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快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  明後日は満月 そして既に積雪が多くなっているエリアが多い状況

2024-01-24 22:25:31 | 火山 地震 津波 
 明後日26日は満月。
 今日はその前後4日間に既に入っています。
 月齢による地震トリガーとして平均よりは大きいはずですが、地震トリガー全体としては月齢によるものだけではないので全容はわかりません。
 積雪で屋根などが雪で重くなっている時に大き目の地震が来ると、少なくとも積雪が無い時よりは地震による影響が大きくなるわけで、特に能登半島地震で(一目見てわかる、わからないにかかわらず)ダメージを受けているような建物に関しては通常より注意が必要と思われます。
 危なそうなら安全な建物へ避難するに越した事はありません。


仕組みとアプローチ -  新耐震基準の弱点1 地震荷重は水平繰り返し荷重しか考えていない

2024-01-21 09:13:16 | 火山 地震 津波 
 令和6年能登半島地震では倒壊した建物の殆どは新耐震基準を満たしていないものでした。
 しかし新耐震基準を満たしている建物でも一部は損壊しているものも有ります。
 それで新耐震基準について調べてみるとわかるのですが、新耐震基準と言っても結局は「地震荷重は水平成分だけしか想定していない」のですね。
 実際に能登半島地震だけでなく、他の大地震でもドスン揺れとかの垂直成分が多く含まれる地震、或いは垂直成分と水平成分が合成された斜め荷重などが発生するケースが有るわけで、これらの荷重をクリアできる強度計算とはなっていないようです。
 なので垂直成分、或いは垂直成分と水平成分が合成されたような地震荷重がかかると案外弱かったりするケースも有るのではないでしょうか。
 それでも屋根や外壁などだけでも軽ければ何とか耐えられるケースも有るのですが、屋根や外壁が重かったり、或いは屋内の家具などの積載荷重がかなり大きかったりして想定外の地震荷重条件となった場合にはダメージが表面化する事が有るのかも知れません。
 

仕組みとアプローチ -  日本海側で発生する津波は太平洋側のものよりも到達までの時間が「いつも早い」のはホント?

2024-01-20 15:45:27 | 火山 地震 津波 
 主旨はサブタイトルの通りで、日本海側で発生する津波は太平洋側よりも到達までの時間が「早い」のはいつもホントなのかどうか。
 結論から書きますと確かに確率的にはそう言う傾向が有るのかも知れませんが、しかし太平洋側だって津波到達までの時間がかなり「早い」ケースだって有るはずです。
 理由は単純。
 海底の地滑りや崖崩れ、海底陥没などによる津波の存在です。
 これらが発生し得るような可能性のある傾斜や地盤状況の海底は太平洋側で結構有るはずなのですが、それらの条件となる状況は現状で調査しきれていません。
 なので海底地すべりや海底崖崩れ、海底陥没などを想定すれば太平洋側でも津波到達時間が短いような事象が今後発生し得る事は当然考えられるはずです。

仕組みとアプローチ -  海底隆起を伴う地震でも地震や津波被害が殆ど無かった例

2024-01-20 08:38:06 | 火山 地震 津波 
 海底隆起を伴う地震の例は多くあるのですが、その中でも例えば1590年の安房での地震のように地震被害が殆ど無かったケースも有るようです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#16%E4%B8%96%E7%B4%80

1586年
1月16日(天正13年11月27日) 飛騨で地震 - M7.0 ± 0.2、天正地震に先だち発生。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。
1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M7.8 - 8.1(8クラスの地震と7クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の地震の同日発生の可能性がある。養老断層(愛知県)の活動の可能性が高い。阿寺断層(岐阜県)が活動したとする説もあるが[86]、史料の詳細検討による震度分布から否定される[85]。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントで地震が同日に3つ以上発生した可能性もある[注 12]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2メートルの隆起あり。潮が引いて3キロメートルの干潟が形成された。
1596年 以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震) - M7.0、寺社倒壊など。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。ただし次の豊後地震と同一の可能性もある。
9月1日又は9月4日(文禄5年閏7月9日又は閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M7.0 - 7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだと伝わる。大分県を走る別府-万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M7+1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島 - 神戸 - 大阪北を走る六甲・淡路島断層帯や有馬-高槻断層帯での地震と考えられている。


引用終了

 このような隆起を伴う地震なら通常は地震や津波で多大な被害が出る事が多いのですが、この時はスロースリップに近いような地震だったようで関東移封されたにも拘わらず家康が強運に恵まれた事がわかる典型ではないでしょうか。
 一方で秀吉の勢力圏では大地震とそれに伴う被害が多発しました。
 家康とその重臣らの緻密な計算による面は有りますが、歴史は自然災害により決まる面が大きい、と言うのは確かなようです。

仕組みとアプローチ -  金沢地震(1799年)をどう考えるか

2024-01-19 23:52:06 | 火山 地震 津波 
 今年の能登半島地震は激震だったわけですが、隣接域と言える金沢市とその周辺の大地震については次のような史実が有ります。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#18%E4%B8%96%E7%B4%80

5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M6.4±0.2、死者約15,000人。
6月13日(寛政4年4月24日)後志地震 - 北海道後志神威岬沖合で地震。M≒7.1又はM7.3[123]。小樽から積丹(しゃこたん)岬にかけての地域で揺れを感じ、津波が発生したとされている[124]。日付を5月24日とする文献もある(『北海道史』)。
1793年
2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震(鯵ヶ沢地震) - M6.9 - 7.1。西津軽・鰺ヶ沢で強震、津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M8.0 - 8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1⁄4又はM6.7[123]。金沢などで地震。死者640人、その他の地域でも死傷者あり。
19世紀前半
1801年5月27日(享和元年4月15日) 上総地震 - 久留里城が破損。
1802年12月9日(享和2年11月15日) 佐渡小木地震 - M6.5 - 7.0、死者37人。
1804年7月10日(文化元年6月4日) 象潟地震 - M7.0±0.1、死者500から550人。象潟で2mの地盤隆起と3から4mの津波。
1808年12月4日(文化5年10月17日) 紀伊半島沖で地震 - M7.6、深夜に2度の強い揺れ。紀伊半島から四国にかけて弱い津波。2004年の地震に類似[125][126]。
1810年9月25日(文化7年8月27日) 男鹿半島で地震 - M6.5±1⁄4、死者60人

引用終了

 この時も東日本大震災と同様でやはり少し前にあたる1793年に寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M8.0 - 8.4が発生しています。
 ただこの金沢地震が発生した前後数年で能登半島地震が発生していません。
 そして約9年後にあたる1802年に佐渡小木地震が発生。
 つまり能登半島の両端に該当する金沢と佐渡での大地震と言うわけで、何でその中間にあたる能登半島で大地震が発生しなかったのか?と言うと、それは1729年に発生した能登・佐渡地震により既にストレスが有る程度は解消されていた為、と言う事なのかも知れませんがそれは定かではありません。
 仮にこのパターンが繰り返されるのだとすればですが、金沢市周辺では今後数十年は大地震が発生しない、となるのでしょうがそれは当時の地下で発生していたストレス等の条件と全く同じと言う事は無いわけで、つまり金沢地震がいつどういう規模で発生するのかと言うのはわかりません。
 ただ1799年の 金沢地震がM6.0±1⁄4又はM6.7と言うようにそれ程の地震規模ではないにも関わらず、犠牲者が死者640人と多かったのは、当時の金沢市周辺が加賀前田百万石と言われたように城下町として栄え、おそらく耐震性があまり無い、しかも重たい瓦屋根の建物が軒を連ねていた為ではなかったか、と思えます。
 今回の能登半島地震についてもあの重たそうな瓦屋根が仮に軽量の金属屋根とかだったら犠牲者はかなり少なかったかも知れません。
 金沢市とか佐渡でも今なら未だ間に合う。
 備えあれば憂い無し。