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保存版ブログ介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

普通に接する

2024-12-10 10:45:00 | 武久の視線
介護保険のお世話になって20数年一番、感じていることは「普通に接して欲しい」と言うこと
普通の65歳の男性、、、そんなに世間話をするものでなし、誕生日カードなどをもらって喜ぶものでもない
後期高齢の利用者の場合でも
普通の高齢者、要介護ではない人と同じように接するのが、人としての道
尊厳とか利用様とか難しい表情を使わなくとも、普通に接すること
年齢や間柄に応じた話し方や接し方、目上の人と接している、と言う認識が大切なのでは
 
 

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忘れじのクリスマス

2024-12-09 10:53:54 | 武久の視線
クリスマスシーズンになると思い出すクリスマスがある
在宅介護生活を始めた頃、地域の知的障害者の授産施設からの招待状が来た
クリスマス会の招待だった、季節の行事とは縁遠くなった僕らは楽しみに出かけた
各自にショートケーキと紅茶、職員の寸劇、利用者の唄、ボランティアの演奏、、、
健常者だった頃のクリスマスみたいに
派手なイルミネーションや賑やかな音楽、大きなケーキ、ご馳走、酒もない
質素で素朴なクリスマスだけど、そこにはロウソクの灯りにゆれる笑顔があった
派手じゃなくても、豪華ではなくても、、、そこには、みんなの真心があった
言葉にするほど幸せでなく、涙にするほど不幸ではない
松山千春の凡庸と言う歌の歌詞の一節を、ふと思い出したクリスマス会でした。
 
 

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闇に照らされる時間

2024-12-08 09:21:47 | 武久の視線
 
患者や利用者が暗い表情で外を眺めている
患者や利用者がレクやイベントに参加せず独りでいる、、、
ケアする側から見れば
好ましくない状態、何かしなければいけない状態なのだろう、がしかし
患者や利用者、、、
他人の世話になる立場、思い通りには生活の出来ない体になったこと
ふと我に返った時、落ち込んだり、ねたんだりひがんだり、、、
そんな時間を過ごし、自分で折り合いを付け腑に落とし、自分で納得して前を向く
患者や利用者にとって、一人で葛藤する時間は大切な時間
そんなことを意識して患者や利用者の「独り」と接して欲しいと思います。
 
 

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これからの介護

2024-12-07 10:52:07 | 武久の視線
44歳に介護保険の第二保険者となり、介護サービスを受けて来て思うこと
4,50代の僕は福祉学習やら講演で、自分の意を反しても講師とか、先生とか呼ばれていた
がしかし、いざ訪問入浴やデイサービスの利用者となるとどうだろう?
顔を洗ってもらう時、頬をムニュムニュされたり、カワイイぃとか言われたり
介護される利用者は、自分たちがお世話する人
一般人ではない一丁前のない人、かわいい対象、癒しの対象、、、などになるみたいだった
しかし、これからの時代の高齢者は、男女問わずプライドが高く自主性の強い人は多い
「あてがう介護」では通用しなくなる、これからの介護は利用者の意向と対話しながらの介護に。
 
 
 
 
 

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セミナーや研修会

2024-12-06 10:38:02 | 武久の視線
ケア職にセミナーや研修会は大切だが
講師はデーターやエビデンスに基づいた学術的なことなどを語るのだろう
受講した人たちは、その受講した内容や知識を自分の職場などで活用する
しかし、いくら専門的に良いケアであっても学術的に優れたケアであっても
はたして患者や利用者は、そのケアを受けどう感じ、どう思うのかが大切なのでは
ケア職にセミナーや研修会は大切なものだが
それと同じくらい患者や利用者の感想や意見を聞く意識を持つことも大切なことではなかろうか
なぜならば、セミナーや研修会で学んだケア
そのケアを受けるのは講師やあなたではなく、患者や利用者たちなのだから、、、。
 
 

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個性

2024-12-05 11:26:04 | 武久の視線
言えない言葉「障害は個性」
パラリンピックや障害を受容した人の代名詞のように使われる障害は個性
何年たっても否この先も、僕は四肢麻痺を個性だとは言えないだろう
僕も地域で福祉学習をやったり発信したり、決してネガティブな障害者ではない
障害は個性と言うより、僕は障害者も個性と言いたい、障害者も人それぞれなのだ
生まれながらにして障害をもった人、人生の途中で障害者になった人
障害がある部位、障害の程度、生活環境、経済環境、、、障害者と言えど千差万別
輝く障害者もいれば、引きこもる障害者もいる
健常者も障害者も人それぞれ、それもまたノーマライゼーションと言うこと。
 
 
 
 
 

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専門的視線

2024-12-04 09:15:07 | 武久の視線
マラソンを見て一生懸命さに感動した、エピソードに胸をうたれた
いい話し、素敵な話しである、しかし、それは一般人から見た場合
マラソンをやっている人やコーチなどの関係者なら見方が違ってくるだろう
ぺース配分や給水ドリンク、フォームの変化、、、これらが専門的視線なのだ
僕らが関わるケア職の人から「素敵なご夫婦」「前向きなご夫婦ですね」
とかの言葉をかけられるが、そんな穏やかな夫婦、和やかな暮らしなどではない
当事者たちは結構、必死なのだ
辛い、大変だとは言わなくとも、決して楽しくも楽でもない日々を生きている
一般的視線ではなく、専門的視線で話しかけてくれるケア職の人に信頼、親近感が湧く。
 
 

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世間話なら誰でもできる

2024-12-03 09:35:01 | 武久の視線
在宅介護生活をしていて思うことがある
介護保険サービスでアセスメントとか関わり合いとか言っても
内容は業務的な話しだったり世間話などが中心、話の潤滑油程度の世間話ならいいのだが
世間話が中心になり、こちら口にしない限り
「最近、困っている事や不安な事などないですか?」などと聞かれたことはない
専門職がおこなう人のケアとは、、、体と心のケア
利用者や介護家族の心の声を聴く耳を、スキルを身に付けて欲しいもの、痛ましい事件を無くす為にも。
 

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社会的ステイタス

2024-12-02 11:47:16 | 武久の視線
保育、教育、医療、介護、、、殆どの人が、人生の中で関わりをもつ
カテゴリなのに、保育とか介護とか社会的ステイタスが低いのは何故だろう
子どものお世話をする、お年寄りの世話をする、お世話をする仕事だから?
お世話をする仕事だとしても、お世話してくれている人がいるから働ける人はいっぱいいる
現代社会では仕事ができる人や有名な人が
凄い人であり、偉い人なのだ、みたいな風潮になっているが
その人たちを支えている縁の下の力持ち
その人の子や綾をお世話してくれるお仕事の人たちがいるから社会が成り立っているのだ。
 
 

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2つの受容の存在

2024-12-01 09:11:59 | 受容
 
以前、障害受容について
僕が思う障害受容とは、あきらめとか慣れみたいなもの、そんなことを書いた
40代から介護を受けて来た僕が感じた
介護を受ける身になった時に乗り越えなければならない、もう1つの受容の存在
それは羞恥心、恥ずかしさの受容、、、
介護のお世話になると、普通の生活ではありえない恥ずかしい場面と遭遇する
トイレ介助のために他人前で用を足したり、他人前で陰部を露出したり、、、
そんなことは一般の人には当然、医療や介護に関わる人でさえも恥ずかしくて出来ないこと
患者や利用者になったなら羞恥心、恥ずかしさに対しても受容していかねばならないのだ。
 
 

 

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