くない鑑

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歴史に「絵」を遺す

2012年02月20日 | 知識補給
私は、歴史(中でも日本史)が好きです。
このモチベーションで、大学(日本近世史を専攻)まで進みました(笑)
そういえば、この間まで歴史が結構なブームになって盛り上がっていましたが、、、
「好き」の対象にもいろいろあると思います。
ある時代(世界観)が好きな人。
特定の人物に関心がある人。
武具・装束に執着する人。
私は、この何れも該当しますが(笑)
もう一つ、注目しているのがあります。
それは、「肖像画」です。
そんな私の為に(違)
水戸に在る茨城県立歴史館で「肖像画が魅力」という特別展が開催されたので、観に行ってきました。
けど、ただ特別展を観るだけでは勿体ないので(笑)
期間中、何度か開かれるミニ講座の一つ「徳川斉昭と三明君‐真田幸貫・松浦静山・大関増業‐」に、せっかくなので合わせて行きました。

家を発ったのは朝の7時頃。
普段、講座(講演)の開始は午後からなんだそうですが、一週間ずれて開始する近くの偕楽園の梅まつりの(駐車場等の)混雑を考慮して、今回の各講座(講演)の開始は10時。
ゆえに、これに間に合うようするために、朝早くに発ったのです。

往路は一般道をひた走り、到着は開館(9時半)の10分程前。
意外に早く(ナビ予想の1時間前に)着きました。
お陰で、講演会の整理券を難無く貰って拝聴できました。
この講座の講演者は、永井博学芸課長。
内容は・・・目新しいことは、期待していたほど多くは聞けませんでした(^^ゞ
特に、大関増業については一昨年の初冬に大満足の企画展を観てしまったので。。。
ただ、この講座を聞いて、“松平定信”の存在がキーパソンであり、如何に重要でカリスマ的であるかに気が付きました。
・・・真田幸貫は定信の子
・・・松浦静山とは深い交友があり寛政の遺老・松平信明とは義兄弟
・・・大関増業は甥(兄の伊予大洲城主加藤遠江守泰武の娘の夫が定信)であり、隠居時の証人の一人。)
この他にも、江戸後期の政治史を紐解けば、松平定信の影は随所に見られます。
恐るべし、守国公!です。。。
それともう一つ、いまや後世(江戸後期)の創作として名高い「慶安の御触書」 のが、黒羽領から発した「百姓身持教訓」というのが興味深かったです。
なお、これ(ら)を「慶安の御触書」としたのは、化政期の林大学頭家当主・述斎とか。
もちろん、大関増業との繋がりはあり、特に述斎近侍の門弟・佐藤一斎(佐久間象山、横井小楠などの師)との交流は頻繁であったようです。

さて、講演は1時間で終了し、いよいよこの後に特別展を観ました。
内容は・・・ええ、よかったです(*^-')b
欲を言えば、もっともっと多くの肖像画を観たかったです。

展示資料の殆どは、副題にあるとおり茨城に所縁のある画。
中には、武田晴信(高野山蔵/那珂郡武田郷が名字の地)や、佐竹義宣、山本勘助の有名な画もありましたが、後者2点が後世に制作されていたというのが意外でした。
(義宣の顔が面頬で隠されているのは、顔が解らなかったからだとか(汗))
他、頂相(高僧の肖像画)の用途や徳川将軍家、石田治部の画等があり、興味深かったです。
また、大塩平八郎に関連して、有名な肖像画と、乱後の人相書きも展示されていました。
陽明学者らしい威厳と堅物さを感じる肖像画と違って人相書きは、本人の実態を反映している・・・と言われているとはいえ、描かれているのは単なるオジサンにしか見えなかったのは不思議です。

これら資料の中で、一番多く展示(紹介)されていたのが、水戸徳川家です。
家臣に書き手の妙手がいた烈公斉昭の時代は、当主斉昭は勿論、(斉昭主導で)家臣の肖像画も多く描かれていました。
写真(機)が魂を吸い取る・・・という都市伝説に似て、肖像画も描かれると早死にする・・・という迷信があったようです。
(だから写真の都市伝説が生まれたか?!)
そういう時代にして描かせるのは、比較的珍しいようです。
これも、カリスマ的存在であった烈公ゆえに為せしことだったかと。

肖像画は、像主を忠実に描くことが求められていました。
それは、9代将軍家重公や12代将軍家慶公の肖像画が、発掘調査で判明した顔の骨格と類似していることで知られています。
これに加えて、近世中期以降はより写実的に描く技法がオランダから伝わりました。
その技法(カラクリ)‐カメラ・オブスキュラ‐も、この展示の中で実際に体験出来るように紹介されていました。

近年、肖像画を巡る調査、研究が活発になっているような気がします。
そのお蔭か、かつて教科書に載っていた肖像画の像主が、近年次々と改まっています。
例えば、敗軍の将の様な武将画が、かつては足利尊氏公だとされていましたが、いまは騎馬武者画に。
また、京高雄の神護寺伝わる源頼朝の画も伝が付され、それが足利直義か?!とされている。
そして、武田信玄として有名だった僧体の画も、いまでは能登守護畠山左兵衛佐義続とされています。
この他にも、まだまだある肖像画を巡る動きと研究成果を、今度是非、どこかで見てみたいです。

さて、この後は、せっかく水戸までやって来たので、この近くに在る偕楽園に立ち寄ってみました。
そのことは、また別に。

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