快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 家康は堺へ行く前に京都、大阪を訪れている

2018-05-09 12:57:55 | 明智光秀
 安土城で信長の歓待を受けた家康はその後、堺にいた時に本能寺の変が発生しました。
 実際には安土城を出た後、京都を見物、その後は大阪、そして堺へ着いたと言うルートだったようです。
 このあたりは「家康 本能寺の変 安土城 京都見物 堺」などのキーワードで検索すれば多くの資料が出て来るので、現状ではこの通りだったと解釈するしか有りません。
 そしてルイス・フロイスが書いている主旨の通り、信長が家康を討とうとして明智の軍勢が京都に進んだと思っていた者もいたと言うのが本当であれば、それは「本能寺には家康がいて信長はおらず、襲撃実行は主君信長を襲撃する事ではない、と明智方の一般兵が思うとしか考えられない、と言う事を知っていた人物が信長襲撃をコントロールしていた」、と言う事になると個人的には見ています。
 その理由は「信長を襲撃する為に兵を動員させている」と言う事を一般兵が知れば、例え末端の兵であろうとクーデターに加担していればそれが失敗した場合に処刑が待っている可能性が高いと思う以上、明智軍から逃亡する兵が続出するはずだからです。
 それでは「本能寺に本物の信長がいて、かつその前に家康が京都見物から既に離れていた事いた事を知っていたのは一体誰なのか?」と言う事になるのですが?
 実行した斉藤利三だけでなく、このあたりの情報把握が可能な人物、組織が確実な情報の提供者として怪しい、と言う事になります。
 明智光秀が果たしてそれを知っていたのか? 家康も信長が本能寺に入る事を知っていたのか? と言う事になると、どうも知っていたと断定しきれない部分も有ります。
 該当する可能性としては、公家、茶人、商人、寺社勢力、イエズス会、京都の情報に詳しい武家、など多々考えられますが、もう一つはこれらの内の単独ではなく、これら候補の複数の組み合わせが「黒幕ネットワーク」を構成した可能性も有ったのかも知れません。