石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を出来る限り拓本を採りながら行っています。投稿は、実名でお願いいたします。

2011年3月27日、宇都宮市の石仏巡り

2011年03月27日 | Weblog

 まもなく四月になろうというのに、毎日冷たい風が吹いています。特に昨日は風が強かったので、石仏巡りどころではないので今日の日曜日に変更し、相変わらず宇都宮市内の石仏巡りに行きました。といっても、寒さが身にしみるので本当は自転車で旧市街地へ行くつもりでしたが、車で行くことにしました。行き先は、1990年代に巡った岩曽町から川俣町、下川俣町周辺ですから、自宅からは近い地域です。過去の調査の再確認と写真撮影ですから暢気なもので、訪ねた寺院では住職さんと話し込んだりして余り調査は進みませんでした。
さて、今回の写真はそんな川俣町の高おかみ神社で見た狛犬です。平成になってから奉納されたものなのですが、その狛犬の土台がご覧のように動いてしまっていました。地元の方に話を聞いたところ、本体の狛犬も落ちてしまったので皆で持ち上げて据え付け直したが、その土台は氏子の人たちの力だけではどうにもならず、そのままにしていると言うことです。道理で、狛犬の台座周辺に新しい傷があったのです。いずれ機会を見つけて直すとのことですが、暫くはこの状態のままになりそうです。また、お寺さんでは大きな層塔が倒れてしまったり、墓石のいくつかが倒れて割れてしまったそうで困っていました。そんな訳で、三週続けての当地の石造物倒壊の写真ばかり掲載してしまいました。そうそう、それと下川俣町の高おかみ神社境内にある、元文年間の大きな退蔵界大日如来像も台座から落ちて地面に転がっていました。像容が素晴らしいのに、残念なことです。いずれにせよ、当分は石仏巡りに出かける度にこのような石造物の倒壊現場を目にすることでしょう。
 それにしても、毎日の報道は福島原発が主流を占めていますが、それはある意味で人災。もっともっと、津波による自然の猛威にさらされた被災者の方たちの現況を知りたいと思っているのは私だけなのでしょうか。特に、ラジオが主たる情報源の私としては、NHKをかけても高校野球ばかりが流れていて、少しも欲しい情報が入りません。NHKとして、本当にこの度の震災被害と高校野球との比重の重さを考えての放送なのだろうかと、少なからずガッカリしています。
 ガンバレッ、被災者の皆様。私も多くの皆様と同じく、皆様を応援しています。
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2011年3月20日、宇都宮市の石仏巡り

2011年03月21日 | Weblog

 何となく石仏巡りに出かけるのは気が重いが、昨20日は自宅周辺の石仏巡りとしました。それも、今回は家内のママチャリを使っての石仏巡りでした。というのも、その前日19日にも近くの石仏巡りに出かけようと車を出したが、今回の大震災前からガソリンを入れてなかったのでカラに近く、先ずはガソリンを入れてからと普段利用しているガソリンスタンドへ八時前に向かえば、それは私の想像を絶するような車の行列で鹿沼インターチェンジへ向かう幹線道路は大渋滞。その全ての車がガソリンを入れるために並んでいたのです。その余りにもの混雑振りに「これじゃ、私の順番までにはガソリンが無くなるだろう」と思いつつも、底を尽き出した車にガソリンを入れないことには、私自身がどうにもならない。仕方なくその行列に並んだが、それから延々と待つこと五時間。つまり、私の車の順番になって給油が終わったのは午後も1時を過ぎていました。しかも、そのガソリンの量はたったの10リットル。それを、石仏巡りに使い切ってしまうのはもったいなさ過ぎると、そのまま帰宅してしまった。なにしろ、使い切ってしまえば火曜日からの平日の仕事に差し支えるからである。そこで、今回は自転車での自宅周辺の石仏巡りとなりました。回った地区は最初に鶴田町、次いで砥上町、下砥上町、足を伸ばして下欠町の四町でした。成果としては、壊れかけた近世宝篋印塔一基を含めて25基ばかりでしたが、まあまあ満足の行くものでした。それでも、今回の大震災の被害を多くの場所で見かけ、その中でもここへ掲載した写真のように、栃木県では古いほうに入る天明四年銘の「男体山」碑が、ものの見事に台座から落ちて倒れていました。幸いなことに、割れなかったのが何よりです。また、狛犬のほとんどはその台座からずれ、とんでもない方向を向いていて、動かせるものは皆もとの位置に戻しましたが、灯篭や石祠はどうにもなりませんでした。
 それにしても、自転車での石仏巡りは意外と体力が必要なことを実感しました。徒歩での石仏巡りより何倍も疲れた身体で帰宅し、家内に常日頃のなまけた体力を笑われてしまいました。しかし、自転車での石仏巡りは良いですね。どんなところも入れると、Uターンするのも簡単。但し、いい気になって飛ばしすぎると今回のように体力を使いすぎてしまいます(笑)それでも、自転車での石仏巡りの味をしめたので、次回からの宇都宮市街地の石仏巡りは自転車で行おうと、被災者の皆様には叱られそうですが思っているところです。
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2011年3月13日、宇都宮から被災の方々へ 他石仏巡り記

2011年03月14日 | Weblog

 11日の震災に遭われました方々に心からお見舞い申し上げます。幸いにも、災害から逃れられた自分達としては、義捐金や節電、生活の更なる見直し等、自分に出来ることは最大限実行中です。文字でのお見舞いなどは、空ろに聞こえることは百も承知ですが、それでも今伝えられる言葉はこれしかありません。とにかく、被災されました皆様の心情を自分達も出来るだけ自分の身に置き換えて心を痛めています。「私は、今生きている」ことを実感しまして、最小限でしょうがその「生きている、生かされたこと」に何ならかの意義を見出してください。そして、本当に小さいかも知れませんが、「生きている」事を大切にしてください。「生きていれば、いつか良いことがある」のことわざにありますよう、困ったことがありましたら、些細なことでもぜひご連絡ください。私たちだけで出来ないことは、みんなで助け合いたいと思っています。

さて、当地宇都宮市でも今度ばかりの地震には驚愕しました。幸いにも、私たちの身の回りには被害が及びませんでした。しかし、私の趣味としている野に置かれた「石造物」が心配になり、昨日13日の日曜日は自宅周辺の石仏やら神社を訪ねて来ました。その訪れた多くの神社では、石灯篭に石祠を中心にして倒壊しており、あらためてその振動の大きかったことを認識しました。中には、先週見たばかりの狛犬が90度回転しているのもありました。また、2メートルを越えるような大きな記念碑等も完全に倒壊している姿に接しました。
 最初に掲載した写真は、その中の灯篭が完全に倒壊した姿です。こうした物を見ると、これからの石仏巡りで幾つもの倒壊姿を見ることになるのでしょう。特に、高い台座の上に乗っている石造物の被害は大きいものがあります。狛犬なども、本体は大丈夫でもその台座は大きく崩れています。そんな、この大事の時に石仏巡りをしていると叱られそうですが、そんな心配をする者は少ないことでしょうから、お許しください。
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2011年3月05日、宇都宮市の石仏巡り

2011年03月07日 | Weblog

 今回も、宇都宮市西部地区の石仏巡りでしたが、何と言っても今回は狛犬に泣かされました。というのも、今日一日で狛犬との対面は八組という有様で、中でも宝木本町の宝国神社には参りました。そこには、合計で五組もの狛犬が待っていたからです。しかもその内の四組は江戸時代の物という有様で、私にとっての狛犬調査はついでのものだけに、困りましたが仕方なく時間をかけて全て調査記録を取りましたが、その中の一組だけは帰宅してから写真を見たら台座に石文(多分紀年銘でしょう)があったのを見逃してしまうと言う体たらくです。そんな、今回の狛犬の中から三組の片方だけを掲載しました。左端は、頭に擬宝珠を乗せているものですし、真ん中は文化九年銘の吽形の方の狛犬、そして右側は文化元年銘の大きな狛犬です。
 そして次に悩まされたのが宝篋印陀羅尼経の刻まれた近世宝篋印塔で、二基に出会ったのですが共に銘文は手拓を取らなくては何としても読めぬ代物。そのために、そこでも大幅な時間を浪費してしまいましたが、それでも一基は一面の願文が読めずに諦めました。そんなこんなで、今回は総数で36基のみの調査数に終わってしまい、しかもその内の多くは既に調査済みの再確認という有様でした。嗚呼、今回は面白くなかった!
 そんな、今回は面白くないものばかりの石造物調査となったので、午後2時過ぎからは前回までに逆光のため写真が撮れなかった碑塔を再訪しての写真取りをしたり、銘文のはっきりしない碑の手拓をしてから帰宅しました。その手拓によって、やはりそれは私にとって非常に興味ある碑となり、皮肉にもこれが本日最大の成果でした。
 これからは段々と町中に入るようになります。しかし、この辺で宇都宮市内の石仏巡りに飽きて来ました。そろそろ浮気心を起こして、他の地区へも出かけようかと思っているところです。次回はどうなるやらです。
※これを打ち込んでいる今3月7日の午前中、宇都宮市内は雪が大降りとなっています。これから仕事で外出するところなので、こりゃ~困ったと悩んでいるところです。
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