2009年5月30日も、執念で栃木県今市市の石仏巡りに出かけました。最初に行ったのは、山口地区の滝尾神社、着くと直ぐに雨が降り出し、こりゃ~今日の石仏巡りはヤバイかなと思いましたが、本殿前に鎮座している狛犬を見ている内に、その雨も止んでしまいました。当然今日は、雨に降られると思いつつも出かけてきたので「こりゃ~、もうけものだ」と、雨なら車を降りずに石碑類の所在地探しのつもりだったのを、その後は本格的な石仏調査に目的を変更しました。
そして隣の根室地区へ入り、早速訪れた高おかみ神社で貞享四年銘の鳥居に出会いました。今回も、早々に江戸前期の鳥居に出会えた喜びで境内を更に注意してみると、境内で初めてその存在に気付いた「男體山」碑があり、嬉しさの余り飛び上がってしまいました。過去に、栃木県内全域を駆けめぐって「男體山碑」を探し回ったのに、まだまだ調査が甘いことを実感しました。当然ここでも狛犬を見てみると、最初の滝尾神社の狛犬と同じように、阿形の狛犬の股間に男性性器があるのを見つけ、「へぇ~、このあたりでは狛犬に性器をつけているのだ」と、変なところで感心しました。その後、内を一巡りすると、1990年代に見た六体六地蔵が田圃の畦道から道路沿いに移されていて、その全体の雰囲気が良かった姿ももう写真に撮れないのを残念に思いました。
次に、薄井沢地区へ入る。山の中に庚申塚があるというので、車を止めて山へ入ろうとすると、ヤマカガシを踏みそうになる。踏まれては大変と、急いで逃げる蛇の方を見ると、その先の森の中に庚申塔が並んでいるのが見え、「オオ、蛇に牽かれて庚申塔巡り」か、と独り笑ってしまいました。勿論ここで、昭和庚申年塔を含む庚申塔を調査下のは言うまでもありません。
よし、こうなったらまだ見つからない大室地区の庚申塚を探そうとなって、あちこちを覗きながら移動しているうちに、矢野口の庚申塚がある山の中へ迷い込む。結果的にこれは後で判ったことなのだが、その森の東側は矢野口地区であり西側は大室地区。当地域では、庚申塚を気付く場所は隣り地区との境にある森の中なので、矢野口の庚申塚が大室との境であるのだから、反対になって見れば大室地区の庚申塚もその森の中にあって良いことになる。そして結果的にはその通りで、矢野口の庚申塚から西側の森の中へ薮と立ち木を分けつつ突入してみれば、やはり大室地区の庚申塚がありそこには元文・寛政・万延・大正・昭和の五基の庚申塔が建立されていました。もっとも、その代償として身体は蜘蛛の巣だらけに、衣服には何匹もの毛虫が付いていましたが…。
その後も、あちこちの山の中へ潜っての庚申塚探し。しかしその成果は芳しくなく、新しく見つけられた庚申塚は2箇所のみだった。そして午後も3時となり、相変わらず蜘蛛の巣と戦いながら出会ったのは、悲しいかな蛇さん達という頃に突然の大雨が降り出す。急いで山の中から抜けだし、車へ戻った頃にはびしょ濡れとなり、完全に石仏巡りの気分はそがれてそのまま帰宅とあいなった。まあ、それでも今回も新たな男體山碑に出会うなど、それなりの嬉しい成果があったので今日の雨が降ると判っていて出かけた甲斐があるというものである。
そして隣の根室地区へ入り、早速訪れた高おかみ神社で貞享四年銘の鳥居に出会いました。今回も、早々に江戸前期の鳥居に出会えた喜びで境内を更に注意してみると、境内で初めてその存在に気付いた「男體山」碑があり、嬉しさの余り飛び上がってしまいました。過去に、栃木県内全域を駆けめぐって「男體山碑」を探し回ったのに、まだまだ調査が甘いことを実感しました。当然ここでも狛犬を見てみると、最初の滝尾神社の狛犬と同じように、阿形の狛犬の股間に男性性器があるのを見つけ、「へぇ~、このあたりでは狛犬に性器をつけているのだ」と、変なところで感心しました。その後、内を一巡りすると、1990年代に見た六体六地蔵が田圃の畦道から道路沿いに移されていて、その全体の雰囲気が良かった姿ももう写真に撮れないのを残念に思いました。
次に、薄井沢地区へ入る。山の中に庚申塚があるというので、車を止めて山へ入ろうとすると、ヤマカガシを踏みそうになる。踏まれては大変と、急いで逃げる蛇の方を見ると、その先の森の中に庚申塔が並んでいるのが見え、「オオ、蛇に牽かれて庚申塔巡り」か、と独り笑ってしまいました。勿論ここで、昭和庚申年塔を含む庚申塔を調査下のは言うまでもありません。
よし、こうなったらまだ見つからない大室地区の庚申塚を探そうとなって、あちこちを覗きながら移動しているうちに、矢野口の庚申塚がある山の中へ迷い込む。結果的にこれは後で判ったことなのだが、その森の東側は矢野口地区であり西側は大室地区。当地域では、庚申塚を気付く場所は隣り地区との境にある森の中なので、矢野口の庚申塚が大室との境であるのだから、反対になって見れば大室地区の庚申塚もその森の中にあって良いことになる。そして結果的にはその通りで、矢野口の庚申塚から西側の森の中へ薮と立ち木を分けつつ突入してみれば、やはり大室地区の庚申塚がありそこには元文・寛政・万延・大正・昭和の五基の庚申塔が建立されていました。もっとも、その代償として身体は蜘蛛の巣だらけに、衣服には何匹もの毛虫が付いていましたが…。
その後も、あちこちの山の中へ潜っての庚申塚探し。しかしその成果は芳しくなく、新しく見つけられた庚申塚は2箇所のみだった。そして午後も3時となり、相変わらず蜘蛛の巣と戦いながら出会ったのは、悲しいかな蛇さん達という頃に突然の大雨が降り出す。急いで山の中から抜けだし、車へ戻った頃にはびしょ濡れとなり、完全に石仏巡りの気分はそがれてそのまま帰宅とあいなった。まあ、それでも今回も新たな男體山碑に出会うなど、それなりの嬉しい成果があったので今日の雨が降ると判っていて出かけた甲斐があるというものである。