石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を出来る限り拓本を採りながら行っています。投稿は、実名でお願いいたします。

今年最後の石仏巡りは30日

2007年12月30日 | Weblog
 天気予報とは違って、朝から当地方は雨が降っている。今年最後の石仏巡りに行きたくて、その雨の中を出かけることにする。行き先は、先週に引き続いてカメラ三脚騒動で調査できなかった足利市の福居町地蔵堂を中心にして。しかし、その雨は足利市へ向かうに従って強くなり、佐野市へ入った頃には本降りとなる。
 今回は、年末の30日と言うこともあり、佐野市の高橋氏に声を掛けずに出かけてきたからだろうかとも苦笑するが、まさかその本降りとなっている雨の中を一人で足利市へ向かっていることなど、高橋氏は想像だにしないだろうと可笑しくなる。それでも折角来たのだから、調査できぬまでもその他の地区の碑塔探しだけはしておこうと車は一路足利市へと向かう。
 まずは、前回探せなかった足利市借宿町の公園近くにある青面金剛像。少しばかり道を右往左往したが、念願の庚申塔に今回は辿り着けた。惜しむらくは、紀年銘の所が欠けていて年号が判らない。そしてここまで来たついでだからと、中川町まで足を伸ばして神明宮にある庚申塔を調査記録する。その後は車を適当に運転して、神社や墓地や公民館のありそうな場所を巡ってから、前回最後に辿り着いた問題の地蔵堂へ行く。ここにある重制石幢六地蔵の龕部のみとなっているのを調べ、境内に並んでいるその他の碑塔も丁寧に調査する。
 時間は間もなく12時。今日は一人と言うこともあって、まだ昼食を手に入れていなかったので、その地蔵堂の真向かいにあるコンビニで調達。そして昼食に相応しい場所を求めてウロウロし、結局は国道50号線近くの二柱神社まで行ってしまう。ここにも、川の氾濫で流れてきたという庚申塔等の調査を先に済ませたので、結局食べ終わったのは午後も1時になっていた。
 さて、本日の足利市碑塔調査の数は、昨日から36基と決めていた。それは、昨日パソコンのデータベースを見ていたら、足利市の実見した碑塔数が1964基となっていたので、今年最後の石仏巡りは足利市の36基、都合2000基としようと決めていたのである。しかし、この時点ではまだ20基ばかりである。これから16基を調査するのは、余程の運が向かないと無理だろうと思いつつ、矢場川地区へ目的もなく向かう。そして藤本町の稲荷神社前で3基の庚申塔を見つけて調査する。その西側には墓地が見える。あまり期待せずに行ってみると、そこは廃寺跡の墓地で沢山の碑塔が祀られている。「ウヒヒッ」と一人笑いして合計12基を一気に入手する事が出来た残るは後1基。これは、帰路に向かう道すがらに見つけようと上渋垂町の神社へ立ち寄ったところ、本当に1基だけ庚申塔があった。これで、本日の目標であった碑塔調査数が36基となったので、帰宅するには少しばかり早いが年末と言うこともあってそのまま帰宅し、午後4時丁度に自宅に到着。
 これで、今年最後の石仏巡りは満願成就といった気分で、早速これをこれから夕方の散歩へ出かける前に書いている。
 今年も中山様や高橋様を始め、多くの皆様のお陰で楽しい石仏巡りが出来ました。どうぞ、良いお年をお迎え下さい。そして私の新年最初の石仏巡りは、多分正月四日の予定です。正月ですから、足利市を一旦離れて小山市へでも出かけてみようと思っています。
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2007年12月22日も足利市の石仏巡り

2007年12月24日 | Weblog
 2007年12月22日の土曜日も、先週に続いて佐野市在住の高橋氏と一緒に足利市の石仏巡りを行いました。9時待ち合わせの廃寺跡へ、私のうっかりミス(ガス欠だったのを忘れていて給油に時間を取られてしまった)で些か遅れてしまった。
 さて本日は、足利市久保田町の墓地を中心に高橋氏が案内してくれると言うことで、少なからず期待を抱いていたが、最初に訪れた本源寺で早速に「十王」に関する碑塔と対面することが出来た。後でHPの方へ掲載しますが、この手の十王に関する碑塔は栃木県内で初めての出会いだけに、今日の成果としてはこれだけでも十分な気持ちになってしまう。その後に訪れた、西久保田地区では、それこそ沢山の碑塔に出会い感激物です。特に如意輪観音像の修復記念碑や、この地区で共通してみられる宝篋印陀羅尼経の銘文等々。午前中のほとんどをここで過ごしてしまったと言っても過言ではないほどです。それでも、面倒になって石文を解読しないものが1基残ってしまいました。何しろ今日は、朝から肌寒い曇天なので、手拓する気持ちが失っていたのです。また、途中の浅間神社では全く意味不明な文字塔にも出会ってしまい、こちらは只今のところ宿題として預かり中です。
 昼食を取るに相応しい場所がなく、碑塔の何もない神社の拝殿階段に腰掛けてラーメンにお湯をかけて流し込むだけの何とも侘びしい昼食時間となりました。その後は、羽刈町や県町を巡って福居町へと廻りました。その途中、県町で古い「石敢當」を民家塀の脇で発見。自然石に文字が陰刻されている平凡なものですが、それがかえってその「石敢當」らしい信仰雰囲気を持っていましたので、これも本日の私にとってはお宝物となりました。そして最後に辿り着いたのが、福居町の地蔵堂です。その墓地入口には沢山の碑塔がありましたが、写真を撮るには曇天のために暗すぎるので、三脚を出そうとしてビックリ。車には、朝方に使用した三脚が乗っていなかったのです。そう、簡単に言えば置き忘れたのです。急いで、どこに置き忘れたかを記録用紙をめくってみれば、久保田町の廃寺跡墓地内。そう言えば、この墓地内で写真を撮っていたとき、少し離れた場所にある橋供養塔を見に行ったことに起因していたのです。その石塔全文の内容が確認されぬいらだちのまま諦め、側に駐車した車に乗ってしまって、墓地内に置いてきた三脚のことなどすっかり忘れてしまっていました。そしてその後、三脚を使用せぬまま行動していたので気づかなかった次第!
 嗚呼、何という失態。今日の最後の場所として到着した地蔵堂には、いち早く重制石幢六地蔵の龕部があるのを高橋氏が見つけながら、それら全ての碑塔調査には少なくも1時間以上はかかるからと、この場所の調査を断念して三脚を忘れたところまで戻ることにする。その三脚は共同墓地内ということもあって、到着してみれば「忘れもんだヨ〜」と言わんばかりに撮影した状態のまま置いてある。
 そんな次第で、足利市で15基目となる石幢を目の当たりにしながら調査できず、ここから帰宅することになった。それでも、先週より4基多い36基もの石造物を調査できた嬉しさに変わりない。それにしても悔しい。帰宅した後も、あの石幢が目に浮かんでくる。そこで、今年最後となるだろう次回の石仏巡りは、何をさておいても朝一番でその地蔵堂へ行くことにした。そうでないと、今年の石仏巡りの締めとして何とも気分が悪い!そんなこんなで、高橋氏に今年一年の挨拶も出来ぬままとなってしまった。
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2007年12月15日は栃木県足利市の石仏巡りです

2007年12月16日 | Weblog
 2007年12月15日(土)は、佐野市在住の高橋氏と一緒に、足利市の石仏巡りに行きました。県南地方の悩ましき問題に、赤城下ろしの寒風がありますが、幸いにも風も少ない快適な天候の元で楽しい一日を過ごすことが出来ました。そしてつくづく思うのは、「足利は面白い!」と言うことです。何しろ足利は、私にとってまだまだ沢山の場所の未知の地がありますので、今回も新鮮な碑塔に沢山で会えました。
 まず最初に訪ねた借宿町の円満寺さんでは、明和2年銘の六臂如意輪観音像容「二十二夜供養塔」に、「奉献三日夜燈」という灯篭一対にも出会いました。特に、この灯篭銘文には初めて出会ったので、住職さんに聞いたところ、それは不動明王に関する日にちということが判り、大満足です。また、境内には埼玉県小川町の高瀬氏が熱を上げている渡良瀬川氾濫による災害碑があり、これは高橋氏に長文を書き写して頂きました。早速、高瀬氏にはファックスでその銘文をお送りしましたので、いずれ実見しに来県されることでしょう。
 その後も、本日のために私が行きたい場所を選定した場所へ、高橋氏の先導で巡りました。その途中、田中町の医王寺墓地内で、本日唯一の宝篋印陀羅尼経塔と巡り会うことが出来(銘文が長文で、その内容も私的には面白い物でした)、私としては文句の付け所のない一日となりました。更に、同地には「いぼ薬師さま」が祀られていたので、これも平松氏に連絡することにしましたが、指定メールでは添付画像が送れず、只今先方からの連絡待ちと行ったところです。
 もちろんその後もあちこちと自分の行きたいところばかり案内させてしまい、少なからず高橋氏には申し訳ないと反省しました。そんな、本日の石仏巡りも終了間近になって、通り過ぎた共同墓地の真ん中に石幢六地蔵が建っているのを、車を運転しながらチラッと発見。しばらく走ってから、高橋氏にもう一度戻ってもらうことにして行ってみると、それは正しく単制石幢六地蔵でした。これで、足利市での石幢六地蔵は14基確認です。ホントッ、高橋氏と一緒に巡り足利市では、これまでにも沢山の思いがけない碑塔に巡り逢えることが出来た、何とも不思議な高橋氏との石仏巡りです。しかも、嬉しいことに来週22日も一緒に足利市を巡ってくれるとのこと。しかも次回は足利市久保町を中心に、高橋氏は既に確認済みの場所等を私のために案内してくれるというので、今からその成果に胸を躍らせている。今回もそうだが、足利市の碑塔には偈頌が付いている物が多いので、今度はどんな内容に出会えるか楽しみである。
 願わくば、今度の土曜22日も風のない穏やかな日和であることを願っている。
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2007年12月8日は栃木県小山市の石仏巡りです

2007年12月09日 | Weblog
 2007年12月8日の土曜日は、半年ぶりに栃木県小山市へ石仏巡りに行きました。足利市にしようかとも思ったのですが、栃木県南地方へ行くのは暫くぶりなので、マア様子見と県南に慣れるために、小山市でも大平町寄りの上泉周辺を巡りました。
 そして来て、最初に感じたのがやはり県南地方は宇都宮より暖かく、日光地方と比べると雲泥の差があることです。一度もジャンパーのお世話になることもなく、薄着のままで過ごすことが出来ました。もっともその分、碑塔としては面白い物がなく淡々と十九夜塔や文字庚申塔に念佛塔などを記録するだけにとどまりました。そのためか、暫くぶりに調査した碑塔の数は48基という豊作でしたが…。中身が薄い!
 その中でも、やはり面白いのは宝篋印陀羅尼経塔の多さで、別に意識したわけでもないのに一日で3基も調査できました。特に、最後の最後にもうそろそろ帰ろうとした時に大川島地区共同墓地の中で出会ってしまい、仕方なく時間をかけて銘文を書き写しました。お陰で、帰路はライトをつけて走ることになり、家に着いたときはまっ暗でした。やはりこの時期は、午後3時半には調査終了にしなければと思いました。何しろ、多摩石仏の会の皆様とは違うのだから。
 来週は、やはり小山市よりは面白い碑塔に出会えそうな足利市へ行こうと思っています。それも、もし佐野市在住の高橋氏が都合良ければ誘ってみようと思っています。高橋氏に渡したい個人的資料もあるので…。

さて、以上のような次第で今回こそ皆様にお見せするような碑塔写真はありません。HPの方の掲載に悩んでいますが、恐らくつまらぬ数点を掲載して終わりになるだろうと思っています。そして今、最も悩んでいるのは、毎日毎日遊びに来るジョウビタキです。ガラス戸を開けておけば、部屋の中に勝手に入り込んで仏壇を悪戯するわ、車のバックミラーを覗いては遊んでいて、その後はバックミラーが糞だらけ。おまけにガラス戸を閉めておけば、開けろ!と言わんばかりに足蹴りしていて、ガラスは汚いジョウギタキの足跡だらけという始末です。それに比べ、群で同じく遊びに来るメジロやシジュウカラは上品なもので、皆で一緒に水浴びしたりして遊んでいるだけで、けっして悪戯はしません。昨年は、慣れすぎたコガラ夫婦に悩まされましたが、今年はどうしたわけか部屋の中へ入ってまでは来ずに上品に遊んでいます。まあ、ジョウビタキは「冬の独り者」と言いますから、来春三月まではこのまま一緒に生活することになるのでしょう。それにしてもどうせ遊びに来るのなら、オスが来れば良かったのにと、贅沢?な悩みです。
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12月1日は多摩石の皆さんと那須地方へ行く

2007年12月02日 | Weblog
 12月最初の土曜日である1日は、多摩石仏の会会員の加地氏の発案で、多田氏に五島氏を加えた3人に私とで那須方面の石仏巡りに行きました。天候は申し分なく、風さえない絶好の石仏日和となりました。朝、9時に五島氏一人が先行してJR黒磯駅に着いたので、他の人達が来るまでの僅かな時間を利用して駅前の黒磯神社へ一緒に行きました。そしてそこで思わぬ石塔に出会えました。それは、当栃木県ではまだ出会っていない「地神」塔です。また、足尾山灯篭には宝珠の代わりにキツネ像が乗っている灯篭などもあり、私としてはこれで念願だった、初めて栃木県で地神塔に出会えた嬉しさで、何はともあれバンバンザイである。
 さて、最も遅く到着したのは宇都宮駅で一電車乗り遅れた加地氏で9時38分に到着。全員が揃うや挨拶もそこそこに早速、先ほど行って来た黒磯神社へ今日の石仏巡り予定には入っていないのに行く。何しろ地神塔は、栃木県には原則として無いので、私としては多田氏から説明を受けて記録と写真を撮る。また、境内には今年奉納されたばかりの「面足尊(おもたるのみこと)」と、「かしこ根尊」の男女像二体を皆で見る。私も随分と様々な石造を見ているつもりだが、この二神の像容を見るのは初めて。同様に多田氏達も初めて見る姿だと、今日は朝一番の石仏巡りから思わぬものを見られたと大満足である。
 そして今日二番目の訪問先は、私の作った石仏巡りの第一番目になる黒磯市堀越地区のネコ像二体を見に行く。そしてここのネコ像を始めとして、今日は沢山のネコ像を結果的には見ることになり、合計で7頭も見ることになった。その後はあちこちと、道を間違えながらの石仏巡りとなって作成した石仏巡り予定にはない、途中で出会った石仏を見学して歩く羽目になる。特に日記念佛塔と重制石幢六地蔵にはどこへ行っても見ることになった。そのために、予定に入れた二番目が終わった段階で12時となり、そこの広々とした草地に座って、紅葉の山並みを見ながらの昼食となってしまった。この分では、とうてい予定していた箇所全ては見られないので、幾つかを省略して見て歩くことになってしまった。それでも高津地区での雷神像に二枚橋の温泉神社や個人宅から入る愛宕様での大きな猪に乗った将軍地蔵。また、一度福島県の白河市へ入って戻る綱子地区のバンザイ型庚申塔や馬頭群なども廻ることができた。この頃から陽は早くも西へ傾きだし、急ぎ豊原地区へ入って鬼子母神やら御幣持ち馬頭観音像等を見る。そして最後は一石百馬頭観音像を見てから、夏場ならあと二時間は見られるのに残念と、宇都宮駅へと帰路に付いた。
 それにしても、東京の西部から日帰りで那須の地の石仏巡りをする皆さんの情熱には今回も脱帽である。特に多田氏に至っては、今年で那須は三度目の訪問。特に今日の石仏巡りは加地氏の希望を多く取り入れたので、多田氏は既にその多くは見ているものばかりなのに参加して下さり、その飽くなき探求心に驚くばかりである。
 私の石仏巡りを終えての感想としては、果たして相変わらずの私の好い加減な石仏案内で満足してくれただろうかという思いである。これに懲りず、また来年も機会があれば皆さんと石仏巡りをご一緒したいものと思っている。
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