快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 明智光秀が毛利攻め参加を不安に思っていた可能性で更に一つ

2018-05-07 19:50:33 | 明智光秀
 前々回の記事では仮に「秀吉が毛利氏と癒着、共謀関係にあるとすれば」と言うケースについて考えられる事ですが、そこまでの癒着、共謀関係でなくても「秀吉が毛利氏を利用して明智光秀を討とうとした可能性」も有るかと思われます。
 それはこうです。
 「秀吉が明智の部隊の作戦や動きを毛利氏にそれとなくリークして毛利氏に明智光秀を討取らせる、或いは大打撃を与えて信長からの評価を下げる」。
 味方とは言えライバルであり、信長があまりにも家臣間の競争を煽るような事をしていた当時の状況ではこのような事は十分考えられ、例えば似たパターンとして次のようなケースが有ります。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%B8%85%E6%AD%A3

慶長2年(1597年)からの慶長の役では、左軍の先鋒となった小西行長に対し、右軍の先鋒となる。再び朝鮮に渡海する際、行長は明・朝鮮軍側に清正の上陸予想地点を密かに知らせ、清正を討たせようとしている。しかし敵の李舜臣はこれを罠だと判断して出撃せず、清正は攻撃を受けなかった。

引用終了

 敵を使って見方のライバルを討取らせると言う事は当時はある程度発生していたのではないでしょうか。
 光秀がそれまで数々の軍功を挙げていた事を考えると、攻撃する敵方家臣間のイザコザから同じように情報がとれて戦闘で勝てた事も有ったのではないでしょうか。
 仮にそうした経験が有ったとすればですが、光秀はやはり毛利攻め参加を不安に思っていた可能性もゼロでは有りません。
 しかしだからと言って信長を討つとまで考えたかどうかはわかりません。
 特に「秀吉と毛利氏が癒着しているのではないか?」と光秀が見ていたならば、「信長を討てば途端に秀吉と毛利氏、更に既に秀吉方となっていた宇喜多氏などが総結集する為、中国おお返しかそれに近い移動、そして明智軍に襲い掛かって来る」、と考えるのが普通であり、信長を討つと言う無謀な事は相当な準備をしてからでないと光秀ならば行わないのではないか?と思うのですが真相はどうだったのでしょう。