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岡谷市堀ノ内出身の童画家武井武雄の2000点を超える作品群が岡谷市に寄贈された。
「童画のまちづくり」を進めている岡谷市にとってはうれしいプレゼントだ。収蔵される武井武雄の作品群の数が増すことは、岡谷の文化の厚みも増す。何よりも芸術家武井武雄の作品が一カ所に集中して保管されることのメリットは大きい。
寄贈品は、水彩やクレヨンで描かれたタブロー、雑誌の原画、絵本や書籍、デザイン画、版画や版木、筆や時計、衣類、素顔を伝える写真まで武井武雄のすべてという感じだ。
「父の故郷に」という武雄の長女の遺志が実を結んだ。
同市の堀ノ内には旧家が多く、町並みも落ち着いた雰囲気をかもし出している。武井武雄の生家もその一角に残っているが、この家も市に寄贈する意向が伝えられている。武井家は高島藩に仕えた武士の家柄で、武雄の父は平野村初代村長だった。元禄年間に火災に遭って建て替えたと見られているが、建築年代ははっきりしていない。しかし、火災などの厄災除けに寺からもらってくる護摩札が何枚か見つかっている。その一番古いものが享保12(1727)年となっており、この護摩札から江戸中期に建てられたのではないかと見られる。諏訪地方では最古の民家ではないかといわれる。
同市では寄贈を受けた場合、保存は難しいと見ているようだ。建物は老朽化が進み、雨漏りが激しく、床抜けも見られ、改修や管理に多額の資金がかかるためだ。貴重な建物だから、武井武雄の生家だからというだけでは、行政としては動きにくいかもしれない。
しかし、文化は一度壊してしまうと、復元は困難だ。積み重ね、年月のやすりをかけられて残っていくものが文化である。市で保存するのが無理なら、寄贈を受けた後市内の有志に呼びかけて改修費を募り、たたずまいを生かした運営をフリーハンドで任すということも考えてはどうか。
白壁の長屋門、ひさしにかかる家紋入り水籠(かご)、梁(はり)、桁(けた)、細い柱が間隔狭く建てられている古風な風情は捨てがたい魅力がある。間口九間半(約17.1メートル)奥行き六間(約10.8メートル)の切妻の平屋、10畳から6畳の部屋が5部屋ある。どう活用するか想像力をかきたてられる古民家である。
平成19年(2007年)9月23日付け長野日報社説
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