快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 織田信忠が征夷大将軍に任命予定であった可能性

2018-05-21 19:21:07 | 明智光秀
 毛利氏を攻めるに当たって織田信忠が征夷大将軍に任命予定であった可能性が高かった事は以前の記事でも書きましたがその根拠として、例えば甲州征伐のと時に織田信忠がどのような官位だったかと言うと、「甲州征伐 織田信忠 征夷大将軍」で検索すれば直ぐに多くの資料が出てきます。
 何の事は無い、「甲州征伐に当たって織田信忠がそのトップであるならば征夷大将軍であってもいけなくはないのですが、当時は征夷大将軍が足利義昭であったのでそうも行かず、織田家は征狄将軍になるしかなかった」、と言う事の様です。
 ならば京都より西である毛利氏領に大攻勢をかけて制圧するにはどう考えても征夷大将軍と言う肩書きを得る方向だったと見るのが普通ではないでしょうか。
 毛利氏攻めの名目上のトップは織田信忠。
 朝廷は脅されて仕方なくだったかどうかは別として、織田信忠に征夷大将軍と言う肩書きを与えるしか無かった、と個人的には考えています。
 仮にそうであったとすれば旧足利幕府奉公衆達は最後のチャンスで信長を討とうとしたのが当然、と言うのが当ブログのロジックです。

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 伊勢貞興が織田信忠を襲撃する部隊の主力だった理由

2018-05-21 09:22:09 | 明智光秀
 本能寺の変の時に伊勢貞興が明覚寺や二条新御所にいた織田信忠を襲撃する部隊の主力だったと言うのが通説です。
 毛利攻めにあたっては織田信忠が朝廷かから征夷大将軍に任ぜられるのが確定していた可能性を以前にも記事にしましたが、そこまで確定していなくてもそう思う人達は多かったはずと個人的には考えています。
 何しろ明智光秀が国替え先が出雲石見、つまり名目上は御料地と言う朝廷直轄領であったので、そこへ攻め入るには征夷大将軍と言う名目が必要となるはずです。
 それが何を意味するのか?と言えば「当時の征夷大将軍であった足利義昭を解任する」と言う事です。
 そうすると伊勢貞興など旧室町幕府奉公衆達には室町幕府再興のチャンスが二度と無くなる、そして織田勢を襲撃するタテマエももう二度と来なくなる、と言う事でもあったはずです。
 無論、本当に織田信忠の征夷大将軍就任が確定していたかはわかりませんが、多くの人達がそれを考えていたとすれば、例えば公家衆などは伊勢貞興らにそうともとれる話をして織田信忠襲撃を煽った可能性と言うのは可能性として考えられます。
 石見銀山と言う御料地から得られる莫大な収益のどれだけが朝廷に納められ、どれだけが毛利氏の取り分だったのかと言う事については定かな資料は確認できていません。
 ですがどうも信長は毛利氏討伐、石見銀山占領後にこの銀山から得られる収益について朝廷へ納める比率を減らそうと考えていたのではないか? とも思え、しかし一方で天皇やその後継者、皇族に対して納める額を減らすわけにはいかないので中間層以下など公家衆への利益配分を減らし、その分を明智方を含む織田勢で得ようと考えていたのではないか、と見ています。
 本能寺の変の前日に開かれた茶会では信長の主張する暦通り日食は起きた、それが何を意味するかと言うと、公家衆の少なからぬ割合がリストラされるかも知れない、と公家衆達は考えた可能性は高いと言う事だったとも思えます。
 
 上記の仮説で考えると多くの出来事について辻褄が合って来るのがわかります。