快気分析

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仕組みとアプローチ -  弥助が本能寺から二条御新造に行ったと言う事の不可解な点

2020-01-28 21:14:31 | 明智光秀
 江戸時代以前の史料によると、本能寺の変が有った時に弥助は前夜から本能寺に信長らと共に有りました。
 そして本能寺から退出(脱出?)して信忠らがいる二条御新造に行ったような事が書いてある史料も有るようです。
 この件について当時の状況から考えると(個人的に程度に過ぎませんが)どうも不可解に思えるような点が有る気がするのです。
 弥助が本能寺を退出(脱出?)できる位なら信長だって脱出できてしまうのではないでしょうか。
 当時はおそらく蟻も這い出る隙も無い位に襲撃部隊に包囲、監視されていたはずで、とてもわからないように本能寺から移動する事など出来なかったはずです。
 「弥助が襲撃部隊に紛れて脱出した可能性」については、弥助がアフリカ系の人で肌の色や顔つきが違い、そして180cm以上の長身だったと言われる事からどう見ても目立ってしまい必ず見つかったはずで到底有り得ないと考えてしまいます。
 そうなると浮かんで来る事は「襲撃部隊には弥助なら討たずに逃がしてやる、と言う命令が出ていた可能性が高い」となるわけで、確かに二条御新造で弥助が投降した時も明智光秀は殺さずに逃がしてやったようです。
 しかし本能寺、二条御新造の襲撃が終了した後ならそれもわかるのですが、「本能寺から出てどこかへ行く」、と言うのは信忠らにいち早く危機を知らせる為である可能性も高いわけでこれを襲撃部隊が何故放っておいたのか?と言うのが疑問になって来ます。
 それで想定できる事の一つは、「弥助が自由に移動できるのを容認して容姿が目立ってわかりやすいのを良い事に襲撃部隊は弥助の後を追い、おそらく信忠の所へ行くだろうからそこで信忠を討つのに利用しようとした」、と言う可能性です。
 もう一つ想定できる事は弥助が「南蛮寺(教会)へ戻りたい」と言ったのでその通りにしてやったケース。これなら納得できなくも有りませんが、では南蛮寺のイエズス会関係者は弥助が危険な二条御新造に行くのを何故許したのか?と言う疑問が出て来ます。
 もしかするとと言う程度ですが、イエズス会は「弥助が信忠の所に行くのを容認する事で、襲撃部隊が後を追い、信忠を討つのに役立つように誘導しようとしたのではないか」とも思えて来ます。
 通常なら教会にいるように指示するはずなのを敢えて混戦が予想される信忠の居場所に行かせたのは、「やはりイエズス会もまた間接的に信長、信忠襲撃に加担していたのではなかろうか」、と考えられて来てしまうのですが、これは仮に弥助が教会に一度立ち寄った場合のケースに過ぎないので実際の所どうだったのかについて確定までは行っていません。