栃木県旧石橋町(現・下野市)の石仏調査は、かつて庚申塔や石幢六地蔵調査のために訪れて以来で、約20年ぶりとなる。もちろん、その他の石仏はついでに数10基を調べただけで、ほとんど空白地帯でした。そこで今回は、しばらくぶりにそんな私にとっての空白地域を訪ねるのも悪くはないかと行きましたが、そのほとんどは、個人宅で祀っている家畜塔がほとんど。そして訪れた神社の数は6箇所で、その全ての神社に狛犬があり、合計で8組でした。もちろんその狛犬たちは最も古くて明治時代と言うありさまで、私にとっては全体的に面白くない石仏調査でした。
こんなことを記すと、佐野市の山口氏の士気を失わせてしまいそうだが…。
それでも慰め的に、時々享保三年銘の地蔵さんや十九夜念仏塔に出会えました。そんな中で、これは多分全国的にも初めてではないかという、神道による祖霊拝詞の最初に出てくる「遠都(トホツ)祖霊」という石塔に出会いました。もっとも、それを目にしても、一般的には何のことか分からないので完全に無視されているのかもしれませんが…。
もちろん、その意味は広辞苑等にも出ていませんので、理解しろという方が無理です。そんな、私にとってはお宝的な栃木県内での石塔に出会ったので、まあこれ1基をもって今回の石橋町の石仏巡りは大満足と致しましょう。そして次回、また懲りずに石橋町へ入ろうか、それとも毎年恒例の雲竜渓谷へ入ろうかと思っていますが、それは雪山へ入る体力(この頃、急激な体力減退を認識しているので、単独入山に気が重い)と、その時の天候次第と気分次第ということになるでしょう。
今回は、そんな訳で「遠都祖霊」碑をご覧に入れますので、もしこんな文字塔に出会いましたら関心を持ってください。