くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

記憶にございます。

2010年05月12日 | くない観
でも、世間は忘れてしまったんでしょうか。
普天間飛行場を返して貰える約束をした橋本内閣の与党が、自民党だったことを。
そして、それから昨秋までの14年間、同じく自民党が与党として政権政府を担っていたことを。
また、何時だったか、件の飛行場に隣接する大学構内にヘリが墜ちて、返還の機運が高まっていた時も、自民党は与党でした。

その自民党の、いま総裁をやってるタニガキさん。
この間に、確か自民党内の要職に就き、政府の閣僚も経験してますよね。
そして、政調会長のイシバさんは、確か・・・防衛長官してましたよね。
・・・と、言うことは、担当閣僚だったということですよね。
けど、在任中に、何かこのことでガンバッタんですかね。
あっ!そうか。
なーんにも結果を残してないから、いま、こんなに騒いでるんですよね(笑)

それなのに...

現政権の動きには、確かに失笑すら覚えますが、それ以上に、タニガキさんやらイシバさんら(自民党)が、鬼の首を取った!が如くにいけしゃあしゃあと、節操無く文句を言っているのが、この上なく不愉快です。
あまりに堂々と、「文句を言うのは当たり前!」的に宣ってるので、返って、惨敗の痛手でボケちゃったかな?!と、哀れにすら思います。

しかし...

この自民党の言動に対して、誰も、何も言わないのが、不思議で不可思議で堪らない!です。

こう思ってるのは、私だけなのか・・・な?!
ちょっと気になったので...。
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15年と1月前の記憶

2010年02月17日 | くない観
いまから一月前。
1/17(日)は、前日の土曜に続いて仕事でした。
しかも、8時までに出勤しなければならなかったので、5時に起きて身仕度を調え、まだ、星空が楽しめるうちに家を出ました。

刻々と変化する東雲のグラデーションは、いつ見ても綺麗です。。。が、とっても寒い!
晴れて余計に、放射冷却で心底冷えます。
寝床を離れた瞬間、保冷庫の中か?!と思うくらいの寒さでシャキッと目が覚めました。
だから、リビングに出て、直ぐに付けたストーブの前で固まっていたので、外に出て新聞を取ろうなどという気は全く起きず、ニュースと時計の代わりに・・・と、テレビを付けました。
けど...
平日の明け方なら、もう、この時間にはニュースとかOha!4(中田さ~ん!)とかズーム(西尾さ~ん!)とかやってるんですが、さすがに日曜だと・・・ニュースすらやってません。
ニュース専門チャンネルでさえ、違ってました。
ただ、時刻は表示されていたので、是非もなく...
通販だと誘惑に負けそうだし、無意味で単なる見せ掛けの自己反省番組だとイライラするだけ(苦笑)
清々しい朝から悪態をつきたくないので、何とか見られるのを探し回していたら、日テレだったか,皇室日記を放送してました。
休日の早朝に相応しい、とても穏やかで心温まる番組に、思わず正座して見てしまいました

この日の放送は、阪神・淡路大震災の被災地へ御幸し、被災された方々を慰問された折のことを、紹介していました。

そう...
この日は、兵庫県南西沖地震(阪神・淡路大震災)が遭った日。
あれから、もう、15年も経つんですね...
私が高3の時のことです。

学校は隣の市に在るんですが、とても不便なところで、毎日、朝の7時前には家を出てました。
だから、第一報を詳しくは見ず,ただ、その時見ていためざましテレビが、スタジオから報道フロアに切り替わった記憶は、あります。
けど、学校でこの話題が出たのは掃除の時。
さすが、大学受験をするって言うと...
「冗談は顔だけにしろよ(マテ)」
...って、言われる程度の高校なので(笑)
いま想えば、まぁ、そんなもんなんでしょうが、そいつが...
「大阪でデッカイ地震があったらしいよ」
...と、若干不確か気味に言ったので、その場にいた、私を含めた全員が...
「へえー、そうなんだ」
...と、気のない反応でした。
けど、家に帰って、まず目に入った夕刊の一面に衝撃を受け、直ぐさまテレビを付けたら、思わず...
「なんじゃこりゃ!」
...って叫んで、「なにこれ、どうしたの?!」って、台所にいた母親に話掛けたことを、今も鮮明に覚えてます。
この半月後くらいだったか、その時は仲のよかった奴が、(そいつの)父の仕事に着いて見てきたようですが...

瓦礫と化した街。
猛火に呑まれて灰燼となった街。

その、想像以上の光景に、絶句したそうです。

あれから15年です。

その間、大学へ進み、社会へ出、ネットを利用して、随分と交遊が広がりました。
中には、震災を体験した人も少なからずおられ、話を聞いたこともあります。
また、年に一度の割合で上洛してますが、そのうち何度かは、兵庫・神戸まで足を運んだこともあります。
昨秋上洛した折には姫路まで、跳ねる程速い新快速に乗って行きましたが、(途中)車中からは穏やかな播磨灘や明石海峡大橋を見ました。
端正に整えられた街並みや、風光明媚な景色からは、およそ見聞きした大震災の光景とは掛け離れていて、想像できません。
復興力の強さに感嘆しましたが、反面、それに比例して記憶から、特に非経験者からは薄らいでいくのか・・・とも感じました。

この後も、所縁のある地で大きな地震が相次いでますし、関東も、「大震災が来る!」って言われて久しいので、他人事ではない、とは思ってますが...。

地震が起こらないことに越したことはありませんが、これが、地球の生きている証なのか…と思うと、また、なんとも言えないところも若干。。。
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フェリー撃沈...

2010年02月14日 | くない観
岡山県玉野の宇野港と香川県高松の高松港を結んでいた「宇高連絡船」が、100年の歴史を幕を閉じることになったとか。
寂しき限りです...。
私は、今から数十年前,我らの阪神タイガースが21年振りにセ界制覇と日本一!に輝いていた頃(笑)
岡山に住んでいました。
そして、海を隔てた讃岐香川には父方の父母が住んでいたので、よく、宇高連絡船に乗って行っていました。
岡山に住んでいたのは、瀬戸大橋が開通する前年までの約2年半弱。
その前後は関東に住んでいたので、香川までの距離が格段に縮まったので、この機会に・・・と、唯一の交通手段だった連絡船に乗って、行き来していました。
この当時、家には車がなかったので、岡山駅までバスで行き、宇野駅までは確か4両の、深緑とオレンジに塗られた湘南色の電車に揺られ行っていました。

いま、強く印象があり、思い出されるのは年末に乗船した時の光景で、空はどんよりと曇っていて、甲板に出ると、冷たい冬の風が容赦なく吹き付けて、とにかく寒かった!んですが、そこで、黄金色をしたつゆに浸かっている“うどん”が美味く、食らって暖まった思い出が、とても強く残っています。
それこそ、うどんの茹で具合(食感)やつゆの味までレビューとして載せることができるくらい、鮮明に覚えています。

それが...
私はてっきり、瀬戸大橋が開通してから、もう、既に全て廃航になっていた・・・とばかり思ってました。
しかし今回、新聞記事などで廃航となったことに驚き、また、とても寂しい気持ちでいっぱいです。
原因は、瀬戸大橋の開通が大きいとは思いますが、今年に決断せざるを得なかったのは、昨年、たろうちゃんと不愉快な連中どもが打ち出した「高速料金割引制度(1000円/ETC限定)」が大きいようです。
制度開始前後から言われていましたが、とうとう来たか・・・といった思いです。
減便によるコストダウンと、値引きによる利用増を目論んでいたようですが、既に限界値を超えてしまったようで。。。
言うなれば、(運航会社の社長さんも言ってましたが)「国が潰した」ようなものですね(苦笑)
今度、現政権はマニフェストに則って、高速道の無料化に向けた“まずは”実験を行うようですが、その前にこうした結果が出てしまったことにどう考えているのか、是非に聞いていみたいです。

この国の高速道料金は予てから“高い”と言われ、かつて道路公団改革が行われている中では、建設当時は「将来無料になる」と吹聴してようです。
それも、高度経済成長の入口あたりの話だとか。
しかし、いま、そんなことをしたら、おこがましいようですが、この国の交通体系が崩壊するのでは?!と、危機感を覚えます。
今回の宇高連絡船の廃航は、その入口に見えてなりません。

確かに、「無料化」になるのはありがたいですが、高速の無料化に税金を投じるなら、他の交通機関にも、それ相応の“援助”をしないと、これが、とてもアンフェアな競争に思えてなりません。
高速を無料にしなくても、世界各国に比べて「高い」というなら、その水準にあう、「適正価格」にまで値下げするように運営会社へ“指導”なり助言をすれば済む話・・・だと、思います。
これから入る高齢化社会では、車を運転できない人もしくは危なっかしくて運転させられない人(失礼)が増えてくると思われるのに、いまもまだ、従来型の道路造り一辺倒な政策では、自ずと限界がくるのでは?!と、思えてしょうがないです。

出かけるのに、車だけではなく、鉄道や飛行機や船舶などを自由に選択することが、健全な状態だと思うんですが(--ゞ。。。
これに欲を言えば、お互いが連携できるようになると、利便性と可能性が広がって、随分とありがたいことになる・・・と、かねがね思っているんですけど・・・無理なもんなんでしょうかね。。。

そういえば...
いまの目標(夢)は、寝台列車の旅と、船で(とりあえず)一泊の旅行です。
前者はとりあえず置いといて。
後者は、バスで茨城の大洗まで行って、そこからフェリーに乗って北海道へ行くツアーなりお得なキップ(パック)があるようです。
航路が潰される前に、是非是非利用してみたいです。
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まだ見ぬ傷み

2010年01月19日 | くない観
仕事中、ケータイに着信とメールが。
一通は、高校以来の友達からで、新年会の連絡。
もう一通は、以前に勤めていた職場の人から,同じく元同僚の訃報でした。
なんでも、自宅で転倒した際、頭を強く打ったとかで、緊急搬送されて、MRI検査等の手配をしている最中に容態が急変し、帰らぬ人となってしまったようです。
確か、4つ下の(私の)弟と同じくらいだったと思うので・・・まだ、28・9だと思います。
在職中は、席が背中合わせで、業務上の繋がりがあってよく話はしてたんですが、私が離職してからは、全く交流がありませんでした。
ただ、2,3年くらい前に北欧人と結婚した・・・とは、風の噂で聞いていましたが。。。

正直、全くピンと着ません。

親族以外で訃報を聞くのは今回が初めて。
高校からの友達が、高3の時に医師から(多分肥満で)「25歳で死亡」宣告をされましたが、まだピンピンしてます。
まぁ、きっと医者のブラフだったんでしょうが、その日の晩御飯に、医者に止められたサラダ油とジャガ芋をたっぷり使った母親お手製のコロッケを食わされたらしいので、もしコイツがそうなったら、きっと、最初こそ驚きますが、「あ・・・、やっぱり」か「やっとか」って、観念すると思います(マテ)

しかし、今回は余りに唐突で、全く予期せぬ出来事なので、こうして日記を打っていても、まだ、ピンと着ません。

ニュースを見聞きして、理不尽な被害に遭った、全く見知らぬ人にでさえ、不憫に思い、加害者に対して、仇敵にでもあったか?!くらいの怒りが込み上げて来ることもあるに・・・ちょっと短で起きると、こんなもんなんでしょうか?!(苦笑)
私的には、まだ、小林繁や郷里大輔の急死の方が、衝撃度が高いです。

この後、もう少し事情を聞いてみますが、そうすると変わるもんでしょうか...。

別れの諸式は、明日と明後日に執り行われるようですが、仕事で行けないので、電報などを送ろうか・・・とは思ってます。。。

けど、やっぱり若すぎるなぁ。。。
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己丑の年の「回顧」と「展望」

2009年12月31日 | くない観
気が付けば、今年もあと僅か。
何だか、あっ!という間の一年でした。
それこそ、一昨日くらいに今年を迎えた感覚があります(^^ゞ

しかし、その中でもいろいろとあった・・・気がします。
「公」の面では、環境が変わって、新たなスタートを切りました。
8ヶ月近く経っても中々慣れぬことが多いですが・・・何とか、やります。
「私」の面では、今年も多くの方々とお会いできました。
昨日、遅ればせながら年賀状を書き終えて発送したんですが(^^ゞ
数年前までは、10枚程度出せばもう、十分だったんですが、いまは、その数倍の枚数になってました。
この他にも、メールやSNSを介して新年のご挨拶をさせていただく方もおられるので、これらを含めると・・・学生時分には考えられなかった数になっています。

こんなヘン■■に・・・なんとも、実にありがたいことです。

今までに得られたありがたい縁を大切にして、これを、来年以降に是非是非繋げていきたい!と、強く思っております。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

ちなみに...
昨日から今朝方に掛けて、いまの私がある「原点」と言っても過言ではない、「不夜城」の忘年会がありました。
今回は、2年振りに上方の酒豪・・・いや、「真田家博士」をお招きしての宴でしたが、気の置けない皆様と、実に楽しい一時を過ごせました。
いま、不夜城は(多分一時的に)陣屋(無城)となっていますが...(ニゲロ)
いまの私(大学卒業後)の「原点」と言っても過言ではないこの繋がり。
近年歴史がブームになり、裾野の広がりと共に人口も増えてきましたが、ここまで濃い繋がりのある人達って、いるのかな?!って、ふと、思うときがあります。

時代祭などに行っても、本番よりもその後が大切!面白い!!と思うのも、やはり、不夜城(特に石和)のお蔭・・・です。

少し視点がアレかもしれませんが、せっかくの出会い,ドライであるのは勿体無いですから。
人との繋がりは特に、暖かく、大切にしていきたいと思います。

・・・と、田沼意次公の評伝を読み終えて特に思った、己丑の大晦日の夕暮れ時でした。。。

p.s.
ふと、昨年の大晦日の日記を見てみました。
すると、漢字一字で「底」と表して一年を振り返っていました。
そこで今回も、それに倣って今年を漢字一字で表してみました。
「歩」です。
去年の一字は、一転上昇を!と願ったものでしたが、何とか二番底にならず、何とかソコから昇り、新たな一歩を踏み出しました。
来年は、この歩みを止めず、その先にある光に向かって(迷わず)進めることを目標・・・というより、課題にしていきたいと思います(^^ゞ
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あかほしーぃ!

2009年12月10日 | くない観
唖然としました。
そして、「そんなバカな(笑)」
「ありえない,ガセネタだ」と、思いました。

「赤星憲広が引退する」って聞いた時は。

しかし、昨夜来のニュースで報道され、合わせて記者会見の模様を見て、ガセネタじゃなく本当なんだ・・・,現実なんだ・・・と判り、会見を見る度に、涙が出ます。

来年から、あの雄姿をグランドで観られないと思うと、ただただ、寂しくて哀しくて、いまだに信じられなません。

首の故障は、前々から気にはなっていました。
ここ最近は、その影響であまり出場していなかったので。。。
しかし、まさか生命の危機を脅かすほどまで悪化していたとは、ちょっとショックです。

会見を見て、引退を決断するまで苦悩を垣間見た時、一ファンとして、そして、同学年(同い年)として、最大限の敬意と賛辞を表したいです。

「グランドで死ねるなら本望とは言うが、いざそうなったら怖かった。」
この発言には、グっときました。

アニキの言うとおり。
野球人生よりも、人生の方が遥かに大切です。

勝っている時は勿論、例えどんなに負けていても、赤星が出れば期待が高まり、安心しました。
逆に出てないと、例え勝っていても、全く面白くないんです。

6年前、対広島戦でサヨナラヒットを打って、セ界制覇を成し遂げた勝ちをもたらしたことが、特に印象深いですが、常日頃の、走(攻)守揃って、勇気の奮い立つ全力プレーには、感動と感謝で一杯です。

来年は、せっかくの寅年なのに、阪神戦を見る楽しみが、激減します。

ただ期待するのは、特に二軍の選手たちが、これを奇貨として奮起し、赤星の穴を埋める逸材が出てくること。
しかし、赤星の穴は、そう簡単には埋まらないでしょう。。。

うっ、これを記していたら、また泣けてきた

P.S.
携帯で「あかほし」って打ったら、予測変換で「赤星憲広」と出てきたのには、ある意味感動した(笑)
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60年近くの繋がり

2009年12月06日 | くない観
昨日の朝。
自宅最寄り駅から電車に乗るべく待っていたら、京急600系がやってきました。
都営浅草線を介して、京成車の大半は羽田空港へ,京急車の多くは青戸や高砂(葛飾区)までですが、日に何本かは、この600系だけが、京成佐倉や成田空港方面までやってきます。
この車両の端はボックスシートになっていて、ちょっとだけ、旅に出ている雰囲気が味わえて好きなので(^^ゞ
内心「やったね!得した気分♪」と思ったんですが・・・車内に入って、(更に)ちょっとビックリ!
車内ドア上部に、JR東日本E230系統が採用している液晶ディスプレイ2台が備え付けられていました。

以前には無かった仕様です。

しかも、それがしっかりと、京成線内の停車駅などを案内してくれているんです。
出来た車両です。
しかし、驚きはこれだけに非ず。
この600系は、ラッピング電車としても有名(なはず)なんですが、この日乗った600系には、東武鉄道の宣伝ラッピングが施されていました。

全く競合しない路線同士ですが、これは、京急に売り込んだ東武に天晴れ!と言うべきか、それとも、ラッピングを受け入れた京急に賛辞を送るべきか?!
よくよく考えてみると、同じ芙蓉懇談会に属する企業同士なのでありえない話・・・ではないですが、けど、やっぱり(私的に)結構驚きました。

方や京成は...
私が沿線住民になって、早20年以上。
以前に比べれば、随分とマシになったとは思いますが、でも、まだまだ相変わらず,一応大手なんですが、チバラキでは頑張る二流半の、お山の大将的な雰囲気(苦笑)
京急品川に比べて、

京成上野は・・・うーむ、辛気臭い(苦笑)
確かに、上野というお場所柄と、私鉄では初、戦前から在る地下駅ではありますが...。
それと、JRと「ちゃんと」接続している日暮里も、成田新高速鉄道の(来年)開通に備えてリニューアルしましたが・・・京急品川に比べると、どうも、パッとしないです。

尤も、日暮里と品川を比べるのには多少無理がありますけど...。
おまけで言えば、工事に時間が掛り過ぎてた。
難しい工事だったかもしれませんが・・・そのおかげで、ガムテの名人とかが現れて、若干脚光浴びてましたけど(苦笑)
うん、相変わらず時間が掛かります,京成は。

また、都営と京急との乗り入れに備えて馬車軌間(1372mm)から標準軌(1435mm)に変えたのに、全くそれが活かされてない。。。
京急も、京成に同じくカーブが多いのに、スピードを(さほど)落とさず運転してます。
しかも、住宅街が迫る狭いところを走るので、迫力満点です。

来年、成田新高速鉄道が開通してどうなるかは分かりませんが...
いっそのこと、京急と合併しちゃえばいいのに!と、思う今日この頃です。
何年か前、突如列車種別とシンボルカラーを統一させたときは、「遂にか?!」と、思いましたが。。。
近畿圏の事情はよく分かりませんが、阪神阪急持ち株会社になったんですから、それよりも繋がりの深い京急と京成だったら、バックボーン(※↓)の垣根を乗り越えて、実現すると思うんですけど...。

もしそうなったら、京急2100系の様な、乗ってて楽しい車両が(乗り入れて)増えるだろうし、運行本数=効率もよくなって、利便性が向上しますよ(きっと)。
それと、暑っ苦しい千葉県知事や、向かいの県知事さんなどが提唱する成田空港←→羽田空港のリニア構想も、京成と京急が手を携えることによって、はるかに簡単で現実的に短時間で、かつ、低予算で効率的な運用(移動)が出来ると思うんですけど・・・どうでしょう。

まぁ、ちょっとした夢物語の独り言でした・・・けど、実現を、私は(勝手に)期待してます((笑))

p.s.
京急の横浜や金沢文庫の駅の行き先案内表示機は、まだ、これが活躍しています。

この、アナログ感がいいです♪
それともう一つ,京急の看板も。
JRの「快速」の様な

京急の、流れる書体がいいんです♪

※京浜急行は、旧安田財閥の流れを汲む芙蓉グループ(芙蓉懇談会)に属しフジテレビなどとも近いです。
一方、京成は旧三和銀行系のみどり会属しています。
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征夷大将軍の条件

2009年11月15日 | くない観
タイトルに触発され、期待された方,申し訳ございません。
これは、真面目な歴史(日本史)の話です(爆)

さて...

先月のとある朝の通勤時。
暇潰しに・・・と、ケータイ国盗り合戦のクイズをやってみました。
時折骨のある問題も出て、史学心が燃える!こともある、この日の問題は...

「征夷大将軍に就いたのは次のうち誰?!」

...という三者択一。
選択肢は、「信長」「秀吉」「神君家康公」(笑)。
この答えは勿論・・・・・・「神君家康公」です!が、この一般常識的問題の正答率が84%程だったことに(まず)驚き、続いて、解答に付いている解説を読んで更に驚きました。

いや、厳密に言うと、驚きよりも、あまりに滑稽過ぎて(苦笑)が止まらなかった・・・という方が的確かと思います。
その、滑稽な解説の内容は?!と言うと...

○戦国時代には源氏しか将軍になれない慣例が広がっていた
○だから信長や秀吉はなれなかった
○だから家康公は家系を偽造した
...ですって(爆)

もう、なんというか...

「誰がそんなこと言ってるんだ?!」(爆)って、解説作成者に問いたいくらいです。

今まで、歴史がブームであることに逆らわず、斜に構えてニヤニヤ眺めていましたが、これだけはちょっと・・・いただけないです。

この解説のキーポイントは、「戦国時代に―慣例が広がっていた」というところ。
すなわち、征夷大将軍就任の条件が「源氏であること」とすると、足利家が将軍職(世襲)に就く前の歴代将軍、例えば九条藤原家や、宗尊親王から大塔宮護良,成良,信濃宮宗良の存在を「無かったこと」にしてしまう無理が生じます。
しかし、これを「戦国時代に―」とすると、足利家(源氏)が将軍職を世襲しており、尚且つ、豊臣秀吉が足利義昭の養子となって源氏となり、将軍職を狙っていたという点から説明できると考えたのでしょう。
けど...
甘い!甘過ぎる!!
征夷大将軍の就任条件は、戦国時代でも...

関東打果され珍重に候の間、将軍になさるべきよし。
[三位宰相勧修寺晴豊の日記(『晴豊公記』)より]

即ち、関東を何らかのカタチで制していることが、条件なんです。
(この時、武田討伐の余勢を駆って、滝川一益が西上野に侵出。関東管領に付されたとも。)
この条件提示が明確に示されているのは、実は、信長が武田討伐後に行った朝廷との折衝の中で出たモノで、世に「三職推任」と呼ばれています。
「三職」とは、「将軍」の他に「関白」と「太政大臣」を指し、信長側の意向は「将軍」就任だったと言われています。
そして、信長のこの時の氏は・・・ズバリ!「平氏」です。
そしたら、将軍職就任と共に源氏に成ったか?!というと・・・どうでしょう。
信長が急死したとは言え、死後の贈官贈位も平朝臣ですし、三七信孝なども平朝臣ですから、まず、考えにくいでしょう。
そして、これにより、秀吉が将軍職に就けなかった理由も・・・そう、小牧長久手で徳川勢に敗れ、その行く手を阻まれたからなのです。
結果、この時起こっていた近衛家と二条昭実との関白職を巡る紛争に目を付け、半ば強引に介入して、その職に就いてしまうのです。

そして最後に,家康公が家系を偽造した云々の下りですが、新田の子孫を称するのは、後北条家の後に関東を治めるのに都合が良かったからです。
解り易い例では後北条家で、かの家の本来の名字は「伊勢」ですが、他国の兇徒と侮られることを憂慮した家祖の早雲が、関東と所縁のある「北条」を名乗るようになったのと、同じ意味が有ります。
そして、後醍醐天皇に呼応して、北条家の拠る鎌倉を陥落させたのは他でもない、新田義貞です。
そう、だから家康公は「新田の子孫」と称したのです。
なお、それ以前に、今川家から独立して三河一国を統一した時も、藤原(加茂)氏から源氏に改氏を行っていますが、これも、三河と縁深い足利源氏や国人衆の上に在るには、「源氏」である方が都合が良いと判断したからでしょう。

ゆえに、家康公が征夷大将軍を狙って源氏に改氏したなどというのは、全くの的外れなことなのです。

史学出の1人として。
歴史がブームになっていることは結構かと思いますが、それを利用する側には、十分な知識と見識を持っておいて貰いたい・・・と、ちょい思いましたので。。。

また...
ウルトラクイズ世代の私には、クイズと言えども真剣勝負!ですから(笑)
『国史大辞典』をよーく読むことを、オススメします。
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枯れ尾花の(金)夜

2009年11月06日 | くない観
今日は金曜日。
そして、明日は土曜日。
私は当番出勤=仕事なんですが、多くの人はお休みかと。
そうと決まれば酒場では、夜が明けるまで,明日のことなど気にせず、呑めや!語れや!の大賑わい!!で、どこもかしこも満員札止め(^人^;)
・・・かと思いきや、乗換え駅の前には、居酒屋の店員が数多展開して、店自慢やらクーポン配りに勤しんでいました。

乗換え駅は、県内第2の都市。
乗降客も、県内は勿論、JR東管内でも屈指の数で、人の往来も多くて(結構)賑わってるんですけど...。

確かに、駅ビルが出来て人の流れが変わったとはいえ、以前の金曜日には、そんなサービス一切無かったのに。。。

休みのすぐ後だからか?!
もういくつか寝るとクリスマス(苦笑)
更に寝ると年末年始とお正月で、何かと物要りになるからか?!
それともやっぱり、不況の影響ですかね?!

仕事帰りに、何だかちょっと、軽い衝撃と寂しさを感じました。

ちなみに、私は明日仕事な上に、若干ノドがイガラっぽいので、暖かくして,
先日、親戚宅へ行った折に買ったラーメンに生姜を入れて食らい、大人しく休みます(苦笑)
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行列の出来た投票所(の結果)

2009年09月01日 | くない観
本当は、選挙日かその翌日にこの日記は上げたかったんですが、先週来、ずっと体調(気管支系)を崩してまして...
原因は、謙信公祭の合戦場で大量に使用された発炎筒なんじゃないか?!と、ちょっと疑ってます(気管支系は弱いので)が、それはちょっと置いといて。

先日、8月30日に投開票が行われた衆院総選挙に一票(ずつ)を投じてきました。
台風が接近する中、午後から雨が強く降ると予報で聞いていたので、午前中,10時前に、いつもの投票所(小学校)へ行きました。
すると、まず、小学校に入る車で渋滞してました。
続いて、投票所の設けられている体育館に行くと、な、な、なんと!
受付を待つ行列が出来ていました。
投票に参加するようになって、彼是12年。
体調不良で1回だけ、県知事選に行かなかった以外は欠かさず投票には行っていますが、こんなのは始めです。
それこそ、コイズミマジックに惑わされた前回でも、行列は出来てなった記憶していますから、如何に今回の選挙が注目されているか伺えました。
ちなみに、千葉県の投票率は全国最低(約65%)レベル...。
その中で、我が市は約68%と、県内では高投票率でした。

その結果...
民主圧勝!自民惨敗!!
...でしたね。
全く、ざまぁねぇー当然の結果が出て、もう、笑いが止まりません。

そもそも、途中1年弱の野党時代があったとは言え、50余年に渡って自民が政権与党で有り続けたことが不思議であり、不純であり、不潔であり、不健康かつ不健全極まりない事態だと思います。
一政党が政権与党で有り続けるだなんて、およそ、とある国と変りません。

確かに、民主党の打ち出した選挙公約に共感できるものは余り有りませんが、それ以上に、政権与党に有り続けた自民のテイタラクには辟易としていました。
その一々を上げ、数えるのも億劫ですが、中でも、数の横暴や失言暴言の類から、「ボク、お腹痛いよぉ~」って、やる気(所信表明)を見せながら、総理の座からトンズラしても許される、しかも、トンズラ総理が2代も続けて出る事態は、一有権者として、到底許し難いことです。

ウチの選挙区には、政府の要職を務めた世襲人(自民)と郵政群をバックに持つ人(民主)などなど、全く魅力を感じない候補ばかりだったので、最後の最後まで、どうしようか考えていました。
そこで、朝刊にマニフェストなどが載っていれば、それを参考にしようと思ってみていたら、自民がこんな広告を掲載していました。

これを見た瞬間、もう、げんなりして(苦笑)が止まりませんでした。
そして、大惨敗の選挙結果に「あ~、やっぱり(笑)」と思いました。

1,2行目は、まぁ、解らないでもないです,私も、そう思ってますから(笑)
けど、3行目には「???」って感じがしました。
私は、(ご存知の方も居られるかと思いますが)教育関連の仕事に携わっていますが、日教組の存在なんて、はっきり言って、全く感じたことが有りません。
また、私の知っている文科官僚や教育関係者も、こんな連中を眼中にも歯牙にも掛けていません。
こんな、餅にカビの生えた連中なんか、端っから相手にしてません。
それよりも怖いのは、です(爆)
そんな連中をわざわざ引っ張り出して民主打倒の武器にしようとした自民に、返って憐憫感さえ沸きました。
全く、こんな選挙戦しか出来ないのか?!と。
しかし、これこそが、自民と有権者との意思の乖離の表れだとも感じました。
有権者は、民主のアラなど聞いていません。
それよりも知りたいのは、民主に出来なくて自民に出来ること、または、自民は何を打ち出して、それを、どう実現するのかを、教えて欲しいんです。
それなのに、政策論争と凡そかけ離れたこのネガティブキャンペーン。
全く、有権者をバカにするのもいい加減にしろ(苦笑)と、言いたくなります。
ただ、総理総裁自らが、器量の小さい「民主攻撃」に終始してしていましたから、ある意味、止むを得なかったんでしょうけど、自爆しちゃいましたね,自民は(苦笑)

民主のことをあれやこれやと言う人を多く見ますが、私には、自民は長く権力の座に居すぎたことが問題に思えます。
自民の主張からして、民意とは大幅に懸け離れていますから、ここで一旦、政官財の繋がりに楔を打って、複雑に絡んだ糸を解して見つめ直すのも、懸命な選択だったと思います。
無駄な高速とか、意味不明な新幹線(延伸)の建設は、是非とも止めてもらいたいですね。

ただ...
ちょっと幅が開きすぎている嫌いはありますが。
それと...
民主と国民新党が、弱小とは言え連立を組むのがどうもねぇ。。。

ではでは。
これは、あくまでも私論なのであしからず。

それにしても、小選挙区比例代表制という制度は、怖い選挙制度ですね(--ゞ
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審判の時が迫る!

2009年08月29日 | くない観
過日の通勤途中。
とある新造党のおエライさんが乗換駅の前で行っていた街頭演説で、こんなことを言ってました。

「北朝鮮にはミサイルを射たせません。
例え射っても落とします!」
って堂々かつ力強くと言ってました。

いやぁ、実に頼もしいですね。
まさか、この集団に限って、自衛隊の力に頼るだなんてなんて野暮なことはしないでしょうから、きっと...
幸福を科学する総裁が、念力とか超能力とかを使うんでしょうね。
あっ、いや、きっとこのチカラを使って、幸福を科学する総裁がが巨大化して、蝿を払うが如く落としくれるんでしょうね(ワクワク)

いやぁ、楽しみですね,このイリュージョン(ぇ)

そうえいば...
いよいよ明日が衆院選総選挙の投票日ですね。
私はきっちり明日行きますが、正直、まだ、どこのだれに入れようか決めていません。
何せ、選挙期間中はあまり地元に居ませんでしたし、出掛けても車だったりして、選挙活動集団とほとんど出会いませんでした。
だから、正直困ってます,悩んでます。
与党はテイタラクに過ぎるし、野党第一党は総花的なバラマキ政策が気になるし...。
特に、高速(の段階的)無料化なんてナンセンス過ぎる。
これで他の地域の鉄道やバスなどの交通インフラが淘汰されたらどうするのか、甚だ疑問。
だから、さて、どうしましょう。
投票直前まで、きっと悩むことでしょうね,全く。
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その努力に乾杯!

2009年07月04日 | くない観
電車内で、日本語の勉強をしている(恐らく)中国から来た女性を見掛けました。
手にしていたの簡易な冊子タイプのテキストは、もう、何度も何度も見返しているのかボロボロで、チラッと見えたその中には、マーキングやらメモがびっしり!
電車を乗っている時は勿論、降りる時もその冊子を閉じる事無く、熱心に見入っていました。
若干危険な行為では有りますが、寸暇を惜しまずに勉強(日本語を習得しようと)する姿に感心しました。

私は昨年末、国家資格を修得すべく、試験の3ヶ月前から受験勉強に取組んで、この方と同じように、痛勤電車の中とかで参考書を広げて勉強してましたが・・・心折れることは度々(^^ゞ
やる気は有るんです!けど、いつの間にか、心の中に“ヤメタラス”が現れるんです。。。
だから、電車内での勉強で「もう十分」・・・と勝手に、それこそ自己満足に満たされて、家で机に向かっても身が入らず、試験直前まで殆どしませんでした(苦笑)
しかし、流石に試験直前になると言いようの無い焦燥感に覆われるので、正に、尻に火が付いて必然的に走らざるを得ない状況で勉強してました。

全く...
始めっからやっていれば、そんなことにもならないし、ましてや、いざ試験に臨んだ時に冷や汗を掻くことなんです。
それは解っているんです・・・高校受験の時も、大学受験の時にも痛感したことですから。
それでもなお、動けないとは・・・進歩が無いんですね(_ _ゞ

昨年末に臨んだ国家資格試験も、試験中はずーっと、言い様の無い冷や汗を心身ともに掻いき、終了後はどっと疲れが。
余りの不出来に、怖くて自己採点が出来ず。
大して人事を尽くしていないのに、図々しくも試験会場内にあった御社と、最寄駅までの道程の途中に在った八幡様におすがりして・・・なんとか,日頃の行いがよかったのか、合格しました。
通知に同封されていた採点結果は、合格点ギリギリでした(苦笑)
正に、綱渡りの合格です...。

全く...
いつもいつも、これを変えねば・・・とは思っているんですが、中々どうして・・・。

今回得た資格は、ちょっと前に注目されましたが、結構、勉強していても面白かったですし、これから伸びる分野なので、知識習得に励んで更に上級を目指そう!とは思っています。
・・・が、今回の経験をちゃんと行かせるかが、きっと成否の鍵を握っているでしょうね(^^ゞ

それこそ、電車内で見掛けた異郷の人を見習ってβ(_ _ )...。
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新市長は31歳!?

2009年06月15日 | くない観
昨日投開票された千葉市長選
その結果は・・・私の1つ下の、しかも、誕生日が4日違いの候補者が当選しました!

正直、驚いてます

いままで、(身近な)市長と言えばシムシティの長くらいでしたからね(爆)
それが都の、当時はかなりこじつけてましたが(苦笑)、世間的には一応政令指定都市の長ですからね...。

ご立派!です。

世間的には、衆院総選挙前の前哨戦的な選挙とあって、「民主が勝った、民主が勝った」と、反応は悲喜こもごものようですが...
そんなことよりも、(ほぼ)同年代の市長誕生の方が、私には、ちょっとショック大きいです。

いやだって、ひょっとしたら(市長と)友達の友達かもしれないんですから(マテ)
転勤族だった新市長の、今の住まいは、穴川か...。ちょっと近いな。

うーむ...
思えばもう、そんな歳まで来たんだなぁ・・・と、感慨深げにもなります(苦笑)
ただ、唯一の救いは、独身ってこと・・・ですね(マテマテ)

お隣の市のことなので、あまり「関係ないや」と全く関心なかったんですが、どんなことを主張しているのか、ちょっと見てみようと思います。

それにしても...
投票率が、前回よりも上がったとは言え50%に達してないのは、ちょっとどうかと思います。

「関心が低い」で済まされるなら、選挙なんて不要,世襲でも十分ってことですよ(苦笑)

情けない...。
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レッドクリフ<サラリーマンNEO4

2009年05月04日 | くない観
一月くらい前の話ですが...
レッドクリフⅡの公開に合わせてか,テレ朝日曜洋画劇場でレッドクリフⅠを放送していました。
これ、随分と話題にはなっていましたが観ませんでしたので、この機会に・・・と、観てみました。

ただ...
劇場での上映時間がどのくらいだったかは知りませんが、21時から23時半過ぎまでの放送だったので・・・23時からは本意に従って、NHKの「サラリーマンNEO」を観ました。

いや、だって、season4の放送,とっても楽しみにしていたので。
サラリーマンなら(ずとも)、およそNHKで放送しているとは思えないコント番組を、観逃すわけにはいきません!

いやぁ、もう、存分に楽しめました!
(中山ネオミ=中田さんの冷ややかなツッコミが痺れました(爆))
ビバ!サラリーマンNEO4!!
この先、9月までの日夜23時が待ち遠しく楽しみです。
観た事のないそこのあなたは、来週、是非観て見て下さい。
ある意味、NHKに裏切られた!と思いますから。

そのお蔭で、レッドクリフは最後まで観られませんでした。
NEO4が終わってから、まだやっている事に気が付いて観て見ましたが、Ⅱの宣伝めいたことをやっていた記憶がありますが、本編は、残念ながら終わっていたようです。

いや、レッドクリフⅠの地上波初放送を知った時は、結構話題になったモノなので興味が有り、最後まで観通すつもりだってんですが・・・なんだか、途中で何が面白いのかを見失ってしまって(^^ゞ

確かに,最初、献帝を迎えた廟堂のシーンや、流民化する新野住民と玄徳勢の、疲労感の伝わるシーンはよく、セット含めたスケールの壮大さや映像美もよかったです。

ただ・・・なんと言えばいいのか,途中で、もう、満腹感を覚えました(^^ゞ

その一因に、ホンの些細な、劇場では絶対に無かったことなのでしょうが...

登場人物の紹介テロップが、観る気を見事殺いでくれました(爆)
時に、諸葛武候のテロップが・・・

“孔明 諸葛亮”

・・・って、誰だよ!それは!!

正直、これが、23時からNEO4を観ることを決めた、有力な判断材料でした(爆)

関羽や張飛を“玄徳軍の武将”と紹介するまではまだ、まだ(なんとか)許せますが、字と姓名を逆にするのは、ありえないでしょう(苦笑)

声には滅法弱い私にとって、吹替え陣の、特に曹操=磯部勉は、低音で渋みがあってとってもよかった!だけに、残念極まりないです。

それと...
監督の大魔王・・・じゃなかった(爆)、ジョン・ウーの思い入れはよく判りましたけど、私的には、三国志を、知って調べて楽しんで、彼是20年。。。
演義よりも正志に傾倒し、大学の授業でも触れて、それなりに思い入れがあるので...
後々耳目にしたところによると、いくらか端折られていたようですが・・・それでもちょっと・・・連続性の希薄さが、気になりました。

歴史は連続性の産物,点よりも面で捉えなければならないもの。
それを、断片的に捉えるのは難しく、大変危険で不快になることを、改めて感じた様に・・・思います。

もっとも、史学での性と天邪鬼な性質が災いしてか,こうした作品は何事も斜に,素直に観られないので(笑)...。
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1分差の敗北

2009年04月20日 | くない観
前日の日曜日,甲州石和の川中島合戦絵巻を見てきました。

この詳細は別に譲るとして...

本当は、本戦前日の土曜日から石和に入って名物のほろほろ鶏に舌鼓を打ち、湯と酒に浸りたかった!んですが、この(土曜)日に、どうしても,どーーーしても行きたかったところがあったので...
この計画を断念し、本戦当日の午前中に入るべく、どーーーしても行きたいところへ向かう途中、渋谷のみどりの窓口に立ち寄って“ホリデーパス”を買って、これに備えていました。

そして、事前の調査も入念に。
山梨の「桃の花祭り」期間に合わせてか,千葉から小淵沢まで、乗換なしでホリデーパスのみで乗れる臨時快速は走ることをしり、乗継時間を調べて、これに備えてました。

けど...
まず、自宅最寄駅から船橋までの時間を調べるうち、情報が頭の中で整理されていなかったようで、乗るべき電車の時間を間違えていました。

そのことに、何と無く気が着いたのは、駅までの途中に寄ったドラッグストアーでお茶を買っている時,ふと何気なく...
「あれ、電車の時間って・・・・・・・!?」

そこからは猛ダッシュ。
有らん限りの力を出して自転車漕いで向かいましたが、あと一歩及ばず。
改札を通った段階で発車ベルが,階段を下りた段階では、もう、電車は行ってましたorz...。

是非も無く。
9分後の着いた快速に乗って行きました。

時刻表上、臨時快速の1分前に船橋に着くので、常に時計を見、ヤキモキしながら乗ってました。

そして20余分掛けて間も無く船橋...。
ここまで順調に行っていたんですが、駅近くになって、並行し始めるJR線に目線を転じると・・・!!!!!!!!!

り、臨時快速が併走している...。

もうダメだとは判ってはいましたが、まさか!に期待して、猛ダッシュして向かったのですが、やっぱり...。
ここでもまた、寸でのところで間に合わず,乗れませんでした。

ここからは致し方なく,ギリギリまで一般線を使い、八王子から特急に乗って向かいました。

そして帰り。
有難くも演出部隊で参じたわんわ殿の車で東所沢まで乗せていただき、ここから武蔵野線で西船橋→船橋と乗り継いで帰りました。

この時、京葉線のダイヤが乱れていたようですが、幸い、武蔵野線への影響は軽微で、西船橋まで無難に行き、ここでの乗換もスムーズでした。

しかし、問題は(またしても)船橋での乗継。
しかも、歴史は斯くも短時間で繰り返されるのか!
今回もまた、乗換時間は1分しかありません。
そこで、船橋を出た瞬間に(またしもて)猛ダッシュして京成線ホームへ向かいました。

途中、ビルの隙間から電車の行き来が確認できるのですが、この時は、乗りたい電車が見られなかったので、「いつもどおりに遅れているんだろう...」と思い、ちょっと力抜いて(・・・というより、出せないか(^^ゞ)走り、改札を抜けたら・・・・・・あーぁ...。

頭上を、電車が走る音が聞こえてきました(苦笑)

はい、今回もまた、乗れませんでしたorz...。

結局、次まで14分も!空いたので、ちょっと本屋で時間を合わせ、予定より12分遅れて自宅最寄駅に着き、家に帰りました。

けど...
往路の時間,もうちょっとキッチリ調べれば防げた事態に、反省中です。
ここで止めておかないと、後にドカン!と大きな事故を引き起こす・・・やも、しれませんからね。

気を付けねば、気を付けねば...。
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