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快気分析

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仕組みとアプローチ -  仮に足利義昭へ偽情報が流されたとしたら、それは毛利氏か秀吉か、双方の連携か

2020-09-24 22:13:02 | 明智光秀
 前回記事の続きです。
 当時の足利義昭は毛利氏に鞆に於いて匿われていたようなものですから、毛利氏から情報を得ていた事は当然でしょう。
 しかし秀吉は調略に長けていました。
 敵方のトップを調略できなくてもその家臣らを次々とあの手この手で調略して行った事例が多々有る以上、足利義昭に近ついて「信長から守ってやれるかどうかはわからないが、取引に応じてくれれば可能な事はする」と言うような駆け引きはやっていたかも知れません。
 そして仮に毛利氏と秀吉が既に共謀状態で有ったなら、毛利氏は秀吉の密使が足利義昭に近付くのを敢えて妨害しなかったかも知れません。
 更に毛利氏と秀吉が連携して口車を合わせ、さもあたかも毛利勢と秀吉勢の戦闘が長引くような事を双方から足利義昭に伝わるようにしていた事も考えられなくは有りません。
 いずれにしても当時の備中あたりから大阪に至る瀬戸内海の制海権、陸上交通権はほぼ既に秀吉が握っていたわけですから、足利義昭からの密使は秀吉勢が通してやらなければそう簡単には京都まで辿り着けなかったはずだったと思われます。
 明智光秀から毛利氏への密使を妨害するのも、毛利氏や足利義昭から明智勢への密使を妨害するのも、或いはワザと通してやるのも既に当時の秀吉にはコントロール自在だったのではないでしょうか。

仕組みとアプローチ -  「秀吉か毛利氏が足利義昭へ故意に偽情報を流し、それが明智方へ伝わった」と言う可能性を考える

2020-09-24 12:50:42 | 明智光秀
 山崎の戦いで大敗した明智光秀がなぜ計算違いをしたのか?についてもう少し考えてみたいと思います。
 秀吉があれだけ早く毛利氏と和睦し、「中国おお返し」を強行できるとは考えていなかったわけですが、それで考えられる事の一つが「光秀が毛利氏と連絡を取り合って、秀吉の軍勢を備中に釘付けにしておける見通しがたっていた事」です。
 ただどうでしょうか、これって仮に本能寺の変の前からだと光秀が信長の存命中に敵方である毛利氏と連絡を取り合っているのだとしたら信長の逆鱗に触れるわけで、あまり考えられない事かと思えます。
 もう一つ考えられるのは光秀が秀吉を信用してしまっていたので、毛利勢との戦闘状況について暫く膠着する旨の事を秀吉から聞いてそれを信じてしまっていたケース。
 このあたりはどうなんでしょうか?
 秀吉と毛利勢が癒着していると疑い始めていたのならそれは有り得ないし、疑っていなかったのなら或いは有り得たのかも知れません。
 ただ仮に疑っていなかったとしても、信長が討たれた後には当然、主君の仇討と言う事で秀吉が敵対するのはわかっているはずですから、秀吉を信用した可能性は少ないのではないでしょうか。
 個人的な見方に過ぎませんが次に考えられるのは、「当時の征夷大将軍であった足利義昭に秀吉か毛利氏が意図的に偽情報を流し、これを本当と思い込んだ足利義昭が旧室町幕府奉公衆らである伊勢貞興などに『秀吉の軍勢は毛利勢との戦いが暫く膠着、或いは泥沼化するだろうから上洛できないだろう』と言うような事を、さもあたかも真実味が有るかのような話として伝えた」と言うものです。
 「伊勢貞興らが足利義昭から伝えられたこの話を聞かされ、毛利氏からでも秀吉からでもない情報だった為、これをつい信じてしまった斎藤利三や伊勢貞興らが信長襲撃を決意した」、と言うシナリオになるわけですが、これは可能性として有る程度は考えられると見ています。
 明智光秀の計算違い?と思える事は更に他にも有ると考えているのですが、それは気が向けば後で記事にするかも知れません。