昨日も友達より公認心理師のテキストの執筆依頼が来てました。
ひどく複雑な思いです。公認心理師ができるのを私は反対しているのでなく、その資格認定方法に問題があると思い、原稿に纏めました。
それも患者さんと関係のない、単なる資格なら別に何ら言う事でもないのです。しかし、その資格はいわゆる患者さんとか来談者の方と関わるようなものです。
あのような莫大な記憶と○×式の試験方法は、どう考えても来談者の共感や寄り添い能力を育てるものではなく、神田橋先生はわざわざお手紙で、そのような能力を圧殺するような問題だと連絡をくれました。
試験問題とは恐ろしいものです。なぜなら、そのような問題をクリアする能力を磨かなければならないからです。そして試験問題が変わらない限り、毎年そのような能力を持った方が来談者に接するのです。
仮に、問題を、「ある来談者は…というように述べたが、それをあなたは、どのように考え、どのように対応するのか、具体的なセリフなどを入れ、詳しく示しなさい。」というような問題にすれば、そういう問いについての考えは共感や寄り添い能力を高める手がかりとなります。
私はそのような問題をどうして出さないのか?という疑問点を示したいだけです。
しかし、その採点には時間と採点者の主観が絡むからという事であのような問題になったと思います。
しかし、その○×式の試験問題が客観的かといえば、その考え方自体が主観的なのです。
即ち我々は独断と偏見で育ち、その主観の結果が他人と共有できたという主観の客観化が、大切な大人への成長点となります。
絶対的な客観性などは、我々の妄念以外の何ものでもありません。
○×式の試験は採点には時間が掛からず機械的に便利です。
恐らく、このような考えで基本的な大事なものを見失ってできた資格認定方法に、私は来談者の立場と歴史的に心理臨床家の能力を考えて述べているのですが、なかなか当たり前の事が判って貰うのがとても大変難しいみたいです。
ひどく複雑な思いです。公認心理師ができるのを私は反対しているのでなく、その資格認定方法に問題があると思い、原稿に纏めました。
それも患者さんと関係のない、単なる資格なら別に何ら言う事でもないのです。しかし、その資格はいわゆる患者さんとか来談者の方と関わるようなものです。
あのような莫大な記憶と○×式の試験方法は、どう考えても来談者の共感や寄り添い能力を育てるものではなく、神田橋先生はわざわざお手紙で、そのような能力を圧殺するような問題だと連絡をくれました。
試験問題とは恐ろしいものです。なぜなら、そのような問題をクリアする能力を磨かなければならないからです。そして試験問題が変わらない限り、毎年そのような能力を持った方が来談者に接するのです。
仮に、問題を、「ある来談者は…というように述べたが、それをあなたは、どのように考え、どのように対応するのか、具体的なセリフなどを入れ、詳しく示しなさい。」というような問題にすれば、そういう問いについての考えは共感や寄り添い能力を高める手がかりとなります。
私はそのような問題をどうして出さないのか?という疑問点を示したいだけです。
しかし、その採点には時間と採点者の主観が絡むからという事であのような問題になったと思います。
しかし、その○×式の試験問題が客観的かといえば、その考え方自体が主観的なのです。
即ち我々は独断と偏見で育ち、その主観の結果が他人と共有できたという主観の客観化が、大切な大人への成長点となります。
絶対的な客観性などは、我々の妄念以外の何ものでもありません。
○×式の試験は採点には時間が掛からず機械的に便利です。
恐らく、このような考えで基本的な大事なものを見失ってできた資格認定方法に、私は来談者の立場と歴史的に心理臨床家の能力を考えて述べているのですが、なかなか当たり前の事が判って貰うのがとても大変難しいみたいです。