前回記事の続きです。
一般には「関ヶ原の戦い」が天下分け目の戦いとされていますが、これについては別の見方をするのも良いと思っています。
それは「浅井畷の戦い」こそが東軍勝利の大きな要因となった天下分け目の戦いだとする考え方によるものです。
西軍に属する丹羽長重の軍勢と東軍に属する前田利長の軍勢が衝突したこの戦いはかろうじて前田利長勢の勝利となりました。
仮にこの戦いで前田勢が敗北していたらどうなったか?
それはキリシタン武将の代表格である高山右近が西軍に加勢すると言う事になるわけで、だとすると京極高次もまた西軍に加勢する可能性が高かったと思えます。
すると小西行長、高山右近、京極高次(洗礼前だったが実質キリシタン武将)のキリシタン武将3人が全て西軍側として戦うわけで、これでは東軍はイエズス会を味方にはできず火薬などの調達が十分にできなかった事にならないでしょうか。
更に京極高次が西軍側として戦うと、戦上手な立花宗茂が大津城で足止めされる事もなく京極高次らと関ヶ原の戦いに加わる事となります。
家康でさえもが恐れたが故に関ヶ原の戦いの後に再度大きな石高の領主に返り咲いた立花宗茂です。
関ヶ原の戦いに西軍として加わっていたら東軍はどうなっていたでしょうか。
家康は明智光秀がキリシタン武将の離反防止を徹底できずに大敗した教訓を十分に生かして西軍に勝利した面も大きいと見ています。
一般には「関ヶ原の戦い」が天下分け目の戦いとされていますが、これについては別の見方をするのも良いと思っています。
それは「浅井畷の戦い」こそが東軍勝利の大きな要因となった天下分け目の戦いだとする考え方によるものです。
西軍に属する丹羽長重の軍勢と東軍に属する前田利長の軍勢が衝突したこの戦いはかろうじて前田利長勢の勝利となりました。
仮にこの戦いで前田勢が敗北していたらどうなったか?
それはキリシタン武将の代表格である高山右近が西軍に加勢すると言う事になるわけで、だとすると京極高次もまた西軍に加勢する可能性が高かったと思えます。
すると小西行長、高山右近、京極高次(洗礼前だったが実質キリシタン武将)のキリシタン武将3人が全て西軍側として戦うわけで、これでは東軍はイエズス会を味方にはできず火薬などの調達が十分にできなかった事にならないでしょうか。
更に京極高次が西軍側として戦うと、戦上手な立花宗茂が大津城で足止めされる事もなく京極高次らと関ヶ原の戦いに加わる事となります。
家康でさえもが恐れたが故に関ヶ原の戦いの後に再度大きな石高の領主に返り咲いた立花宗茂です。
関ヶ原の戦いに西軍として加わっていたら東軍はどうなっていたでしょうか。
家康は明智光秀がキリシタン武将の離反防止を徹底できずに大敗した教訓を十分に生かして西軍に勝利した面も大きいと見ています。