石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を出来る限り拓本を採りながら行っています。投稿は、実名でお願いいたします。

2008年9月27日も栃木県大平町の石仏巡りです

2008年09月28日 | Weblog
 昨日27日も、栃木県大平町へ石仏巡りに出かけました。今年の秋として相応しい天候の元で石仏巡りが出来たものだから、ついつい気分良く昼食時間もそこそこに午後4時過ぎまで見て歩いてしまいました。帰宅したときは少々グッタリ気味でした。今回も、宝篋印塔は四基調べることが出来ました。特に、伯仲地区の臨済宗慈済寺さんの宝篋印塔調査は基壇が高いので、その上に登らせていただいて銘文を読ませていただきました。その塔は、寶篋印陀羅尼經をそのまま書き表したものではなく、その意を汲んでの作文だけに興味深く読むことが出来ました。その他、昨日の碑塔巡りでは沢山の数を見られましたが、HPの方へ掲載するような碑塔にはあまり出会えませんでした。なお、HPの方へ掲載するのは明日以降になると思います。今日は曇り空なので写真撮影日和、これから自宅近くの自然観察に出かけますので…。
 今月の石仏巡り、都合4回は全て大平町だけで終わり、これで大平町の半分は終了しました。勿論、その地の落ちおこぼれはあるので、次回はそれらの落ち穂拾いをしようかとも思いますが、このまま残りの大平町西部地区へ入るつもりでいます。大平町の落ち穂拾いは、一通りの大平町調査が終えてからすることにします。
 大平町の石仏巡りを始めるに際し、大平町はこれまでに主だった所は見てしまっているので、余り気乗りはしなかったのですが、いざ始めてみるとやはり見残しの中に面白いものがありました。恐らくそんな面白い碑塔が、これからも大平町を丁寧に見て歩けば出会えるだろうと楽しみにしている所です。
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2008年9月20日も大平町の石仏巡りに行きました

2008年09月21日 | Weblog
 昨日2008年9月20日も、栃木県大平町へ石仏巡りに出かけました。
最初に、大平町横堀地区のまだ見ていない碑塔を巡りました。地区内をグルグル巡って、なんとかこれで横堀地区を終了することが出来ました。続いて、牛久地区の牛来寺へ行き、境内にある十九夜塔や家畜塔を調査しました。この牛来寺は、前々から訪ねたかった寺院(慈覚大師円仁さんとの縁があるところ故にです)だけに、碑塔を調査する以上にのんびりし過ぎて、お昼はこの境内で取りました。碑塔としては、境内にある山澤常正が刻字した明治三十一年銘の「軍馬碑」が良かったです。これまでにも、山澤氏の文字塔は沢山見てきましたが、彼の彫刻ではこの碑が最も優れた作品と感じました。手拓も欲しかったのですが、何しろ昨日の台風一過で日射しは真夏のような強さで、それまでの碑塔調査で汗びっしょり。すっかり疲れてしまっていて、その元気がありませんでした。(これでは、本来の私らしさがないのですが、これも年のせいかと自嘲です)
 さて、その後はこれまで一度も調査していない蔵井地区へ入り、公民館を見つけて立ち寄りましたが、そこには碑塔は何もなく、あるのは高い鉄塔の上に半鐘がぶら下がっているだけでした(この半鐘は、念のために佐野市の高橋氏に連絡しました)。しかし、その裏手にある共同墓地で碑塔と共に宝篋印陀羅尼経の刻まれた宝塔型宝篋印塔を見つけてニンマリ、です。ここで、時間を大幅に使用してしまう。
 次は、道路沿いに「諏訪神社入口」と言う看板を見ながら、これまで何度通り過ぎたかしれないその諏訪神社へ立ち寄る。境内には、岩舟石製の灯篭等があるだけで碑塔は見当たらない。念のため、裏の林の中へ入るとそこに庚申塚があり、五基の庚申塔が建っている。特に、その中の三猿だけが刻まれた庚申塔はどう見ても延宝年間の庚申塔。しかし、文字類は摩耗していて何処にも見えないがそれからが私本来の出番となり、丁寧に見ていくと左端に文字らしき物を発見。それからは石がすり切れてしまうかと思うほど磨きに磨いて、何とか「延宝六戊午」の年号を読みとることが出来た。思わぬ所での、今年初めての延宝庚申塔確認である。その調査が終わったのは丁度3時。まだ終了するには早い時間だが、今日の成果はこれ一基でもって充分すぎるほどの成果に大満足し、ここで本日の大平町碑塔巡りは終了することにした。勿論、帰宅するや春日部市の中山氏に電話報告したのは言うまでもなく、来月には早速ご案内の約束をする。何しろ、栃木県の江戸前期庚申塔は二人してもう出てこないだろうと最終的に纏めてしまっただけに、嬉しい誤算と共にこれでまた訂正版を作らなければならなくなった。
 帰路に、行こうと思いながら何ヶ月も放置していた栃木市の円通寺さんへ行く。お彼岸中と言うことで、住職さんは大忙しだが、その合間を縫って高慶大師の碑文清書を始めとして資料を渡したり、横堀地区薬師堂の地蔵立像金仏の話をする。なお、過日に東京から嘉津山氏が拓本を取りに来た旨の報告を頂く。それだけに、大師碑文の清書は喜んで頂けた。
 恐らく、次回もまた大平町へ入ることになるだろう。
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2008年9月13日も栃木県大平町の石仏巡り

2008年09月14日 | Weblog
 2008年9月13日は、栃木県大平町の石仏巡りへ先週に続いて行きました。朝一番で、先週に訪ねた下高島の高島神社にある元禄名の庚申塔を再度訪ね、手拓などをしながら調べました。しかし、浅学な私では読めない文字があり、ウ〜ムとその場に座り込んで悩んでしまいました。
 さて、それからは大平町の真弓地区と榎本地区の石造物を調査しました。しかしその多くは岩舟石を使用して建立されたものが多く、皆ボロボロとなっていて紀年銘どころか主銘文そのものが既に読めなくなっているものが多く、余り面白くない石仏巡りとなりました。それでも、榎本の総徳寺さんでは住職さんと話があい、何となく一緒に山門入口にある石塔を調査するはめになりました。そしてその中の一基、見寶塔品の偈頌塔を手拓したところ妙に感心され、どうも欲しい様子。この偈頌は、栃木県では珍しいものなので私自身が欲しくて手拓したわけだが、何となく自分のものにするには行かなくなり、住職さんに手渡してしまいました。
 また、榎本地区の上町集会所にあった碑塔類が一基もなくなり、どこかへ運んだのだろうと隣家に尋ねたが分からないと言う。しかし、この近くにあるはずだと聖天院への道を入ると、その入口近くの下町児童公園の敷地内に綺麗に並んでいました。ここで、初めて目にする富士講の石塔を記録。それは、これからゆっくり調べるつもりです。それから聖天院の入口にある碑塔と、塔身だけで軸部がない大きな宝篋印陀羅尼経塔を見る。しかしその中台には350文字を越す石文が刻まれているので、既に午後3時半を過ぎてしまったのでそれを手写しするに躊躇してしまった。だが、今日は初めて出会った寶篋印塔だけに次回への繰り越しではもったいないと、気合いを入れて手写し作業開始。異体字使用箇所が多いので、ささと読み込み、書き写すわけにも行かず、時間を忘れて一文字づつ丁寧に書き写したので、終わったら午後4時をとっくに過ぎていた。それでも基壇にある石文は紀年銘を覗いてパスしてしまった。そんな、落ち込んだり、悩んだり、住職さんと楽しく過ごしたりと変化の多い石仏巡りでしたが、また次回も大平町へ入るつもりです。
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2008年9月最初は栃木県大平町へ行きました

2008年09月07日 | Weblog
 2008年9月6日は、栃木県の南部地方に当たる大平町へ出かけました。一日中、真夏を思わせる暑さの中を熱心に見て歩きました。お陰で、最近では珍しく一日で50基に迫る数の(勿論その中には再調査を含めてですが)石造物を調査することが出来ました。
 しかし、今回の大平町の石造物調査主目的が、寶篋印陀羅尼經塔の調査にあったとは言え、一日で四基もの長文陀羅尼経文を手写しする作業には些か疲れました。最後の四基目は暑さで疲労困憊してしまい、好い加減な解読に終わってしまいましたし、帰る頃になって見つけた五基目の宝篋印塔については、遂に次回への繰り越しとしてしまいました。その他の碑塔については、内容的に目新しいものが何もなく、ただ淡々と目の前に出てくる碑塔を記録紙に記入するだけの単純作業だったので、余計に暑さが身に堪えました。それでも、今年もクーラーのない車でこの夏を乗り切った我が身に感謝し、これからの石仏巡り最適期は、マイペースながらもう少し大平町へ入ることにしました。
 そんな私に比較して、東京のT氏からの報告によると今年の七月下旬の暑さ真っ盛りに続けて三日間の石仏調査をしたとのこと。全く、どういう体をしているのだろうと呆れるばかりですが、考えてみるとそこのところが私とT氏との石仏熱中度の違いかなと思ってます。どうも私は石仏だけに熱中することは叶わず、週に一度のそれも栃木県内限定という有様ですから、端からT氏の石仏巡り情熱には負けています。
 さて、九月始めですから別HPの方へは何かしらの画像を貼り付けようと思っていますが、その作業はタブン明日以降になるでしょう。
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2008年8月31日の石仏巡りは…

2008年09月01日 | Weblog
 2008年8月31日は、又しても鹿沼市板荷の薬定寺へ行き永正九年銘の重制石幢六地蔵の再調査を行ってきました。その結果、前回よりは少し詳しく(読めないものは読めないと言う事実を含めて)調べられたし、再度の手拓等を行って、結局は半日をここで過ごしてしまいました。そして午後は、前々から思っていた(旧)日光市へ、今回の豪雨で一時間に120mmもの雨が降ったという小来川経由、滝ヶ原峠越えで入り、庚申塔落ち穂拾いに行きました。三箇所ばかり、探索しましたが結果的には1基も新たな庚申塔には出会えませんでした。草むらの中を分け入っての探索なので、迎えてくれたのはヤブ蚊や虻は言うに及ばず、今回はスズメバチとヤマカガシに笹藪へ入ったので真ダニにも遭遇しました。「俺は今日、ここへ何しに来たのだ!」という有様で、今回に懲りて暫く日光方面の山地の庚申塔探索はしないことにしました。もっとも、滝ヶ原峠附近では早くも秋の草花が咲き出していて、思わず道草を食ってしまったのは私らしいが…。
 そんな訳で、八月最後の石仏巡りだというのに、写真的には1基もありません。従って別HPの方も今回またしてもお休みとさせていただきます。やはり、暑くても県南地方などの山地でない所の石仏巡りの方が宜しいようです。と言うわけで、九月からは県南地方へ出かけることにしましょう。
 それにしても、今年も無事に夏を乗り切った自分の体に、何かご褒美を上げたくなった今年の夏でした。
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