くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

パワースポット

2010年10月20日 | くない卿見聞記
先月のシルバーウィーク。
初日は盟友宅にて開かれた芋煮会に参加。
基本は山形庄内風で、そのレシピ通りに一応しましたが、最後は己の味覚で決めた芋煮は・・・結構美味かったです
加えて、用意されていた中を詰めて作った餃子も、5,60個近くを4人でペロリ。
始めは食べ切れない・・・と思ったんですが、食べ始めたら美味くて美味くて!
箸がどんどん進んで、気が付けば無くなってました。

そんな飲み食いをした翌日の日曜日。
鈍った身体がちと気になったので、心身共に引き締めよう!と、車を走らせること1時間強。
予てより行きたかった!常陸國一之宮鹿島神宮に向かいました。
ウチからは、東関道を飛ばせばあっ!という間。
トンネルは無く(笑)
変化に乏しい道程なので、夜に走るとちょいつまないでしょうが、概ねなだらかな道なので、昼間走らせるには快適です。

快速運転が出来た東関道も潮来が終点。
鹿島(神宮)まですぐそこなんですが・・・ここからは一般道。
ナビの案内通りに進んで行くと・・・目的地へ行くには関係者用の道しかありませんでした
ナビの地図データは7年近く前の、まだ東京メトロ帝都高速度交通営団(参考)と呼ばれていた頃のモノ。
また、してやられた...と、若干戸惑っていたら、その先で車の出入りしている様子が。
進んでみると、鹿島神宮の鳥居があり、脇には専用駐車場が!(多分。)
しかも、まだ空いていたので迷わずここに止め、その鳥居に一礼をしてから境内に入りました。


なお、この後衝撃的事情を知りました。それは...
鹿島神宮の正面玄関たる二ノ鳥居表参道にも駐車場があったんです。
それも有料の(笑)
ただ、私がそれを知らず、そこへ行く道の入口も、交差点名が「神宮口」などではなかったので気が付かずに通過してました

まぁ、怪我の功名とでも申しましょうか。。。
ともあれ、公式な駐車場(?!)に止められたので、心置きなく境内を巡りました。


鳥居より少し歩くと、御手洗池に辿り着きます。
反対側には泉が沸いていて、煮沸をすれば飲める・・・ということで、持って帰る人が結構いました。
ただ、私は水の流れる音が大好きなので、水は持ち帰らず、水流の音を記憶して次へと向かいました。

池の向かいに建つ茶屋の間を抜け、結構急な坂を登って行くと...

奥宮に辿り着きます。

造営は江戸時代で、小ぢんまりとしていましたが、立派で厳かさが感じられます。


この手前に道と道標があったでの、それ従って進んでいくと...
在りました、要石が。

なんでも、大鯰の頭上にこれがあることによって、地震が抑えられているんだとか。
また、この要石自体も結構大きく、現れている部分は“氷山の一角”という話です。

要石を確認し、奥宮へ戻ろうとしたら...

途中で雰囲気のいい道と交差したので、ちょい行ってみました。
すると、道は二ノ鳥居脇にある有料の駐車場に繋がっていました(笑)

本来なら車で辿り付く筈だった表参道に歩いて着いて、辺りを見回して見ると・・・鹿島城の文字が!
暑くてしんどかったけど、足が自然と鹿島城へと向き始めました(笑)

鹿島神宮から鹿島城までは歩いて5分ほど。
神宮側の大手口から少しきつめの坂を登っていくと、城に辿り着きます。

関東平野の東端。
見渡す限りの平野で、霞ヶ浦や北浦も直ぐ近くにあります。
いまでこそ、灌漑や治水の発達で(鹿島城から)離れたところにありますが、かつてはきっと城際まで水が着いていて、水運交通の要衝だったと思います。

戦国末期、常陸太田の佐竹勢は何度と無くこの城を攻めたそうですが、容易に落すことは出来なかったそうです。
城の端に立つと、なるほど、周囲に遮るものは無く、敵の動きを逐一見て取れるこの城は、攻めるに難く護るに易い・・・と感じました。
また、城に入って圧巻だったのは規模が大きいこと。

さすがは500年余も鹿島地域を支配した国人領主の城です。
その常陸平氏大掾流鹿島家も、佐竹義宣の謀略で滅ぼされて事実上の滅亡。
僅かに生き残った一族が、鹿島神宮の神職として命脈を保ち、いまに至っているようです。

さて、非業の鹿島城を後にして、再び鹿島神宮へ。
表参道に居た不思議な(ゆる)キャラに迎えられつつ...(ま、まさか塚原卜伝とか?!)
正面の二ノ鳥居から境内に入りました。

本殿よりも先に楼門近くの摂社に参拝して(^^ゞ

本殿拝殿)に。

意外にも小ぢんまりしている・・・と思ったのは、ナイショです(爆)

その先、奥宮に通じる参道を通って駐車場へと向かいました。

その途中、本来なら我慢したかったんですが・・・時は午後2時。
御手洗池前の茶店の賑やかさと「蕎麦」の幟に惹かれて、ついつい入ってしまいました(^^ゞ
注文したのは、勿論蕎麦。

純茨城県内産の蕎麦粉というそれは、美味しかったです。
けど、これだけでは物足りないので...

田楽も頼みました。
これも、程よい甘辛さのある味噌が効いていて、美味しかったです。
表では鮎を炭火で焼いていてそそられたんですが...

我慢して(笑)
一路地元へと帰りました。
けど、真直ぐには帰らず、北総に在る温泉に立ち寄りました。
ここは、アジアンリゾートをコンセプトにしている温泉で、とても落ち着く雰囲気の温泉です。
珍しいサウナも何室かあって、思いっきり汗をかいて来ました。

鹿島から北総までは利根川沿いの国道をひた走ったんですが、車は少なくて快適なドライブが出来、それなりに楽しめた連休でした。
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土日きっぷの旅[車庫→その後]

2010年09月13日 | くない卿見聞記
JR東日本が発売していた「土日きっぷ」を最大限使った旅をした翌週は...
伊勢に行きました。

また、月末のハロウィンの日には、初めて夜行バスに乗って名古屋へ。

職場で「戦国のふぁっしょん展」をチケットを入手して、予てより、是非とも行きたかった!徳川美術館行きました
郷里の名古屋へUターンをした大学時代からの友達に久しぶりにあって...
熱田神宮

日本の“白帝城”と言われる犬山城

・・・と巡り、金の信様が陽光に照らされて燦然と輝く岐阜経由で...

関が原にも足を延ばしました。

着いたのが、陽もとっぷり暮れた18時過ぎだったので真っ暗で、どこに何があるかよく解らないので駅前をちょっとうろうろとしただけですが(苦笑)
日帰りだったので、結構タイトな移動でしたけど、名古屋駅(地下街)で、名物のモーニングと...

きしめんと...


味噌カツを味わえましたし、ハロウィンの浮かれた栄のカオスぶりも見ること出来ました(笑)


その2日後には、関西方面へ。
大改修で全容が観られなくなる前に・・・と、姫路城へ初めて行って来ました。

そして、その夜は初の大阪へ♪

祭仲間と一献酌み交わし、二度漬け厳禁!な本場の串揚げに舌鼓をし...

翌日は朝から時間の許す限り、洛中を巡りました。

御所参内は当然として...
この時一般公開されていた、青蓮院門跡の「青不動」...

ライトアップも観ること出来ました。

またここで、天明の京都大火で後桜町院が御動座遊ばされた部屋を見ることができ、私的に(卒論にも絡んだことなので)大変感激しました。

この近くで...

こんなにもありました。

それらの話題は...
いつか出来たときにでも(笑)

路線図」に戻る<<<<<□
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土日きっぷの旅の「路線図」

2010年09月12日 | くない卿見聞記
昨年の神無月最初の週末。
奥州と信越をほぼ全て、独り旅しました(笑)
停車する各駅(各日)は次の通りです<(_ _)>

始発→出発準備
↓↓↓
1駅目→奥州白石
↓↓↓
2駅目→白石から仙台⇒武州大宮
↓↓↓
3駅目→武州大宮から長岡
↓↓↓
4駅目→上越高田
↓↓↓
5駅目→信州松本(長野乗換)
↓↓↓
終点→諏訪から首都圏

久々に堪能できた旅でした。
まぁ、いつものことですが...
独り旅は慣れっこです。
寂しくなんかありません(苦笑)
ええ、大事なことですからもう一度言いますが、
寂しくなんかありませんよ(orz)

この旅の「交通費」のちのち計算してみたら、4万5千円も掛かってましたが、それがたったの1万8千円
お得過ぎる旅です。
ただ...
いま、気が付いたら「土日きっぷ」が「ウィークエンドパス」なる名前に変わっていて、値段こそ8千5百円にはなりましたが、新幹線や特急料金は別払い。
全く・・・何とも不便でつまらない商品になってしまいました。

高速無料だの、ETC車は休日1千円だので列車利用者が減少しているとは聞いていますが、この変更を見ると、JR東日本も、これに対抗する気は無いのかな?!って、ちょっと思います。

さてこの後も、ちょい旅に出ておりまして(^^ゞ
その時の一部を、次にご案内します。

□>>>>>土日きっぷの[車庫]へ
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土日きっぷの旅[終点→諏訪から首都圏]

2010年09月11日 | くない卿見聞記
前日は陸前を攻め、この日は念願の「聚楽第行幸屏風」を観た後は、信濃へ進行。

「聚楽第行幸屏風」と合わせて、こちらも予てから念願だった篠ノ井線姨捨付近の“日本三大車窓”とスイッチバックを見...

以前は体調不良で満足に楽しめなかった松本城を堪能し、新宿行きの[あずさ]に乗車。
一路帰路・・・にはちょっと早すぎたので(笑)
途中の下諏訪で下車。

松本城と同じく、体調不良で満足に参詣できなかった諏訪大社下社へ行きました。

ホームには、諏訪社の注連縄が飾られて・・・ます。


駅から諏訪社までは歩いて15分ほど。

最初に訪れたのは下社春宮です。

鳥居を潜ると、本殿までは直ぐ。

時刻は17時を過ぎ。
秋の陽の釣瓶落とし・・・夕闇の迫る中で着いたそこは、残念ながら本殿が修復中。
白い工事用囲いに覆われてしまっていて、全容を拝する事が出来ず、参拝も仮拝所・・・と、幾分寂しい感じがしましたが(^^ゞ

以前のリベンジは、何とか果たせました。
この後、予定の電車までは時間が有るので、ここから1kmほど離れた下社秋宮へ向かいました。

秋宮へは、旧中仙道を通って行きます。

北側には、並行して幹線道路の新中山道(国道142号線)が走っているので、通る車も人も疎らで静かなもの。。。。

途中の高台からは、諏訪湖が微かに見えました。
かつては宿場町だったという“証”である「本陣」がありました。

また、温泉に浸かれる銭湯がありました。

その軒下には水場があり、そこの蛇口を捻ると温泉が出てきます!
先日、伊予松山では蛇口を捻るとポンジュース!(期間限定イベント)出てきたそうですが、ここでは温泉が出るんです。
蛇口を捻ると水以外が出てくる憧れが、ここで実現します((笑)/マテ)

この「蛇口から温泉」は誰でも使っていいそうで、私も♪
足を・・・と思ったんですが、時間等の制約上、手だけ楽しみました。
ただ、ちょっと熱かったので(^^ゞ
じっくり・・・とは、楽しませんでした。

下社秋宮近くには、いかにも老舗な感じの和菓子屋さんが。

出来れば頂きたかったですが...。

下社春宮から、旧中仙道を歩くこと20分ほどで、下社秋宮に到着。

この頃にはもう、陽はすっかり落ちていました。

秋宮での参拝を終えて、再び下諏訪駅へ。
折り良く着いた普通電車に乗って、隣の上諏訪に移動しました。

上諏訪に着いたのは、陽もとっぷり暮れた18時。
ここで(同じく)諏訪湖畔に建つ諏訪安芸守家居城の高島城を観に行きたかったんですが、無念にも、街の暗がりに阻まれて行けず...
その代わりに、上り線ホームにある足湯に浸かって、[あずさ]の到着を待ちました。

上諏訪駅には、以前から駅構内に温泉があったそうですが、数年前に足湯に改造。

キチンと成分表もあります。
前回降り立ったときも、風邪よ治れ!の願い込めて(笑)
足湯に浸かりましたが、その時は、10秒と我慢が出来ないほどの高温(苦笑)
皆さん、熱い熱い!と苦戦してましたが・・・今回、久々に浸かってみたら・・・ちょうどいい湯加減でした♪

途中、私が独占していたので伸び伸びと、諏訪温泉を堪能しました。

後ろに写っている階段と(入線してきた)電車が駅である証ですね(笑)

そして、足湯に浸かること・・・30分。

18時59分発の新宿行きの[特急|スーパーあずさ32号]に乗って今度こそ、帰路に着きました。

<<<<<「信州松本」□次は各日の「路線図」>>>>>
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土日きっぷの旅[5駅目→信州松本(長野乗換)]

2010年09月10日 | くない卿見聞記
念願の「聚楽第行幸屏風」を観ることが出来、大感激のうちに上越市立総合博物館を後にして、向かったの高田駅
この時の時刻は11時50分頃。
信越線は電車の本数が少なく、直近の12時03分を逃すと、次が13時21分...
何とかこのロスだけは避けたくて、急いで急いで駅へ向かい、何とか、12時03分の長野行きに乗れました(^^ゞ

帰るなら、一旦直江津に出て、ほくほく線経由で行くのが一番早いですが、せっかくの土日きっぷ。
それではつまらないので、一路長野へ。

途中の二本木駅はスイッチバック方式の駅。
貨物取扱駅でもあったそうですが、今は廃され、役目を終えたホームと線路には草が幅を利かせていました。。。


長閑な田園が気持ちいいです♪


途中、(長野の2つ手前)三才駅で下車。

8分後に、戸狩野沢温泉からやって来た飯山線ディーゼル車に乗って長野に向かいました。


1月ぶりの長野
その時は、川中島合戦を模した謙信公祭の帰りだったので、縁の地を巡りましたが、今回は・・・駅蕎麦をかっ食らっただけで(^^ゞ

長野を14時00分に出る篠ノ井線[特急|しなの16号]に乗って、一路松本へと向かいました。

乗り込んだのは、ワイドビューの先頭車で運転席のすぐ後ろの席。

少々お邪魔であることは承知の上で(^^ゞ
初めての篠ノ井線を楽しみました(笑)

稲の収穫も終わって、干しているところも。実に長閑です。。。

「日本三大車窓」の一つ、姨捨付近からの眺めは、なるほど、素晴らしくいいです。
松本に到着したのは14時52分。
駅の「まーつもとー、まーつもとー」という伸びやかな放送に旅情を感じつつ、目指すところはただ一つ!
そう、国宝「松本城」です。

ここへ来たのは・・・多分6、7年ぶり。
その時もやはり、土日きっぷを使って来ました。
ただ、その時は弥生3月・・・とはいえ、雪がちらつくほど寒い中、風邪を押してやってきたので、観光どころではなかった、苦い思い出があります。
けど、今回は元気そのもの(笑)
松本城を存分に楽しんできました。

もう、雄姿だけでも惚れ惚れします。。。
画像も、いろいろなアングルから撮ったので、正直選定に迷いました(^^ゞ

いざ!大手門から入城します。

間近で見ると、ますます見惚れてしまいます♪(笑)

ちょっと逆光で見え辛いですが(^^ゞ

天守内は、築城当時のまま。ゆえに、バリアフリーなどとは程遠い、急峻な階を進んでいかなくてはなりません(^^ゞ

各階は、何も無い・・・といいのも有るでしょうが、結構広く感じました。

天守内の廊下です。画像では明るく見えますが、実際は薄暗いです。
天守上階にある「城主の間」です。御簾の内には、畳が敷かれています。

天守と繋がっている張出し部分の「月見櫓」です。

私的には、御殿から迫出した能舞台の様に感じました。
天守内を一巡して、月見櫓の下が出口です。

やはり、何度見てもいいです。威風堂々としていて、風格があります。


この後、再び松本駅へ。
道中、雰囲気のいい商店街や街並みを楽しみつつ...

↓駅近くで見つけました(笑)


一路東京方面へ。
16時30分発[特急|あずさ56号]に乗車しました。

<<<<<「上越高田」□次は終点の「諏訪から首都圏」>>>>>

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土日きっぷの旅[4駅目→上越高田]

2010年09月09日 | くない卿見聞記
この旅に出るきっかけは、一月程前。
上越市内の旧家で発見された「聚楽第行幸屏風」を“市立総合博物館で展示する”というのを報道で知ったからです。
このことを、すぐさまブログに載せましたが、その後も気になって気になって・・・行ってきました、上越に。
それも、一般公開最終日に。

前日は白石と仙台を攻めてから大宮まで退いて一泊し、翌日は朝も7時から始動。
長岡を経由し、信越線で上越市直江津に入ったのは9時半過ぎ。
もう、何度と無く来ている直江津(上越)ですが、いつもは謙信公祭に参陣するため。
いつもギラギラと太陽の光熱が燦々と降り注ぐ季節だけなので、秋の落ち着いた頃に来たのは初めてです。
昨年の謙信公祭は、このおかげで宿取が大変だった・・・と聞いています。ちなみに、今年は千葉が国体会場です。


内容と“ポスター”に惹かれたのは、きっと、きっと私だけでは...(爆)

高田までは、この夏に謙信公祭後の帰路に乗った信越線[普通|妙高]が出るのは知っていたんですが、それも到着から40分後。
ちょっと時間が空きすぎるので、もう少し、例えばバスで行けないものか?!と、北口にある案内所へ行って聞いてみると・・・ないとのこと。
一瞬、タクシーで・・・とも思ったんですが、結局は電車で。
10時13分に直江津を出る信越線[普通|妙高4号]で高田へ向かいました。

高田には2年前、謙信公祭で訪れた時に立寄りましたが、その時は車。
今回は初めて、電車で高田に降り立ちました。

目指す市立総合博物館までは、歩いて20分ほど、距離にして1.5kmほど。
勿論歩いて行きましたが、横を、博物館へ行くバスを見たときは、ちょっと悔しい思いがしました(^^ゞ

朝市が開かれてました。寄りたかったんですが...

“雪国”を感じる設えです。


駅から、何とか迷わず(博物館)に着きましたが、そこでは、目を疑いたくなるような光景がありました。
それは...

館外にまで延びた、屏風閲覧のための長蛇の列です。。。見えますか?!
いや、博物館始まって以来の人出とは聞いていたんですが、まさか...
私の予定では、目当ての屏風だけ観て帰るつもりだったので、館外にまで延びるほどの行列が出来ているとは・・・予測があまかったです。
しかし、ここで引き返すわけにはいきませんから、勿論並びました。

それから約40分後。
漸く、漸く辿り着きました!屏風が展示されている展示室に。
列は、私が並んだ後も一向に減らず、返ってどんどんと、更に長くなっていました。
並んでいる人のほぼ10割が「聚楽第行幸屏風」目当てなので、受付も、人の流れもまとまって機械的に。
屏風の展示されている展示室には人数を区切って入れてました。
まるで、アトラクションです(笑)
ただ、運良く列が私の前で区切られたので、次に案内されたとき、屏風をかぶりつき状態で観られました(笑)

屏風を観られるのは僅か10分ほどでしたが、展示室には学芸員さんが待機していて、解説を聞きながら、しっかりと観られました。
ちなみに、その解説とを合わせて...
屏風の大きさは、156.3×358.4の六曲一雙。
左雙は聚楽第から桐紋の牛車=太閤秀吉が、右雙には御所から鳳輦(天子様が乗る御輿)=後陽成院がそれぞれに真ん中に、向かい合うように描かれています。
諸大名たちは、敷物に座していました。
なお、これらが描かれているのは屏風の中央部分ですが、その上部には、市民も描かれていました。
この屏風が、なぜ聚楽第行幸を描いたモノだと解ったか?!というと、「南門」が描かれていたからだそうです。
その比較とされたのが、これから約50年後に行われた寛永の二条城行幸なんですが、二条城にはこの「南門」がないので、これが聚楽第行幸を描いたモノだと結論付けられたそうです。
屏風が作られたのは慶長初年、関が原の前後で、その時画壇の主流であった狩野派や土佐派とは違う、町衆か市井の絵師によるものではないか・・・と、されています。
いま思うと、出来れば少し質問などしたかったんですが、あまりに屏風がきれいで美しくて魅せられて、何も出来ませんでした(笑)
しかし、繰り返しになりますが、凡そ400年余も見付からなかったのが不思議なくらい、保存状態もよく、とても美しかったです。
観に行くかどうか迷っていましたが、もう、観に行って正解でした。
ただ、出来うることならゆっくりと観たかったです。

さて...
目的も達成できたので、館内のその他の展示は(申し訳ないですが)サラッと観て、高田駅とへ向かいました。

<<<<<「武州大宮から長岡」□次は「信州松本」>>>>>
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土日きっぷの旅[3駅目→武州大宮から長岡]

2010年09月08日 | くない卿見聞記
土日きっぷの旅2日目。
この日の朝は早く、かつ慌しく始まりました。
・・・いえ、寝坊ではありません。
この日の旅程の出発からタイトだからです(苦笑)

この日の第一の目的地へ行くのには、大宮を7時26分発に出る[上越新幹線|Maxとき303号]に乗らなければならないんですが、ホテル朝食の開始が7時からなんです(マテ)

いえ、これは私にとってもっとも大事なことなので、もう一度。
7時半前の新幹線に乗らなければならないのに、(代金に含まれている)ホテルの朝食の開始が7時なのです!(マテマテ)

まぁ、ホテルから駅まで、ダッシュをすれば5分ほどで行けるでしょうが、それは極力避けたい。。。
かくなる上は・・・と、半ば朝食を諦めていた・・・ら?!
予定より10分ほど早くに朝食(バイキング形式)が開始!
有り難い事で、しっかりと頂いて、予定の新幹線に、やっぱり多少急ぎ足でしたが乗ることが出来ました。

・・・して、その向かった先とは・・・上越です。
夏に行ったばかりの上越ですが、今回の目的はただ一つ!
それは勿論、謙信公と上杉家・・・ではなく、この年の春に発見された「聚楽第行幸屏風」を観る為です!
きっかけはこの前月の中旬のこと。
上越市内の旧家から発見された屏風が、上越市内の博物館で展示されているのを報道を知ったからです。
このことを直後にブログに載せるほど、自信の関心は高かったです。
そして、是非とも「この目で見たい!」と思いました。
何せ、この時を逃せば次にいつ、こんな国宝級の史料を目の当たりに出来るかわからないからです。
そんな時、白石の鬼小十郎まつりが前日に行われることに気付き、土日きっぷの存在と活用を思い立ったんです(笑)
そう!それぞれ分けていけば周れる・・・と。
そして、大宮のホテルを押さえて今回、決行した!という訳なんです。


しかし、上越にはつい1ヶ月程前に行ったばかり。
そこにただ向かうのはつまらない...
せっかくの土日きっぷなんだから、これを最大限有効的に使う手段は・・・!!と、思い立ったのが“日本海ルート”。
即ち、長岡経由で信越線の[特急|北越]で向かうことです。
このルートだと、途中から間近に見える日本海の景色を楽しめますし、予てより行って見てみたかった青海川駅も、通過しますが見ることが出来るので!行ってみました。
その為には...
長岡を8時46分に出る[特急|北越2号]に乗るべく、大宮を7時26分に出る[上越新幹線|Maxとき303号]に乗車。

乗換駅の長岡には定刻通りに到着。

[北越]の出発まで13分間あったので、乗り換え序にちょこっと外へ出ました。

長岡は江戸時代、譜代名門の牧野備前守家7万石の御城下で、北越戦争においては多勢な西軍相手に一歩も退かぬ戦いをした、佐幕派にとっては勇樹の出る地。
しかも、不思議な縁が有る街なので、時間があればゆっくりと巡り、旧友にも会いたかったんですけど...

13分ではちょっと(苦笑)
ただせめて、長岡城の場所くらいは知っておくれば・・・と思ったら、駅前に「本丸御殿址」の石柱が?!

どうやら、いま駅が有る場所辺りが、江戸時代も中心地だったようです。
思い掛けずも長岡城に立てて満足したので、[北越]に乗るべく信越線ホームへ。

十日町のイベントに合わせた臨時快速が停車中でした。

[北越]は自由席でもいいかな・・・とは思ったんですが、念のために指定をとって乗り込みましたが・・・残念!山側の席でしたorz...。

けど、乗った車両に居たのは私だけ(笑)
なので、検札が終わったら海側の席へ移動して、列車からのオーシャンビューを楽しみました♪

目当ての青海川駅も、一瞬でしたが(^^ゞ

念願も果せて楽しめた信越線[北越]の旅も50分ほど、定刻通り、9時36分に直江津到着。

ここ、馴染みの直江津から、目当ての屏風が展示されている上越市総合博物館のある高田へと向かいました。

<<<<<「仙台から武州大宮」□次は「上越高田」>>>>>

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土日きっぷの旅[2駅目→白石から仙台⇒武州大宮]

2010年09月07日 | くない卿見聞記
昨年10月最初の週末。
JR東日本発行の土日きっぷを使って旅に出ました。
その初日。
最初の目的地は、奥州白石
この城内で行われた「鬼小十郎まつり」を観に行くことでした。
白石城主の片倉小十郎景長(公儀方)と、義父の真田左衛門佐信繁(大坂方)が激突した大坂夏の陣の道明寺合戦を模した迫力有る祭と歴史のブームの一端を垣間見(笑)
城下の武家屋敷の側を流れる川のせせらぎで癒された後、向かったのは牛タンの・・・もとい、杜の都仙台
ここで、奥羽遠征の帰りに食した牛タンを今一度食すべく、地元の友のシンヨー君と共に行きました。

白石から仙台までは在来線で1時間ほど。
最初のうちは、長閑な田園風景が広がるのんびりした雰囲気だったんですが、仙台に近付く度に、線路や駅の周りに建物が増え、乗ってくる人も増えてきて、短い編成とはいえ、いつしか満員状態(^^ゞ
始発からだったんで、ずっと座っていけましたけど、さすがは東北最大の(政令指定)都市です。。。

牛タンは、シンヨー君の案内で、普段見知っている仙台駅とは反対側の、静かな街中にある【利休】に入り、牛タンやら海鮮モノやらビールを頂き、至福の幸せを得られました。
ただちょっと、満足し過ぎた嫌いがあったので、少し腹ごしらえに・・・と外へ(笑)
聞けば、ここから東北楽天の本拠地・Kスタ宮城まで(比較的)近いとのことなので、シンヨー君にお供を願って行ってみました。

【利休】から20分くらい歩いたでしょうか。
辿り着いたKスタ宮城では、今まさに、クライマックスシリーズ進出を掛けた大一番の試合が行われていました!

・・・が、当然、満員札止めで球場には入れず(^^ゞ
致し方なく、球場の外をぐるっと周って、雰囲気だけ感じてきました。

球場正面には、応援特設ステージが設けられていました。
すると...
ライト側から、爪先立ちをすると何とか見えるポイントが!

その時を同じくして、球場内からは大歓声が聞こえてきたので、何事か?!と見てみると...
正にその時、山崎武司がこの試合の勝利を決定付ける一打を放った瞬間でした。

後でスポーツニュースでこの場面を見返したとき、ちょっとした感激と、小さなガッツポーズが出ました(笑)

球場をぐるっと一周し、雰囲気を堪能してから仙台駅へ。

およそ2時間強の仙台滞在を堪能し、シンヨー君と別れて新幹線に。
はやて]の指定を取って、一路向かったのは大宮
この駅近くのホテルに投宿して、次の日に備えました。。。

<<<<<「白石」□次は「武州大宮から長岡」>>>>>

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土日きっぷの旅[1駅目→奥州白石]

2010年09月06日 | くない卿見聞記
昨年の10月最初の週末。
奥州白石城下では、大坂夏の陣に於ける道明寺合戦を模した祭が行われる!と聞いて、観に行ってきました。

奥州白石は江戸時代、松平陸奥守家御領知の要衝として、家中門閥「一家」の片倉小十郎家が入り収めた地。
そこで何ゆえ道明寺?!かと思ったんですが、二代目の小十郎重長が公儀方伊達勢の一軍として出陣し、大坂方にあった「日本一之兵」たる義父の真田左衛門佐信繁と干戈を交えていたようです。

ゆえにここでも、片倉方と真田方に別れて合戦を行われます。

さて、今回白石には列車で、JR東日本が発行していたとってもお得な「土日きっぷ」を使って行ってきました。
これを使うと、指定エリア内は新幹線を含めて乗り放題!
また、指定も4回まで取れる超お得な切符!!なので、今回も勿論、新型に入れ替わった[つばさ]の指定を取って福島へ。

ここから白石までは東北本線の鈍行で、のんびりと向かいました。


白石に着いたのは10時半頃。
駅からお城までは一本道でしたが、なんとなく、嵐の前の静けさの様な雰囲気がありました(笑)

この日は曇天。
時折、雲が堪え切れなくなったか、雨がポツポツと降ってきていましたが、それほど(天気は)崩れず。
最後まで、何とか持ちました。

駅から道案内に従って、大手門より白石城内に入ると、広場と化した御殿址には賑々しく露店が軒を連ねていました。

更にその奥、天守下にはステージが組まれていて、なにやらコンテストが開かれていました。

その中には、見知ったお方が何人も。
一瞬、出場者側なのかな?!と思ったら逆で、審査する側でした。

皆さん、それぞれに個性があってよかったです。

一方、天守内では「戦国BASARA」?!の大会が行われていました。

地元に工場があるらしいSONY関連)がPS3の宣伝なども兼ねてのようですが(笑)...
残念ながら、あまり私は興味も無ければ知識も無いのでスルーしましたが(笑)
なんだか白熱してましたが、何もここまで・・・と思うのは、歳の所為かな(苦笑)

天守は3層。

かつての造りを忠実に再現しているそうで、決して大きくはありませんが、天辺からは遠くまで見渡せ、木々も立派に組まれていて、護るに十分な印象を受けました。

天守内には、奥羽越列藩同盟旗が!

思えば、ここ白石は列藩同盟出発地。
もう、涙無しには見られません...

さて...
白石城御殿址にて戦端が開かれるのは午後。
その時が刻一刻と近付いてくると、城内の人も多くなり、どこと無く落ち着かない雰囲気が!
ゆえに・・・か?!

いや、違うと思いますが(^^ゞ

私(達)は、観戦者がわんさか居る場所から少し離れ、かつての城壁と櫓を成していた高台へ移動しました。

木々に阻まれ、一見すると「関係者以外立入禁止」な場所なので、最初の内は人影も無く、悠々と観戦できました。

城外では、決戦を控えた兵共が控えています。
ちなみに、これらの甲冑は、甲冑製造大手の丸武産業謹製で、この責任者さんもこの中に居られました。
道理で綺麗過ぎる・・・と思ったら、何でも卸し立てだったようです。

奥州王、迫力満点です。

さて、いざ!始まった合戦は両勢入り乱れての混戦。

ちょい、戦場が狭い・・・とは感じましたが、逆にそれが幸いしてか、間延びなどせず、濃い戦いを観る事が出来ました。

両勢激闘の後は、一同に会して和気藹々と。

終わった後は、個別に“撮影会”が始まりましたが...

自前武者を取り囲む人人人。。。
それも、ほとんど・・・いや、全員が女性。
いままで、耳にしかしてこなかった「戦国(歴史)ブーム」のコアな現場に初めて遭遇し、「歴女」なる存在を目の当たりにした気がしました(^^ゞ
私が歴史を学んでいた時には、こんなことになるなんて、全く想像できませんでした(^^ゞ<ねぇ、みんな?!(苦笑)


歴史への、あまりに強い熱気を冷ますべく(笑)
仙台から呼び出した盟友のシンヨー君と共に御城下へ。

御城から少し離れたところに武家屋敷があったので、お邪魔しました。

片倉家に仕えた小関家の屋敷は、茅葺を冠した平屋建て。
小関家が片倉家中でどの程度の位置にあったのかは解りませんが、一見すると、豪農の家?!かと見紛う程の簡素な造り。

ただ、我が街にも武家屋敷が3軒(県指文)、家格毎に在りますが、そのいずれよりも幾分大きかったと思います。

中の囲炉裏には火種があり、よい雰囲気でした。
また、側を流れる川のせせらぎがとても心地よく、屋敷内から川へ降りられる階段のところで、野郎二人ですが(^^ゞ

その心地より音に暫し癒されていました(爆)

この後、私は牛タンが食べたくなったので、シンヨー君と共に仙台へ向かいました。


<<<<<「始発」□次は「白石から仙台⇒武州大宮」>>>>>

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土日きっぷの旅[始発→出発準備]

2010年09月05日 | くない卿見聞記
昨年は、春から秋に掛けて、あちらこちらに結構出向きました。
その始めは石和に、参陣ではなく、初めて観戦をしに行きました。


翌5月は駿州三島山中城へ。
天正18年、大坂方と北条方との激しい攻防戦を再現したを観に行きました。

本来は午前と午後にそれぞれ1回づつ行われるそれも、朝から雨が断続的に降る生憎の天気...
午前中は何とか、雨の止み間に挙行でき、かねがね噂には聞いていた“激祭”を観る事が出来ましたが、昼過ぎからは雨脚が強くなり、結局中止に。。。
残念ではありましたが、旧知のみなさんとお会いでき、国史の山中城も、雨脚が強い中、ボランティアのガイドさんの説明を聞きながら巡れて、とても興味深くて楽しかったです。


それから3ヵ月後の8月は、1週間の内に奥羽信越に出陣。
ちょっと疲れはしましが、とても楽しく、発見と感激も多くて充実した旅をすることが出来ました。

翌9月は県内で。
我が千葉大多喜町の「忠勝公まつり」に久々に行きました。

雨で中止することが多いこの祭ですが、今回は珍しく晴天!
しかも、地元夷隅郡市出身で、県立大多喜高校卒業(→明大)のリーダーこと渡辺正行が、(本来籤引きなのはおいといて・・・今回の)中務忠勝公として参陣。

近くで見ると、肌はとっても荒れてましたが(爆)
出陣前、壇上にて「本多忠勝公唯一の一発芸」としてコーラの一気飲みを観る事が出来たのが、何より嬉しかったです(笑)

そして翌週は10月最初の週末。
奥州白石城下では、大坂夏の陣に於ける道明寺合戦を模した祭が行われる!と聞いて、観に行ってきました。

<<<<<□次は「奥州白石」>>>>>

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かつてのNW捜査員の務めとして...

2010年07月11日 | くない卿見聞記
踊る大捜査線3-ヤツらを解放せよ-」を観て来ました。

・・・えっ?!ええ、独りで。
割安なナイトショーで観てきましたが、何か!?

そもそも、映画なんて滅多に(^^ゞ
この前観たのは・・・2年前に「マジックアワー」と「相棒」以来の映画鑑賞です(笑)
なので、自宅最寄駅の前にも映画館はありますが、今まで行ったことのないところで・・・と思い、北隣の街に5年くらい前に出来た映画館で観てきました。
そこは、ニュータウンの住宅街からは少し離れたところに在るので、入り具合がちょっと読めなかったんですが、行って、入ってみて、それほど混んでなく、ゆったりと観ることが出来ました。
席も、チケット購入時に指定もしなければならないんですが、どう見えるのかが判らなかったので、適当に、真ん中辺りの端っこから2番目を選んだら、ちょうどよかったです(笑)

さて、その観終えた感想なんですが...
まだ観てない人は、ここから先は読まないほうが・・・いいと思います。
では...

内容は、面白かったことは、面白かったです。
けど・・・なんとなく、大味だったような気が・・・します。

踊る―は連ドラ時代からのファンで、テレビのスペシャル版はもとより、過去の2作の映画も、わざわざ映画館に足を運んで観ました。
スピンオフの「室井慎次」含めて(交渉人は、テレビで(^^ゞ)。
エヴァの音楽が挿入されてましたし。
友達もエキストラで映ってましたし。
連ドラ放送時は、ネットが盛り上がりを見せ始めた頃だったので、製作側がそれを利用した巧みな情報操作を展開。
その罠にも嵌って、踊る―の“ネットワーク捜査員”に志願しました(笑)
ただ、捜査員として現場(エキストラ)に出ることはなく、監察的=視聴面での活動を主としていました。

(私的に)踊る―の面白いところは、人物像に深みがあるところなんです。
もう少し端的に言うと、経歴がしっかりとあるところなんです。
青島や恩田さんはもとより、スリー・アミーゴズや中西盗犯係長に緒方さんや森下さんまで。
湾岸署に着任するまでの経歴が、出身地や学歴含めてしっかりとあるんです。
けど...
映画を観る前に、書店でガイドブックを見たんですが、それがもう、おざなりになってるんです。
今回初登場となる和久伸次郎なんて、・・・ん?!・・・と、首を傾げたくなるようなおざなりぶり(苦笑)

踊る―の面白いところは、リアルに近いところ。
とある現職の警察官(高校からの友達)も、「踊るはリアル」と言っていたのに・・・その良さが、今回随分無かった気がします。

傑作だった前作から7年。
その間に、和久さんを演じた長さんの旅立ち...。
リアルに、東京湾岸警察署(警視庁第一方面本部)の開署など。
特に、酒井法子が拘留されているときに連呼されていましたが、違うとは判っていても、やっぱり、心奥では(ちょっと)興奮してました。
けど...
一捜査員(OB)としては、せめて前作並みの人物像を構築し直して、連ドラ復活!かスペシャル版の放送を期待してます。

あっ、ちなみに。
選挙は午前中に済ませました。
まさかの行列と、(初の)窓口調査員が居たことに驚きました。
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金沢文庫の特別展「伊達政宗とみちのく文華」

2009年12月08日 | くない卿見聞記
六浦の神奈川県立金沢文庫へ、学芸員の資格取得のために(博物館)実習に行っていた我が「舎弟」より...
「今度、仙台市博物館の協力で、政宗展をやるんですよ。」
...と、聞いたのが数ヶ月前。
「実習の伝を使って招待券をよこせ!」とせがんだんですが、舎弟の要領が悪いのか、はたまた、金沢文庫がケチなのか?!(マテ)
招待券は入手できず...
その後、職場内でもこのポスターを見掛け、そこに付箋で「招待券あります」と貼ってあったのですが、あまり親しく交流のない部署だったので、言うに言えず(苦笑)
今回は、しっかり自腹で観て来ました,「伊達政宗とみちのく文庫」を。

ウチ(自宅最寄り駅)から金沢文庫までは、都営浅草線を介して繋がっているんですが、如何せん、それでは交通費がちょっと・・・掛かりすぎるので、定期券をフルに使って品川まで出、ここから京急の快適な2100系快特に向かいました。
ちょい遠回りをしたので、2時間半くらいは掛かったと・・・思います。

金沢文庫までは、最寄の金沢文庫駅から歩いて10分ほど。

金沢北条家の菩提寺,金沢山称名寺の一角に在ります。

この、金沢文庫の在る旧久良岐郡六浦庄は、鎌倉の東口(朝比奈切通)に当り、海を介して東関東と繋がる要衝でした。
今も、ここから少し足を伸ばせば海に,八景島シーパラダイスまで出られます。
また、土曜の昼下がり,曇天の寒空の下、沈静な称名寺の境内に居ると、トンビの鳴き声があちらこちらから聞こえてきます。

閑静な住宅街の細道を、どこから来たのか、駅へと向かう多くの高校生とすれ違いながら進んでいくと、「金沢文庫への近道」という看板を見つけ、それに従って行こうかな・・・と思ったんですが、同じところに、称名寺が「300m先」に在ることを知って、まず先に向かいました。

いつも思うことですが、こういう古刹名刹は、晴天よりも曇天,雨天がなぜか栄えます。
とても落ち着いて、心静かに、穏やかになれました。。。
この、若干の廃れ具合がまた、何とも言えません(マテ)。

さて、当初の目当ての県立金沢文庫は、称名寺山門を潜って右手,トンネルの向こうにあります。

その隣には、中世の隧道が,

更にその右手には、越後守顕時の墓と、武蔵守貞顕の供養塔があります。


受付を済ませて、展示室へ入ると、まず目に飛び込んでくるのは、かの有名な、政宗公愛用の「黒漆五枚胴具足」と「紫羅背板地五色水玉模様陣羽織」です。
前者,兜は明珍派の(明珍)宗久、胴は雪下派の(雪下)久家の手によるものだそうです。
よく見ると、胴の、肩の部分が出っ張っているの気が付きました。
(私の記憶の限りで(^^ゞ)見たことのないモノで、ちょい南蛮風の意匠・・・に感じました。
あと、弦月の前立なんですが、ちょっと歪な感じがしましたが・・・ひょっとして、木に金箔を貼っているのか?!も、しれませね。
そして後者,ド派手な意匠が、婆娑羅で伊達な政宗公という印象を強く与えていますが、実はこれ、江戸中期に作成されたものでは?!とのこと。
即ち、政宗公はこれに袖を通していない!?ということなんです。
その根拠の一つとなっているのが、背中に大きく金糸で刺繍されている伊達家の紋,仙台笹。
これが、立派過ぎるのでは?!という疑問から、解き明かされたことのようです。
特定の例は上げられませんが、同じ近世の服飾意匠と見比べて、まぁ、確かに近いという印象は受けます。
私が邪推をするに、元禄の頃の様に思いますが...。
ちなみに、政宗公が実際着ていたとされるのが、この、「体験・政宗公」のところに用意されていた、黒に金糸の「山形文様陣羽織」(複製)。

逆行で、ちょっと見え辛いですが(^^ゞ
信長の“マント”などに似た南蛮風で、展示物の中にあった、同じく南蛮風な片倉家伝来の黒羅紗地木綿縫取織陣羽と感じがよく似ていたので、より、納得いく部分が多かったです。
ちなみに、明治期に作られた、伊達家の宝物の数々を記録した「観瀾閣宝物録」なる書物には、陣羽織に配された赤や青の丸意匠は、水玉ではなく「乱星」だと、記されているそうです。

最初から、ある意味横綱級のお出迎えを受けて面食らい、次が常設展(北条家と金沢文庫の関連展示)になった時は、一瞬ビックリしました,まさか、これだけはなかろう?!と。
もちろん、企画展の展示はこれだけではなく、1階の一部と2階全部を使って行われていました。
展示の詳細は、別に譲るとして...
紺紙金銀字一切経や、濃厚の古文書群に肖像画を目にすることが出来たので、大変満足した。

ちょっと、この後の時間が差し迫っていたので、少し駆け足で観ざるを得なかったのが残念ですが、2回、復習するかの様に観たので、未練はありません。
けど...
展示解説の時間に行ってみたら、担当が、ボランティアの翁だったのがちょっと残念。
学芸員が担当していたら、どーしても聞いて確かめたかったことがあったので(^^ゞ

しかし、中世文書は難しい,読めない(^^ゞ

※この日記は、当初の予告どおり移転しました,あしからずm(_ _)m
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サントリー美術館の「天地人展」

2009年11月29日 | くない卿見聞記
いまからちょっと前の、蒸暑い文月の始め頃の話(^^ゞ
六本木のミッドタウン内にあるサントリー美術館で開かれていた、特別展「天地人-直江兼継とその時代-」を観てきました。

今日からの「坂の上の雲」と、来年の「龍馬伝」に予算を取られ、先週(日)で打ち切られた(違)
NHK大河ドラマ「天地人」
私的には、あまりの駄作に耐えらず、早々に観るのを打ち切ったんですが、この特別展はそれとは全く異なり、とても秀逸で、観応え十分過ぎだったと記憶しています。
いや、ある意味、比べるのもおこがましいほどですが。

残念ながら、もう、4ヶ月ほどのことなので、あまり詳しくは覚えていないんですが(^^ゞ
出迎えてくれたのは、確か、誰かの甲冑だったかと思います。
この他、貴重な史料が目白押しで、確か、世に名高き「直江状」も展示されていました。
そんなんで、サントリー美術館の、あの、落ち着いた雰囲気とも相まって、内心大興奮!しながら観てきた・・・と、記憶しています。
ただ一点,展示の最後に観た「洛中洛外図屏風」上杉本のことだけは、強烈に覚えています。
何せ、これを観たいが為に行ったようなものなので(笑)

当たり前ですが、ガラス越しからの観覧なんですが、それが非常に至近距離で、手の届く距離からじっくりと、舐める様にして観られた事が何よりも嬉しく、また、大興奮!しました。
それこそ、もう、鼻血が出るんじゃないの?!と思うほどの興奮です(笑)
美術的はさることながら、史料的な面でも価値が非常に高いこの屏風を観られて、もう、大満足しました。
確か・・・この屏風だけで30分くらい、一つ一つ確かめながら観ていたと・・・思います。

そんな点から、補足として。
打ち切られた「天地人」では、信長が、役目なき絵師に命じて作らせていましたが...
上杉本の作者は狩野永徳(もしくは狩野派)とされています。
あの世で狩野永徳とその匠衆が聞いたら、きっと怒ると思いますよ。
せっかく入れ込んで作った力作なのに、ぞんざいに扱われて。
また、「信長が作成を命じた」ようで、確か、絵師の後ろで腕を組み、その過程を見ていた・・・と記憶していますが、注文主が信長ではなく、室町殿足利義輝公であることは、論を待たないこと。
足利幕府の美しき流れを取り戻そうとした光厳院殿様に関心のある私としては、全くもって、如何に無知な作家のフィクションと解っていても、忸怩たる思いがします。
「天地人展」を観に行く前、瀬田勝哉『洛中洛外の群像 失われた中世京都へ』(1994年 平凡社)をちょっと読んでいったので、よりそれを確証できました。
特に、観ていて一番興奮したのは、左雙三扇に描かれている行列。
耳にした俗説によると、信長が謙信を招いているところ・・・らしいですが、注文主が足利義輝公になると、この見解も変わってきます。
即ち、これは、謙信公を頼みとしている室町殿義輝公が、謙信公に「上洛を促すメッセージが込められている」と解釈されています。
学説を踏まえて、私的な見解をちょっと加えると、行列は管領クラスの高位高官とされていますが、先頭の馬には、赤い鞍覆描かれています。
これはひょっとして...
越後守護家が断絶して、室町殿より使用を許可された白傘袋と毛氈鞍覆か?!と、邪推しました。
毛氈鞍覆は、守護(国主)級の者にしか使用が許されない、言わば“権力の象徴”であり、行列が高位高官のモノとなればなおのこと。
注文主が、信長(と、付属)する俗説よりも、室町殿義輝公とした方が、謙信公の視点から観ても、はるかにワクワクドキドキと興奮します。
米沢の上杉神社稽照殿で、毛氈鞍覆を観ましたが、その時と同じくらいの興奮度です。
いや、解り辛いとは思いますが...
何せ、天下の公方様から「頼みとされた!」わけですから。
信長に一目置かれたことなどよりも、数倍,数十倍以上、誇らしく感じます!

さて、話は最初に戻って...
今日から1ヶ月は「坂の上の雲」ですね。
私の知り合い(先輩)も、カットされなければ出る予定ですし、秋田からの帰り、仙台の【利休】で番宣を観てから待ち遠しかったです。

そして来年は「龍馬伝」。
主役はちょっと、鼻につく演技がままみられるので概ね静観しつつ無視して、脇を固める人たち,例えば、香川照之(岩崎弥太郎)、大森南朋(武市半平太)、谷原章介(桂小五郎)などに注目したと・・・思います。
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いよぉ!成田屋っ!!

2009年05月07日 | くない卿見聞記
一月前の次は、一年も前の事のつづきで(^^ゞ...

ディーラーで車のメンテ(フロントガラスの交換)をしてもらっている間、美味いラーメン成田山へ詣でる為に、市街地までやってきたのですが、ここで思わぬ情報を耳にしました。
それは...
「市川團十郎と海老蔵のお練がある。」
...と、いうもの。
そうと聞いては黙ってられず(笑)
第一の目的だった【麺屋福一】で美味いラーメンを食べた後、成田駅と新勝寺を繋ぐ表参道へと向かいました。

市川團十郎丈と海老蔵丈等はこの日(平成20年4月26日)のお練行列は、所縁ある(市川家の屋号=成田屋)成田山新勝寺の開基1070年()を迎えた記念に、奉祝参拝と奉納演舞を披露する為で、狭い表参道の両端には黒山の人だかりが(^^ゞ

しかし、そこは時代祭(特に佐倉)で経験を積んでいるので、人の合間を掻き分けて移動したり撮影したり、時には行列に付き、混じって行くなどはお手の物(笑)

ある程度お練を見届けてから、目指す新勝寺大本堂へ先回りしました。

それにしても...
拍手と掛け声に混じって、紙吹雪も舞って、それはそれは賑々しく盛大でした。
後で知ったところによると、『成田屋号』と称した京成スカイライナーで(京成)成田駅まで後援者と共にやって来たそうで、一行は、ミスの美女と

お稚児さんを先払いに、

浴衣姿の熟女軍団を殿にして

表参道を練り歩いていました。


けど、後片付けが大変そうでした。


本堂前には既に特設舞台が設けらており、

その周囲を規制線が張られていましたが、表参道に比べればまだ然程人出も無く静かで陣取り易かったので、舞台に近い場所で、お練の一行の到着を待っていました。

それから15分ほどでしょうか。
境内に、お練の一行が「総門に到着しました」とアナウンスされると、本堂前に続々と人が集まり、一気に賑やかに。
そこへ、記念撮影などを終えた一行が、急峻な階段を上がって登場すると、その場に集まった(私含め)人々が一斉に、拍手喝采で出迎えました。

お練を終え、特設舞台に介した一同を代表して、まず、十二代目市川團十郎丈が挨拶。

この日は、長野で北京五輪の聖火リレーが挙行されていましたが、それを引き合いに、「この歓迎は(長野に)勝るとも劣らない」と述べて、群衆の笑いと喝采を受けていました。
その次に挨拶に立った十一代目市川海老蔵丈は、團十郎丈の洒落っ気のあるウェットな挨拶と打って変わり、やや緊張した面持ちで「奉納演舞の『連獅子』を頑張ります。」と述べ、生真面目さと誠実さが伝わる挨拶をしていました。

(この後の見た稽古含めて、海老蔵丈の、巷間伝わり聞く印象とは、随分と違って見えました。)

一通りの式典を終えてから、一行は舞台を下がったので、私は当初の予定通り、本堂へ上がって参拝していると、なんと!市川家御一行様が本堂に,奉祝参拝の為に登場。
ここは座を外した方がいいのかな?!と思いきや、特に制限も無く、誰彼構わず同席出来たので、市川家の方々と一緒に、御護摩祈祷を受けました。

厳かな内に挙行された御護摩祈祷の後、一行は控えに下がられたので、私は境内や付設の公園を散策。

とてもきれいで落ち着きある公園です。

この後再び本堂前に戻ってきたら、舞台上には團十郎丈等が、黒紋付に袴姿から浴衣着流しに着替えて稽古(打ち合わせ)を行っていました。

(何時の間にか,舞台正面には観客席も設けられていました。)


最初の内は、集まった人々の掛け声に(團十郎が)手を振ったりして応えていたのですが、徐々にそれも無くなり段々と真剣になってきて、海老蔵,市川右之助片岡市蔵,囃子方,松竹関係者や女将さん等と細かく、入念な打ち合わせと稽古を行っていました。
(特に、出口に設けられた松明の場所と火加減などを気にしていました。)

稽古のそれは、もう、(当然ながら)真剣そのもの。
團十郎を始め、出演者にはピンマイクが付けられ、スイッチも入っていたので、細かい指示や共演者等の掛け合いも聞こえてきましたが、舞台(『連獅子』)に掛ける情熱と意気込みが十二分に伝わってきて、感動し、鳥肌の立つ思いでした。

ここまで見たら、是非とも本番の『連獅子』(奉納演舞)も観たかったのですが、演舞の開始は18時。
車の作業終了予定時間が17時過ぎ頃だったので、残念無念にも観る事叶わず...。
ギリギリまで稽古の様子を見て、17時少し前にここを発ち、ディーラーへと向かいました。

前々から、歌舞伎に興味はありましたが、中々その機会が無かったのですが...
稽古だけでも見られて、よかったです。
今度是非、“本番”を観て見たい!と、思います。

※「丈」は「様」に同じく、男性向けの敬称に用いられる言葉で、中でも歌舞伎役者などの芸名に付して用います。

ちなみに...
フロントガラスの取替えはバッチリ完了しましたが、アンテナを貼り忘れていて、5日後に再びディーラーへ持ち込みました(苦笑)

<<< おわり|いや、もう1回,ラーメンから >>>
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あると思いますっ!

2009年04月01日 | くない卿見聞記
痛勤も一段落した朝。
乗換え口に一歩でも近く,利便(効率)がいいところに・・・と、運用の終わった直後の“女性専用車両”(=先頭車両)に入ったら・・・!

さっきまで居た車内には全くない、“いい香り”がして、なんだかちょっと、癒された気がする~ぅっ!

あると思いますっ!
(爆)
ないと思います?!

以前はちょっと苦々しく感じていた女性専用車両ですが、慣れって・・・不思議ですね。

ただ一点,気になることが。それは...
車内を見渡してみると、どうも・・・((以下自粛))

まぁ、それは個々の趣向と好みの問題ですから(マテ)


あっ、そうだ。
今日はエイプリル・フールでしたね(ニヤリ)

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