クリスマスシーズンになると思い出すクリスマスがある
在宅介護生活を始めた頃、地域の知的障害者の授産施設からの招待状が来た
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クリスマス会の招待だった、季節の行事とは縁遠くなった僕らは楽しみに出かけた
各自にショートケーキと紅茶、職員の寸劇、利用者の唄、ボランティアの演奏、、、
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健常者だった頃のクリスマスみたいに
派手なイルミネーションや賑やかな音楽、大きなケーキ、ご馳走、酒もない
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質素で素朴なクリスマスだけど、そこにはロウソクの灯りにゆれる笑顔があった
派手じゃなくても、豪華ではなくても、、、そこには、みんなの真心があった
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言葉にするほど幸せでなく、涙にするほど不幸ではない
松山千春の凡庸と言う歌の歌詞の一節を、ふと思い出したクリスマス会でした。
44歳に介護保険の第二保険者となり、介護サービスを受けて来て思うこと
4,50代の僕は福祉学習やら講演で、自分の意を反しても講師とか、先生とか呼ばれていた
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がしかし、いざ訪問入浴やデイサービスの利用者となるとどうだろう?
顔を洗ってもらう時、頬をムニュムニュされたり、カワイイぃとか言われたり
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介護される利用者は、自分たちがお世話する人
一般人ではない一丁前のない人、かわいい対象、癒しの対象、、、などになるみたいだった
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しかし、これからの時代の高齢者は、男女問わずプライドが高く自主性の強い人は多い
「あてがう介護」では通用しなくなる、これからの介護は利用者の意向と対話しながらの介護に。
マラソンを見て一生懸命さに感動した、エピソードに胸をうたれた
いい話し、素敵な話しである、しかし、それは一般人から見た場合
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マラソンをやっている人やコーチなどの関係者なら見方が違ってくるだろう
ぺース配分や給水ドリンク、フォームの変化、、、これらが専門的視線なのだ
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僕らが関わるケア職の人から「素敵なご夫婦」「前向きなご夫婦ですね」
とかの言葉をかけられるが、そんな穏やかな夫婦、和やかな暮らしなどではない
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当事者たちは結構、必死なのだ
辛い、大変だとは言わなくとも、決して楽しくも楽でもない日々を生きている
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一般的視線ではなく、専門的視線で話しかけてくれるケア職の人に信頼、親近感が湧く。







