石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

鹿沼市の石造物調査小レポート・後生車と迎え仏について

2012年09月26日 | Weblog

 すっかり秋の夜長となりましたので、栃木県鹿沼市の石仏めぐりで出会った中から二基のみですが、小レポートを作成しましたので興味のある方は別HPの「栃木県の石仏」から「栃木県の石造物公開データ」中の「栃木県全域」下段の方にある該当項目をご笑覧ください。但し、全てPDFによるデータとなっています。

1、鹿沼市千手町 千手山公園にある明暦元年銘の後生車のついた大乗妙典読誦塔です。

 その他、まだまだ鹿沼市内にはご紹介したい石造物があり、それらの基本資料(手拓)等も揃ったのですが、なかなかそれをまとめるまでには至っていません。もちろん鹿沼市の石造物としてその詳細を発表するのは初めてのことになるので、早く纏めたいと思っていますが…。

以上、ご案内まで。
 ここのところの悪天候で、気が付いたら畑の大根が虫にやられて全滅状態。これには困りました。何しろ、来年3月までの食卓を潤す大根ですから。そこで、季節的には一ヶ月送れですが、種を新たに購入して朝早く起きて畑仕事。これがいけなかったのでしょう。蒔いた種の最終作業として土かけ中に、突然のギクッ!という音と共にまたしても腰をやってしまいました。その後はいつものように、部屋の中でおとなしくしています。早く直さないと、次回の石仏巡りどころか、この石仏巡り絶好季節を逃してしまいそう。そして、大根の芽が出なかったら泣きっ面にスズメバチといったところです。ア~ア、出るのはため息ばかり!

追加です!
 ここのところ、古いコメントばかりが溜まっていましたので心機一転。全てを削除しました。いつまでも古いコメントを残していても仕方ないか!と、思ってのことです。書き込みを残しておいて欲しかった方がいましたらゴメンなさい(^_*);

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2012年9月22日も栃木県鹿沼市の石仏調査でした。

2012年09月24日 | Weblog


 今回は、ようやく今年の夏の暑さも収まり、待ちに待った手拓季節となったので、7月14日以来の鹿沼市千手町・観音堂へ行き、そこにある石塔類の手拓作業で一日が終えました。朝8時半から手拓作業を開始したのですが、何しろこの場所には拓本を今のうちに残しておかなければと言う石造物がたくさんあり、ついつい清々しい秋の一日だと言うのにここだけで過ごしてしまいました。本当は、あと一基の四角柱4面を手拓する予定でしたが、さすがに午後3時を過ぎるとその間休憩を取ったのは慌ただしく昼食を食べただけという状態だったので、足と腰に疲れがきてここで止めてしまいました。まあ、ここはいつでも手拓出来る場所なので、また気が向いたら来ることにしましょう。
 さて今回、上に掲載した写真(手拓用紙をはずす前に撮影)は、四角柱の上部に頭が欠けてしまったお地蔵様がいて、その下部に金属製の後生車が付いている。更に下部には石文が刻まれています。その内の一行が私好みの石文なので記してみると、「イ種子 地蔵菩薩像下置車輪法界徃來衆生成佛攸」と、あります。後生車(輪廻車)に、こんな素敵な銘文があると、手拓していても楽しくて、ついついその作業の手を休めては魅入ってしまいます。ちなみに、紀年銘は「明暦(実際は「暦」のところが「歴」になっている)元乙未歳小春吉祥日(1655)となっていて、これも私にとっては嬉しい紀年銘です。
 その他、栃木県内では初発となる男体山禅頂文字のある多宝塔等など、暫くぶりの手拓と言うこともあり、一打ちごとのタンポの音を楽しみながら丁寧に墨入れしました。
 それにしても、22日は暫くぶりに晴れたので畑作業をして23日に石仏巡りに行こうかと思っていたのだが、すぐに気が変わって石仏巡りへと出かけて本当にラッキーでした。23日にしたなら、一日中の雨で手拓作業どころか石仏巡りさえ出かけられなかったと。そこで、次回も、15日に訪れた鹿沼市板荷地区へ入ろうと思っています。この板荷地区にも、手拓したい碑塔がたくさんあるので、まあ調査というよりは作業と言ったところでしょうが…。今回の天候の素晴らしい一日になることを期待しているところです。

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2012年9月15日も栃木県鹿沼市の石仏巡り!

2012年09月17日 | Weblog


 残暑がいつまでも厳しいとはいえ、当地の郊外へ出かければ秋の農作業に農家の人たちは忙しく働き、野にはこの季節の野草が咲いています。そして何よりも、秋の涼風が汗をかいた身体に優しく触れてくれることです。そんな、毎年のことながらこの季節の石仏巡りとなった今日は、何時になく農家の人達と雑談してばかりいて石仏調査は少しも進みませんでしたが、それがまた楽しいこの季節のことです。特に農家の人達と交わす石仏談義は、その地区の石仏調査には欠かせないものであり、そしてまた私のまだ見知らぬ石仏の新たな発見にも繋がるものだけに、石仏巡りの基本としていつも大切にしている時間です。
 さて今回も、主に近世宝篋印塔探しを目的として来ましたが、そんな農家の人達との触れ合いがあって、思わぬ場所にある宝篋印塔の場所を教えて頂きました。管理している家人が留守だったので今回精査はしませんでしたが、八方天種子がある優れもので、この手の宝篋印塔は隣り地区の宝蔵寺さんのと銘文まで全く同一でした。また午後は、板荷地区草分け渡辺家のご主人と偶然に農作業していた所で声をかけて出会い、お互いに興味ある石造物の話となり大変に楽しい時間を持てました。その渡辺総家墓地にある、大日如来三種悉地真言の六角柱は非常に珍しいもので、午後のほとんどはその調査となりました。尤も、嬉しさの余りに計測を忘れると言う失態をしてしまい、これはもう一度訪ねなさいと言う仏様からの思し召しとして、再度行くことにしましょう。
 上記に掲載しました如意輪観音像は、余りにも私の描いているシチュエーションに立っていましたので撮影しました。もちろん、信仰は「十九夜念佛供養」とあり、紀年銘は元文元丙辰天九月十九日。驚くのは、鹿沼地区でも小さな富岡という地区ながら、講中人数が「百十六人」とあることでした。この地区で百十六軒とは、相当な広範囲まで広げないとならないだけに、この地区の十九夜信仰の熱心さがうかがい知れます。
 次回は早くもお彼岸。現時点では、石仏巡りに出かけられるか不明です。行けない時は、ここのところの石仏調査で得られた纏めをしようと考えています。

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2012年9月9日も鹿沼市の石仏巡り。妙見天童について

2012年09月10日 | Weblog



 栃木県鹿沼市といっても、今回も自宅からは至近距離に位置する茂呂地区の石仏巡りでした。最初は、1990年代に訪れた小さな神社とその近くの共同墓地から開始です。特に共同墓地内の碑塔調査には、折からの残暑厳しき中で最初はクズ等の繁茂した夏草を踏み潰すことから開始。もうそれだけで、全身汗ビッショリになりました。その中から出てきた碑塔調査開始でしたが、もう何おか言わんというやつで、蛇は出てくるはとてつもなく大きなムカデは出てくるは、暑さだけで勘弁してもらいたい中での調査となり、頭もボォ~となり多分いくつかの碑塔再調査漏れが出てきているのでしょう。
 Tシャツは、既に汗でグショグショになって汗の臭いは自分でも嫌になるくらい。その身体で今度は、近くの天台宗智音寺を訪ねました。ここも過去に調査済みですが、今回は歴代住職墓域内にある法華経法師品からの出典である「寂寞無人聲 讀誦此経典 …」の手拓に主眼がありました。ご挨拶に伺うとご住職様自ら案内下さり、その他の石仏類も境内整地の折に薬師堂の隣へ東向きで一列に並べたと言う。確かに、今回から写真撮影には良く、また銘文も読みやすくなっている。ただ一基だけ、台座が上下逆さまに設置されていて「講中」文字を読むのに手間取ってしまって苦笑い。いずれにせよ墓域内の石造物調査が終えたらついでに智音寺さんの信仰に基づく石造物を再調査して、その内容を提出してあげることにした。もちろん、境内に建立されている宝篋印塔に刻まれている「頂禮於塔 當願衆生 一切天人 無能見頂 …」以下の華厳経・浄行品からの出典偈文もしっかりと再確認したのは言うまでもない。
 智音寺さんの調査を終えたところで12時。境内で昼食を取らせて頂き、住職奥様から差し入れの冷たい飲み物で喉を潤し、食後はしばしの休憩。本当に、突然訪ねたにも関わらずのご接待に感謝しました。
 午後からは、やはり2002年に調査済みの鹿沼市花木センター東側から高おかみ神社方面へ向かう。そして最初は、神社への途中山際にある碑塔の再調査。ところが、そこは物凄いやぶ蚊の住まう所で、一基の石塔を写真に撮る間に腕と言わず顔までやぶ蚊がたかって終わった後は血だらけ。それを何回か繰り返して撮影したのが、上に見る画像である。これは、下部が深く埋もれているので主銘文さえ全部は読みきれないが、間違いなく「妙見天童」とあるもので、紀年銘は嘉永七甲寅八月穀旦とある。交名もあるが、やぶ蚊に恐れをなして読むのを止めてしまう。
 さて、この「妙見天童」とある石造物は栃木県においては非常に少なく、そのものズバリの「妙見天童」とあるのは他に栃木県壬生町中泉直の磐裂根裂神社にある嘉永六癸丑四月吉日紀年銘のものだけである。もちろん、その他の「妙見菩薩」文字塔にしても日光市上鉢石の磐裂神社にある寛永十八年銘の灯篭に、「妙見大菩薩」は栃木県大田原市佐久山の実相院入り口にある「馬頭観世音・妙見大菩薩」とある文字並列塔だけである。もちろん、その他の妙見に関する碑塔は他に確認できるが、こと「妙見」という文字の出現となると本当に少ない現状である。そしてその信仰内容、これも面白いのだがここでは紙面が足りないので省略とし、関心のある方は「日本の石仏」No.80号を参照ください。小生のつたない論考も掲載されています。
  そんなこんなで、この場所の再調査だけで本日の石仏巡りは終了してしまった。まだ、時間的にはたくさん残っているのだが、次に向かう高おかみ神社も、ここ以上にやぶ蚊の大群が待っているかと思うと、愛嬌のある狛犬兄弟に再会したい思いもあったが断念して次回のチャンスに譲ろう。
 次回辺りから、少しは手拓できるような陽気になることを期待し、少し鹿沼市内でも山地の方へ足を伸ばそうと思っている。

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2012年9月最初の週末の、石仏巡りは休みました

2012年09月05日 | Weblog



 今日(9月1日)は、毎々から予定していた秋野菜などの畑準備のため石仏巡りは休みました。朝7時から畑に出て、まずは大根畑地の土起こし。そしてふと目を上げると、そこにはご覧のような巨大な雷雲が北にあり、その下では間違いなく大雨が降っている様子がわかります。今日は、石仏巡りに出かけなかったのが正解のようです。その一方、あの雷雲が私の頭上に来ないよう祈りながら次はエシャレット用の畑の土起こし。それこそ石仏巡り以上の大汗をかきながら重労働を続け、それが終わると今度は白菜の手入れ。いずれにせよ、今日から暫くは天気が不安定とあって、大根などの種蒔きは出来ません。(種を蒔いた後に大雨で地表をたたかれると発芽しなくなる場合が多いからです)
 顔や腕を真っ赤に日焼けし、汗をかくのもこれが限度かと思ったとき、畑で遅れて咲いたヒマワリの花に一匹のアマガエルを発見。急いで、カメラを向けた写真が以下のものです。
 このカエルさんも、私達と同じように雨を待ち焦がれているようです。と言うのも、この夏は雷雨が全くなく、畑はカラカラに乾いていて土起こしをしているとその土が舞い上がるほど。これでは、それ相当の雨が降らぬ限り畑に種を蒔くことは出来ぬとぼやいていた所なのです。それを考えると、北から迫ってくる雷雲は恵みの神なのかもしれませんが、その雷雲も頭上に来る頃には雷雲の固まりもバラバラになってしまって、ほんの申し訳程度に降ったほどで、雷鳴もなく「うわあ雨だ!」と逃げるところか、熱中症寸前の身体にとっては気持ちよいほどの雨に過ぎませんでした。
 翌、9月2日も前日に引き続いて畑仕事を行いました。この時期の、二日続けての石仏巡りは気が進みませんが、今年最後の畑仕事となると生活がかかっていますのでそうも行きません。夏野菜地の整地整頓やら芽の出たポットにある白菜の間引きやら、まだまだ生育が盛りとなっているキュウリの追肥やら草取りに、畑の一角にある花畑の草むしり。毎日、少しずつは手入れしているのですが、こうしてじっくり二日間に渡って畑に入ると、次から次へとやることだらけで時間が足らないほどです。それでも畑の一角に、自分から勝手に芽が出たスイカがそろそろ食べ頃て顔をのぞかせています。昨年の、畑に捨てたものから実ったスイカの美味しさは特別のもの。午後は、そのスイカ(しかも黄色でした)を味わいながら、後は雨が本降りとなって、大地が瑞々しくなってくれる日を待つだけである。そんな願いが通じたのか、月曜、火曜と二日続けての雨が夜に降る。いよいよ、今週後半は種蒔きだと、今の天候が落ち着くのを楽しみに待っている。
 ところで今週末は、またしても鹿沼市内の石仏巡りとなる予定です。今度は、どんな石造物に出会えるか楽しみです。

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