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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2009年2月21日も、栃木県小山市の石仏巡りでした。

2009年02月22日 | Weblog
 今回から、小山市の碑塔調査は思川からの西部地区に入りました。しかし、この地区はそのほとんどが調査済みにつき、いわゆる落ち穂拾いになります。根気よく、一つのの中に見落としがないかを一つずつ塗りつぶしていく作業です。当然ながら、過去に訪れた場所へも行き、その中に落ちこぼれがないかを確認するのもその中に含まれますので、思うようには進みませんが、以前は時間の関係で撮影できなかった碑塔が、訪ねてみればバッチリの条件が揃って、納得の写真を入手することも出来るので、まあ文句も言えません。朝8時半から始まって夕方4時過ぎまで熱心に見て歩きましたので、流石に帰宅の車の中では疲れを感じました。巷では、一日中強風が吹き荒れた一日だったという天候だったにもかかわらず、ホントッ!、馬鹿じゃないと自分でも思いました。それにしても、なぜ毎回、帰宅する時間近くに最後として共同墓地を訪ねると、そこに宝篋印塔があるのでしょうね。今回も、その為に帰宅が予定よりも遅くなってしまいました。
 そんな落ち穂拾いですから、特別にお見せしたいような画像は余りありません。何しろ今回新しく調査できたのは、個人宅の馬頭観音塔やら、写真では文字も写らないような酷い状態の十九夜塔がそのほとんどを占めている有様です。それでも、気分が良ければ明日にでも幾つかの写真を別HPの方へ掲載しようとは思っています。
 小山市の調査済み碑塔もついに1300基を既に越えた今、もう少しだと自分に言い聞かせながら頑張ろうと思っています。その為にも、週末は悪天気で調査に出かけられないようなことがありませんよう、天に祈るだけです。せめて、あと三回は連続して小山市へ入らせてくださいと。
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2009年2月14日も栃木県小山市の石仏巡りでした

2009年02月15日 | Weblog
 昨日も栃木県小山市の石仏巡りでした。これで何とか、小山市東部と南部に続いて、小山市街地の石仏巡りも終わりました。いよいよ残るは小山市西部地区の、それも調査箇所が虫食い状態のままになっている碑塔調査に入れます。因みに、今回で小山市内にあると推定される石仏の85%は確実に調査が終わったことになりました。今回の石仏巡りで特に嬉しかったのは、市街地の光照寺さんで、これまで確証が持てぬままでいた「祐天」の六字名号塔に出会ったことです。住職さんは、その存在に気づいていないようでしたが、あえてお知らせするまでもないと黙っていましたが、その境内には昭和57年と新しいものですが、後生車塔もあり、ダブルで嬉しい碑塔を見ることが出来ました。その他は、相変わらずの十九夜塔調査がほとんどで面白くなかったのですが、それでも宝篋印陀羅尼経の刻まれた宝塔型宝篋印塔を2基、調査することが出来ました。また、松村三瓢石工作品を二基、新たに確認することが出来ました。その他、石文的に面白いものも2基程入手しましたが、それらの銘文解読と筆記に時間が取られすぎ、現地で終了したのが4時過ぎとなってしまいましたが、折からの馬鹿陽気で寒さは全く感じられない今年始めての石仏調査に大満足で帰宅しました。
 次回からは、小山市西部地区の落ち穂拾いに近い石仏巡りに入りますが、はたして根気がどこまで続くかの勝負になりそうです。何しろ、一つの地区の石仏巡りがアバウトとはいえ85%を越えてしまうと、とたんに調査意欲が失われる私ですので…。まあ、それでも今月中は小山市へ通う事にしています。
 それにしても今回は暑かった!。ここまで暑くならなくても良いから、もう寒の戻りだけは勘弁して貰いたいです。いずれにせよ、今週の平日は地図とニラメッコをしての次回への綿密な調査地選定です。この推理作成が当たらなければ、ただ単に碑塔のないところを堂々巡りするだけの結果になってしまうからです。
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ブログ投稿時のご注意

2009年02月08日 | Weblog
 時々、当ブログへコメントを頂きありがとうございます。しかし、その全ては管理者が承認してから初めて反映されますが、しかしその前の大前提として、ブログ名での投稿は内容を見ずに全て削除されますのでご注意下さい。本名を名乗れない方のコメント投稿は、禁止しております。偏に読む管理手続きが面倒だからです。
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2008年2月7日も小山市の石仏巡りでした

2009年02月08日 | Weblog
 2009年2月7日も、相変わらず栃木県小山市の碑塔巡りです。今回は、市街地周辺の見落とし碑塔の落ち穂拾いをしてから、市街地へ入りました。中には、1990年頃以来という場所もあり、余りにもその周辺の変わり様に驚きました。その当時は、周囲は田園風景だった所が今は新興住宅地となっていて、碑塔の有り場所を再訪するのに迷ってしまいました。今回も、新たに調査した碑塔が沢山ありましたが、何しろ季節的に写真は良く撮れません。それでも記録用にと撮影しましたが、共同墓地やお寺さんの無縁碑塔群にあるのはどうにも撮影できないものもあり、嘆きの一日でした。それでも、佐野市の山口氏に1月に教えて貰っていた天神町の天満宮では、もし教えて貰わなかったら拾えなかったと冷や汗物の宝篋印塔を調査することが出来ました。山口さん、ありがとうございました。今後とも、この場所の宝篋印塔は知らないだろうと思われる当該碑がありましたら、是非ご教示下さい。
 予定では、今回一日で小山市街地を終わらせる予定でしたが、流石に無理でした。そこで、次回も市街地の碑塔調査へ出向き、何としても終わらせようと思っています。今回で、小山市内の石造物調査数は1188基となりました。私の予想総数の80%は実見調査したことになります。残すは、あと300に満たない数でしょうが、これからが大変です。市街地を終えると、小山市西部地区の落ち穂拾いに入りますので、1基を見つけるのに多大な時間を要すからです。机上での地図とニラメッコで、碑塔の有りそうな場所の推測作業如何に関わってきます。まあ、次回以降はその為に平日の夜を過ごすことにしましょう。これも又、楽しからず哉!です。
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2月1日も小山市の石仏巡りです

2009年02月02日 | Weblog
2009年2月1日(日)は、本来なら昨日行く予定だった栃木県小山市へ、またしても出かけました。何しろ31日の天候が余りにも悪かったので、昨日は一日中部屋で停滞でした。
 そんな訳で、一日遅れで2月に入ってしまいましたが、気持ち的には1月の続きです。また、今回は小山市の南部地区を中心とした、これまで見逃している碑塔の落ち穂拾いと、再確認や写真が必要なものに焦点を合わせて巡りました。その為、あちこちと細い路地や野原に立つ墓地を見つけては立ち寄ったりと、何とも無駄な時間ばかりを過ごすことになりました。当然ながら成果は余りなく、今回の石仏巡りHP掲載は新鮮味のない数点のみとなります。そして夕方近くになってから、過去に訪ねていた所で、うかつなことに今まで見逃していた宝篋印塔陀羅尼経が刻まれた宝篋印塔を1基実見することが出来ました。本日最高の成果と舞い上がってしまって、銘文箇所2文字を読み飛ばしたことも気づかぬ有様で、帰宅してから失笑しました。また、紀年銘記録を忘れた碑を訪ね、その前に立ったのは良いのですが、今度はその写真ばかり撮っていて、結局は肝心な目的の紀年銘を読むことを忘れて来てしまった!、という馬鹿なことも本日の失敗話です。完全に、ボケが入っているのでしょうね。
 嗚呼!ヤダヤダ!。でも、ボケ防止に次回も小山市へ行く予定です。
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