石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

旧今市市吉沢地区の「吉澤里民富庶之記」の銘文と拓本を掲載しました。

2018年11月28日 | Weblog

先週末は、どこへも行かずに部屋に閉じこもっていましたので、11月10日に調査した石碑清書が終了しました。このブログへ11月21日に写真だけ掲載したものです。銘文は、揮毫されている小篆?文字を作字してみようかとも思いましたが、今回は面倒が先に立って現代明朝文字で記しました。結果的には、やはり拓本と見比べると格の違いがはっきりします。ここの所、江戸期の銘文ばかりを清書していたので作成するには楽だったのだが、やはりこうして並べると気に入らず作り直そうかと迷っている所です。しかし、室内を見渡せばまだまだ未処理の銘文拓本が沢山あるので、今回は取り敢えずここで終了としました。また、読み下しは明治期とあって易しいので省略です。本心は、その時間を他に回したいからです(笑)。



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今年の夏休み宿題、「今市市の地震災害碑」を一冊に纏めました

2018年11月25日 | Weblog

今夏から始めた昭和24年12月26日に発生した、今市地震災害碑全9基を冊子(40頁でA4サイズ・モノクロ、コピー自家製本)として纏め製本が完成しました。調査等で地元の皆様にお世話になりました方々に提出するのが目的なので、製本部数は20部に満たない数です。



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20日に調査した、栃木県旧馬頭町の個人顕彰碑「飯塚壽山翁碑」の写真のみ掲載

2018年11月23日 | Weblog

高さが2メートルに満たない石碑ながら、銘文は750文字に及ぶ長文。篆額は、榎本武揚が揮毫し、撰文は彼と共に函館戦争で戦った人見勝太郎(人見寧)で、銘文を揮毫したのは野口雨情の伯父である野口勝一という、この時代の著名な三人である。銘文は、まだ初回の清書を終えたばかりなので掲載出来ないが、今年中には作成したいと思っている。そんな素読ながら、結構楽しめた物語である。なおこの碑文は、旧馬頭町で一冊の本の中に収録されているが、それは誤字脱字にヌケ文字が沢山あって、失礼ながら相変わらずの役所作成報告書に思わず失笑してしまう。いずれにせよ、それを正すためにも最終的な清書が出来上がったらここへ掲載するつもりでいる。

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旧今市市の関東大震災供養塔のもう一基のご紹介を忘れていました。

2018年11月01日 | Weblog

これは、以前に旧今市市平ケ崎、徳性院に所在する「関東大震災」供養塔の写真は10月7日頃に掲載したものの、もう一基の方も10月13日に調査済で忘れていましたので、慌てて作成してあるのを画像化して掲載しました。御笑覧下さい。

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