瀧澤龍雄による栃木県の石碑調査と石仏調査

栃木県内限定で石碑・石仏等の内容です。面倒ですので、所在地などの問い合わせには応じません。なお、実名で投稿してください。

下毛(栃木県)の延喜式神名帳に載っている、藤岡町の大前神社碑(先号は磯城宮)にある銘文について

2021年09月17日 | Weblog

只今は、栃木県藤岡町(今は栃木市と合併)の出身者である森 保定(森 士興・鷗村森etc)の撰文した栃木県内石碑を調査中で、その最終段階として地元である旧藤岡町へ通っています。
そして、タイトルにも一部記しました四角柱の一部にある「大前神社拝殿新築應募諸君姓名抜萃碑をどうにか調査が終わりましたので掲載します。
その前に、この石碑については2003年12月3日付けの「古田史学会報-59号」に「大前神社碑文検討応援記」としてその詳細がパソコンでも見られるようになっていました。今から20年も前に纏めたもので、凄いなと感心しきりです。
銘文は、拓本を採ったりやぶ蚊と闘いながら現地で解読を試みたようで、そのご苦労の程をご察し申し上げます。そして、銘文の一部に不読箇所やら間違い読みが、私の拙い手拓作業でも全文が読めましたので、それも下記のURLをコピーペーストして御笑覧方々、ご検討いただけたらと思います。
http://tochigikenpurunima.web.fc2.com/sekihi/gyousei-betu/tochigi_city/hujioka_oosaki_meibun.pdf

掲載した最初の画像は、全景写真です。銘文はこの写真では裏側にありますが、その面の中央に6行に渡って記されています。勿論、写真撮影では解読するのは非常に困難な状態です。

二枚目、次は私の読んだ銘文とその箇所の拓本です。この拓本では細かいところが読めないかもしれないと、上記に掲載したPDF画像をご覧ください。100%以上に拡大しても見られるようにしてありますので、そちらなら問題なく文字が見えると思います。

三枚目は、この石碑の全面拓本画像です。但し、この面は、現地の配置されている位置からは碑陰に当たります。正面と左右面は、醵金した金額と住まい地とその方の姓名が、小さな文字でびっしりと刻まれているだけです、また、銘文のある面にしてもその面の左右三分の二は同じく姓名等が刻まれていて、銘文はその面の中央に刻まれています。本気になって見ませんと、銘文があるのかさえも判らない状態です。

以上、興味のある方は興味があるのですが、一般の方は全く無視です。ちなみに藤岡町町史でさえ、この石碑は調査が抜けているようです。

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一昨日に掲載した内容に、一部不都合な箇所がありましたので、訂正しつつ画像を新しくしました。

2021年09月02日 | Weblog

8月31日に掲載しました「山士家翁碑」の銘文と拓本画像の一部に誤りや気に入らない所等があり、この二つ画像を本日新しくしました。但し、石碑写真はまだ再撮影が終えていないので、今月中には行って来るつもりです。今回は、特に拓本の文字がB5版で印刷すると余りにも縮小率が大きくて拓本文字が読めないことが判りましたので、面倒でも二日間を掛けて画像オペークを行いました。これで何とか読めるようになりました。またその下部にある語彙説明の一部に抜けと文字間違いがありましたので、これも修正しておきました。特に拓本は篆額から銘文最下部迄の高さが現物では236.0㎝あるのに、B5では15.5㎝にしなければならず、その縮小率は0.065です。さすがの拓本文字も、これでは小さくてそのままでは読めないのは当然だと印刷して実感しましたからです。苦笑!なお掲載したブログ画像は、JPGで1,920ピクセルです。

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今回は、栃木県藤岡町の江戸末期から明治にかけての教育者、山士家翁の碑文紹介です

2021年08月31日 | Weblog

この江戸末期から明治期にかけての下野都賀郡地区にて最も活躍した儒者は、鴎村・森 保定として異論のないところだが、その森 保定と同郷そして同じ時期に同じ郷師について学び、竹馬の友として一生を共に過ごした今回の山士家翁は、学問は勿論のことだが郷土愛に溢れた人物である。そして故郷を愛する心から地元を始めとして多くの役職を兼務しながら常に学業と産業殖産に尽力した人物である。今回のこの石碑は、その彼が亡くなってからの森 保定の撰文である。篆額揮毫者は、西郷隆盛の弟である西郷従道。そして銘文揮毫者は、彼の金井之恭という内容であり、それを刻したのは地元で名高い高瀬鶴皐という人々によって出来ている。その内容、いつもの森 保定節は余り見られず、いつもらしくない平易な文字使いでその業績などを詳しく紹介している。一人でも多くの人に、山士家翁について記憶に残してもらいたい心からだろうと思う。
しかし、その石碑はいわゆる巨碑の部類に入り、高さは321㎝。幅が116㎝という大きさであり、それを調査し拓本を採るにはさすがの私も難儀した代物である。正直言って、75歳を過ぎた老体独りで、このような大きな拓本を採るには無理がある話である。篆額から銘文最下部まででも236㎝もあるので、早朝の8時からの碑面掃除から始まって、半切用紙で7枚(篆額部分は全紙の三分の二サイズ)と裏面の交名部分の全紙1枚余の手拓が終了したのは夕方の6時半(その間は休みなく昼食もパン類を立ち食いしながら作業続行するという、ここ何年か振りでの精魂・体力を使い果たした作業であった。しかも今回に限って、携帯電話を家に忘れてきたので、帰宅がいつもより大幅に遅れることの連絡も出来ず、結果的には家内に余計な心配を掛けてしまった。
最初に、全景写真を掲載したが、この写真は再度の撮影し直しが必要である。次が銘文を作字文字で掲載したが、夏場は石碑調査にも出かけられないのでじっくりと構えて5日間×8時間作業で成し遂げた。その一見無駄な努力を拓本画像と共に御笑覧下さい。また、拓本をパソコンで取り込むのに、A4サイズで60画面に分けて作業をしましたが、これも結構大変な時間を要する作業でしたが、幸いなことに銘文が素直に読めた分だけ助かりましたが…。今年は、このような巨碑の手拓作業はしたくない気持ちでいたら、何と今度は佐野市内でまたしても森 保定撰文の巨碑に出会ってしまいました。しかもそれは上部が大木の枝に掛かっていて、それを伐採しなければ手拓出来ない有様。嗚呼、どうしようと今から悩んでいる次第です。誰か、助手となって手伝ってっくれる方の出現を心から望んでいる。(笑)

 

 

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先月11日に、佐野市で佐野城墟碑を調査しましたが、それを今頃になって報告掲載です

2021年08月07日 | Weblog

毎日が暑くて、なにもやる気がありません。と言っていたら始まらないので、一か月も前の石碑調査清書が全て終わりましたので掲載しました。兎に角、佐野城最後の関係者による撰文等なので御笑覧下さいましたら幸いです。

1枚目は、相変わらず1頁目の全景写真で、2枚目が銘文。そして三枚目が拓本画像です。今回の手拓作業は、兎に角暑かったので相棒の山口氏に手伝ってもらって何とか仕上げました。篆額部分は、山口氏が左側から墨入れ、私は右側からという合作です。いつの間にか、すっかり山口氏も墨入れが上手くなっているのに驚きでした。

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前回ご紹介の「水戸部翁碑」の銘文、其の後こころを入れ替えまして、書家の文字に準えて作成しました。

2021年07月20日 | Weblog

内容は前回に少し記しましたように、私にとっては碑文調査に対して悩みましたついでに、いつものように銘文清書も単なる現代明朝体で記して掲載しました。しかし考えてみると、これを依頼された書家には何の責任もないことであり、この時代の名を成した書家が揮毫しているのでそうそう無偈にするわけにも行かないと反省し、約5日間を掛けてもう一度初めからやり直して、銘文を書き換えました。やはり、今回の方が見ているだけでも気分が良いです。その後の問題としては、結構な数で異体字を使用しているのでそれをどう処理しようかと思案中です。そのためと語彙説明を加えたにしても、それだけで新たな1ページを使用するのも面倒だと次に進めなくて困っています。いずれにせよ、書家の文字に準えて作成した銘文を御笑覧下さい。

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一か月遅れで、栃木県藤岡町の調査済み石碑の内の1基をご紹介

2021年07月13日 | Weblog

藤岡町へは6月に3回入り3基の石碑を調査しましたが、その後は昨年から始めた佐野市田沼町の庚申山調査も終了し、ようやくその報告書作成に入って約3週間、それも先週に終わりました。そして今週から、藤岡町の調査済み石碑の清書に取り掛かれました。今回は、撰文者の森保定を纏めるための石碑調査なので、今回ご紹介する石碑には悩みました。その悩みとは、私の調査すべき石碑の範疇からは遠く外れているからです。直言すれば、私の石碑調査対象外なのです。それでも、撰文者が森保定とあらば彼の石碑を纏め中の私としては無視するわけにもいかず悩んだのですが、その石碑の篆額揮毫者と銘文揮毫者が素晴らしい人なので、その意味で後世に残す価値があると再判断して丁寧に、高い画仙紙を使用して一日がかりで手拓しました。石碑の設置場所が酷く、太陽は全く入らない藪の中なので、やぶ蚊はワンサカ、写真は上手く撮れなくてひどい目にあいました。
一枚目は、全景写真です。
2枚目は、いつものように銘文です。しかし今回の銘文は、いつものように碑面に穿たれた文字形を無視して異体字を除いてはみな、現代明朝文字をそのまま使用してしまいました。銘文書家のことを思うと、いつものように作りたかったのですが、どうにもその作業中に銘文内容の方へ目が行ってしまい、その努力に水を差されてしまう虚しさを感じたからです。
3枚目は、手拓画像です。語彙説明箇所には、撰文者に申し訳ないのですが省略し、書家の使用した異体字を中心にして纏めました。語彙説明も、面白い箇所もあったのですが、残念です。余りにも内容のない銘文だからです。



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昨日は、佐野市植下町の堀田佐野城墟碑の拓本を採ってきました

2021年07月11日 | Weblog

今年の梅雨は長くうっとうしい毎日が続きました。私など、未だにジャガイモを掘ることが出来ぬままです。それでも昨日は午前中は曇りでその後は晴れるらしいので、佐野市の石碑拓本採りに出かけることにしました。佐野市へ行くとなると、わが朋友の山口氏に連絡せずには行けないので連絡すると、二つ返事で現地で落ちあうことになりました。
所が現地へ着くと、期待していた曇り空は真っ赤な嘘で、ピーカンの夏空となっている。この時点で、今日の手拓はやる気半減。それでも碑面を見ると、汚れが目立つので後日のために折角来たのだからと綺麗に水洗いすることにした。8時半ごろになってやっと行動を起こして水洗いしている所に、山口氏が現れる。綺麗になった碑面を眺めているうちに、何となく篆額部分だけでも手拓しようかと言う気分になり、半切用紙を横にして水張し、二人して左右に分かれて墨入れ開始。肩が触れ合う距離なので、お互いの墨入れ状態を覗きあっては「オッ、自分より丁寧に綺麗に墨入れしている」と、競って作業したので意外と早く終わってしまう。
そして銘文部分を眺め、そのまま何となく作業続行となり全紙を取り出してサイズを見れば、ピタリ、ぎりぎりいっぱいで全紙に納まるではないか。何か嬉しくなってしまい、そのまま気分よく手拓作業に進んでしまう。とはいうものの、碑面は東向きなので真夏に近い太陽が容赦なく当たり、既に石面に手を触れると熱くなっている。一気に全部水張しても墨入れが間に合わないので、三分の一づつ水張してはその部分を墨入れする作業にし、それを三回繰り返して、以外にも早く終えてしまう。尤も、重ね墨入れは何時もの半分くらいの回数にしたので納得のいく黒さにはならなかったが、何しろこの暑さではそれが限界であった。墨入れを私が担当し、その墨入れする直前の箇所の所の湿り気は山口氏が霧吹きとタオルで湿らす約を担当するという、将に阿吽の呼吸の合う二人三脚のなせる技で進めていったので、今回は上手くいった数少ない例である。いつもなら酷い墨ムラになるはずだが、瞬く間に乾いてしまった画仙紙を改めて眺めても全体的にそれほどの墨ムラがなく、二人で「今日の天候では納得せざるを得ない拓本仕上がり」とする。

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拓本採りのための恐ろしい碑面掃除に約1時間半!

2021年06月27日 | Weblog


ここの所、旧栃木県藤岡町大前の大前神社へ通い続けています。今回は、その石碑調査のための拓本採り前段階として、朝の8時過ぎから碑面掃除に着手。しかし、高さが三メートルを超えているとなると、私の車に乗る三脚の大きさはしれたもの。二つ折れの三脚を伸ばして碑面に立てかけ、その最上段の踏み台に立って石碑の頂部にやっと手が届く有様。それでも諦めず、片手に水ともう一つの手にタワシを持って見事なまでにヌルヌルしている碑面を丁寧に掃除する。手を抜けば、水張りした画仙紙にはそのノロが付着して酷い拓本になってしまうからだ。それを頂部から始めて側面も綺麗に掃除する。恐らく、他人様が見ていたなら危なっかしい作業に、思わず「三脚を支えていてあげる」と申し出てくれるだろうと思って可笑しくなる。しかし、当然ながら人影は全く見当たらないまま、ついに一時間半を掛けて掃除が終わる。自分でも暫くぶりに無茶な作業をしたものだと呆れながら、こんな拓本採りがあと何年出来るのだろうかと苦笑する。ここで、大休止。すでに、汗と掃除用水と落としたヌメリとで全身びしょ濡れ。そしてすっかり疲れた体と汗が収まるまでの休息時間中に、今度は手拓する画仙紙をどうするかで悩む。兎に角、頂部の篆額部分にどうやって画仙紙を水張するかである。伸ばした三脚の頂部に乗って両手を離しての作業、どう見ても掃除以上に危険なことに変わりはない。そこで全紙を横にし高さを50cm幅に裁断して採ることにする。そして銘文部分は、折角掃除したのだが左右の空間部分は割愛して銘文のみの手拓にしようと決める。その銘文のみの手拓にしても計測してみると、横幅40センチ画仙紙が2枚。半切画仙紙が4枚の計6枚が必要である。そしてもう一つの難問は、木陰で風当たりの無いので、非常に乾きが遅いこと。水張のための水を極力少なくするために、水張は手抜きの刷毛で行うことにする。そして篆額部分から水張を開始したが、いかんせん両手を離しての曲芸紛いの水張作業ゆえに、一回目は見事に失敗して途中で破れてしまう。2回目、今度こそはと先ほどよりはもっと大胆な行動で身を左右にせり出しながら水張りしたが、垂直に近く立てかけた脚立からはやはり手元が見えず、第六感に頼るだけの水張のため、随分と用紙が斜めになってしまった。しかし、採りたい個所はその中に納まっているので良しとしていったん三脚から降りて一息付く。墨入れに適した状態になるまで、待ち時間である。まだ、墨入れするには少し早すぎるが、その後の作業段取りを考えるとそうノンビリともしていられず、またしても三脚上段に乗って両手に墨二つを持って作業するが、その墨入れする墨の追加にはいちいちその度に三脚を降りなければならず、何とも効率の悪い作業である。結局、篆額部分の墨入れだけが終わった段階で、時計はお昼を過ぎていた。急いで即席ラーメンを腹に流し込み、銘文個所の水張に取り掛かるが銘文の上下は190㎝ある。つまり、手持ちの画仙紙では縦に使用するだけで2枚必要。それを三回繰り返さなければならない。どう計算しても、水張から墨入れ迄の待ち時間と、墨入れ作業の時間をプラスすると、夕方までには完了しない計算となる。少なからずあせるが、そうかといって銘文の墨入れでは手抜きする事も出来ない。水張が終わるや、持参した団扇でパタパタと風を送って少しでも早く乾くように、これも汗だくとなってその後は全く休みも採らず採拓に専念する。運悪く、今日に限って携帯電話を忘れてきたので、現在の時間が全く分からない。腕時計を持たない主義の弱点が露見したことになる。銘文手拓の三回目まで進むと、西の空は少しずつ日が傾いているのが分かるが、却って現在の時間が分からない方が良いとばかりに作業に専念し、どうにか手元が見える内にすべての拓本採りが終了する。画仙紙を碑面からはがす前に、まずは車まで戻りエンジンをかけて時計をみれば、既に6時を回っていた。ここで、ドッと疲れが噴出してくる。朝の予定では、拓本までは無理でも碑陰にある交名部分だけでも綺麗に水洗いするつもりだったが、それよりも早く撤収しないと、それでなくても薄暗い場所なのでそれこそ真暗闇になってしまう。びしょ濡れになっている拓本を破らないよう丁寧に何度かに分けて車まで運んでから三脚やらカメラやら拓本道具やらバケツやらを撤収し、それまで履いていた作業用登山靴を運動靴に履き替えて急いで帰宅する。何しろ、携帯電話がないので、いつもの帰宅よりも2時間以上も遅くなることを伝えたかったがそれも出来ぬまま夜の8時近くになって自宅に辿り着く。嗚呼、こんな手拓作業は2007~8年前の矢板市長峰公園以来である。今回の感想としては、もう年なのでこんな拓本採りは止めようと真剣に思う私だった(笑)。

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一年半ぶりに、栃木県内の石碑調査に戻りました。

2021年06月15日 | Weblog

先週日曜日から、ようやく栃木県内の石碑調査に戻ることが出来ました。その最初の訪問地は、栃木県藤岡町(今は栃木市と吸収合併して、栃木市藤岡町です)の大前(オオマエ)地区にある大前神社(こちらは読みがオオサキです)である。暫くぶりなのだが、ナビを使用せずにいつものように感覚だけが頼りで適当に車をすすめるが、どうも小山市寄りを走っているようだ。もう少し西側へ行かなければと、相変わらず適当に走って行って、何となく昔の道路に出会って一安心。それでも宇都宮から1時間強も掛かってしまった。神社西側には、昔のままに庚申塔を始めとした顔なじみの石仏がずらりと並んでいるのを目にして、まずはここで一休み。
さて今日の目的は、私の長年の宿題であった江戸末期から明治期にかけて活躍した森保定(森鴎村)という儒学者の碑文調査である。当地には、1基だけは確実に彼の撰文した石碑があることは知っていたが、目の前にあるのは「水戸部翁碑」という初めてその存在を知った石碑。コーヒーカップを片手にしながら眺めると、石碑の大きさは高さが152.0×幅113.0cmある、意外と存在感を持っている石碑。しかも根府川石を使っているので、拓本を採るには最適な石材。当地へ来て、最初に出会った以上はこれを今日の調査対象とすることに決めた。早速いつものように碑面掃除から始めたが、碑面に付いたツタの根に悩まされる。小さなツタの根を爪を使って挟んでは丁寧に取り除いていく。爪でピンセット代わりに挟んでも採れない根は、爪を立てて直接碑面に当ててゴシゴシとコスって取り除く。これをしないと、採拓した拓本はそのツタの根がまともに邪魔してだれがやってもロクな拓本にはならない。そのツタの根採りだけで一時間余を浪費してしまう。そしてやっと手拓作業に入るも、今回は暫くぶりという事もあっていつも使用している特大のタンポ類を持ってくるのを忘れる。加えて、前回までの田沼町庚申山の庚申塔手拓で使ったままの墨は、その墨が使いすぎて息切れしている。さらに今日は曇りで風もない天気予報だったが、南風が意外と強く吹いている。更に、画仙紙は半切しか持ってきていないので、篆額を横張りにして一枚。銘文は縦にして3枚の計4枚を使用しなければならない。水張りするも、風が強いので直ぐに乾いてしまう。まだ、半切用紙だから良いものの、全紙だったら途中であきらめてしまっただろう。そして3時間の苦労の上で何とか墨入れが終わった。従って昼食は午後1時に近かった。暫くぶりの立ち仕事だったので、正直疲れた。その拓本画像等は、まだPCに取り込んでいないが、多分今週中にはここへ掲載できるだろうと思っている。
そんなこんなで、結局は本来の目的であった石碑とは出会わずに昼食後は浮気して、小さな石碑調査をして帰宅する。もちろんこれも、森保定の撰文である。そしてこの石碑には、揮毫者が揮毫間違いした文字が三字あることが記されている。このような揮毫文字訂正碑は栃木県内でも意外と少なく、恐らくこの周辺では多分この石碑だけだと思われる。今回は勉強のために、その内容を拓本画像を添えて掲載してみよう。それにしても、その文字は小さい。直径5ミリのタンポで何とか墨入れしたが、小さい文字であることには変わらない。石碑写真ではまず以て読めないだろう。

ウーム、これでは拓本画像が小さすぎてその訂正文言がよく分からない。そこで、ここにその内容を書き出してみると、「醵誤鐻金下凡字」「強字衍」とあり、その意味は「鐻」の文字は誤りで正しくは「醵」。金の下に「凡」の文字が抜けている。更に(千圓の次の文字「強」の文字は余計な文字(衍字=エンジ)である。と記されている。つまり、誤字に脱字、不要な文字の挿入と、間違いが三つの種類であることが判るだろう。
このように、揮毫するときに不注意で間違うことは誰にも起こりえることで、それを正直にこうしてその石碑に訂正文を乗せることが出来るのは、如何にその人物が人間的にも優れた人物であるかが知れようというものである。

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昨日は、どうしても拓本が欲しくなった庚申山の標柱塔を茂木氏の協力を得て手拓してきました。

2021年06月08日 | Weblog

今回は、佐野市閑馬町の千躰庚申山の表口に建つ標柱塔をどうしても拓本が欲しくなり、急遽その目的のためにだけ出かけました。今回は、佐野市在住の茂木氏が手伝ってくれると言うので、かたじけないと感謝しつつ嬉々として午前九時に農協の駐車場に指定した待ち合わせ場所へ行きました。それからは、相変わらずこの表口唯一の駐車場(私設)へ行き、脚立やらも持参しての拓本採りとなりました。それにしても、こんな標柱塔などを手拓する人はいるはずもなく、その碑面の水洗いに二人で全身泥だらけになって磨きました。そうして手拓した画像が下に掲載したものです。左右側面にある文字も、拓本を採らない限り読めないので、ついでに正面画像の左右に掲載しました。御笑覧あれ!。と言いつつ、左側面にある坊さんの名前「禅■代」とある2字目の■文字が私にはどうしても読めません。読める方からのご教示をお待ちしています。なお、中国の正字としては存在するのを確認済みです。
これでもって、本当に本当!庚申山の全ての調査が終わりました。茂木様、本当に有難うございました。後は、しいていえば私の個人的趣味による気に入った庚申塔の拓本採りだけですが、これは報告書には掲載しないので、今年の秋以降になってから遊びを兼ねて行く機会があればついでに採ろうかなと思っています。

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