかもその状態はボロボロの有様で、一見しただけではとても庚申塔とは思えない状態です。
当然ながら、手拓前の、水張りをしただけで画仙紙はボロボロ、紙が水と馴染んできてから刷毛で丁寧に張り付けてもその表面の凹凸等の酷さに益々画仙紙はボロボロ。それでも我慢比べで墨入れの状態までに持っていきましたが、墨入れでまたしても画仙紙はボロボロ。勿論、一枚の画仙紙では水張りさえままならぬのが分かっていたので、上下二枚に分けて手拓しました。自宅へ帰ってきてから、またその修正やら補修に膨大な時間を費やす羽目になったのは言うまでもありません。10㎝四方位の小さな画仙紙で一か所ずつ細かく採拓するならもう少しましな拓本が取れただろうが、その根性なしの私にはこれが限度と諦めました。
今回は、8時半には本日最初の仕事としてこれを選んだが、終わってみれば2時間半ほど費やしたことになる。何ということだと自嘲しながら、その後は精力的に夢中で次から次へと手拓作業に入り、昼食時間も口にパンを加えたまま午後4時半まで続けて何とか今回予定していた13基を採り終えました。疲れで足と腰がいうことを聞かなくなり、フラフラしながら車まで到着し、そのまま面倒なので帰宅しました。それから二日経った今も、足と腰はシビレが来ています。今週中頃には、またしても庚申山へ入ろうと思っているのに!。帰宅してから、今回の成果を確認したら、何ということはない、2基も手拓忘れの庚申塔が出てきました。次回は、それを片付けてからの話です。次回も、大変な拓本採りが待っているというのに!嗚呼、嬉しさで?泣けてくる!!
下のカラー写真は、水をたっぷりと含ませてから採りましたのではっきりと「庚申」の文字は読めますが、奉納者二名の氏名は存在そのものまで確認が難しい状態です。下部は欠損のために指名全部は読めません。残念!

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