霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

その日起こったこと(内緒の話はあのねのね)

2014年07月04日 | 心霊現象
さて、何からお話しましょうか~。
内緒の話ですから、ここだけの話にしてね~、と言いながらも伝わっていくもんですよね。


実際、何がどう起こったのか、当時者ですらつかめないのだ。
「それ」は、突如にして起こった。
その中に巻き込まれ、「こと」が終わった時何が何だか分からなかった。
というのが本当のところだっただろう・・・。(私はかろうじて分かったというか)
「自分」がなぜ「そういう行動」をし、「その言葉」を発し、「何が目的であった」のかさえ全てがあっという間の出来事だった。
気が付けば「地雷」は爆発し、木端微塵になって吹き飛んだ「自分」と「相手」・・・。

いったい何が起こったのだ?・・・。
誰一人つかめない不思議な出来事は、こうして起こっていた。
平成26年6月26日。
「6」繋がりの不気味な日だ。
何かが起こるとしたら「この日」だろうと、私でさえふむくらいの意味シンな数字のもつ暗示は、皆さまもきっと霊感で感じ取れたに違いない。
必要最小限の人間は全て「そこ」に集められていた。
霊界の仕組みの「みごとさ」が、それを表している。


私的に言えば「地獄の中」と表現する「その中」にいながら、仕事に関わる最小限度の言葉を発することは必要である。
一日無言で仕事は出来ない。
ホールに集まる「お客さん」、そしてスタッフ。台所にも一人いた。
そこで聞いたかどうかした「私の言葉(問い)」に、脇にいた「その男」が激怒した。
大声で「どやしつけた」。この表現が一番当たっている。
そこにいた皆は一瞬固まったかに見えた。その場の空気も凍りついた。
一方的に「どやしつける」男の声だけが、その空気を揺さぶるかのように響き続ける・・・。
『誰!何があったの?。こんな大声で、何ですか!。二人離れて!隣の部屋へ今すぐ行きなさい!!』
いるとは思わなかった管理者(施設の責任者)が、それを上回る大声で怒鳴った。
端っこの部屋からすっ飛んできた管理者は、当時者である「私」と「その男」の顔を見て、再び驚いた。解せない、という顔だった。

この事が、何の前触れもなく起こったのだ。(と、皆は思っただろう。私以外は・・・)
隣の小部屋で二人は説教をくらった。
原因も聞かれた。が、その因果関係は繋がりようがないはずである。
それは、遠い昔のことが原因になって今に至り、この日この今突如として起こった様にみえるからだ。
原因があやふやなまま、今後の為にと訓戒だけを残して「その場」は終わった。
「地雷を踏むハメになったその男」は、それこそ何が起こってしまったのかなど、今もって分からないでいるだろう。
それだけあっと言う間の出来事であり、自分が何の為に何の役回りを演じたのかさえ分からなかっただろう。
ただ一つだけ、「管理者からあれだけの怒りに満ちた訓戒を受ける」という不祥事に、なぜ自分が見舞われたのか・・・。謎であり、不可解であり、不気味の極みだったに違いない。
この二人には、何ひとつ「これを引き起こす」という気配も兆しもなかったから・・・。
それが「この世」の見方だ。
これだけ「いつ爆発してもおかしくない」状況が、今押し寄せてあるのに、その気配さえも感じなかったという鈍感さもまた、原因の一つでもあっただろう。
ここから何人の同僚が、夢半ばにして退職しあるいは「首同然にして」出ていったか・・・。
感心を示さなかっただけだ。
「自分には関係ない・・・」と。
被害者にはならなかったが、加害者になっていたかもしれないのに・・・、である。


この一か月、つまり「私」は、極力人の誘いに乗る事を避けてきた。
「飲み会」と称するところへの誘いは、完全に切り捨てた。
ましてや、含むところ多々あって「ここ」を辞めた人が混じる「会合(飲み会)」など、出て楽しいわけも、意義深いわけもないと思ったからだ。
その間約一か月、6月はまるまる一月「沈黙」を貫いた。
私の移動に、探りを入れる会合はたくさんあった。が、全て断った。
これこそ私が取った、「保身」ではなく事に当たっての最良の策でもあった。
気配を感じて半ばきたころ、「恨みの霊界」が私にささやく。
わずかしかいないスタッフの「誰」がガンだったのか?・・・。
そして「ここ」ではどんな恨みつらみが行き交い、退職という結果をもって幕を下ろそうとしたのか。
その「心の手当」は、誰も何一つしていない。
その「行き場を失った魂」は、今でもあちこちで「会合」を持って顔を合わせている。
離反文士と呼ぶには哀れである。彼らがいて「あの日」出発出来たのではなかったか・・・。

「輪」を持ち、「和」を計ろうとした者の怨み節が聞こえる。

ある者は『半人前』といわれ、ある者は批判文士と言われ、ある者は生意気とみられ、ある者は「うるさい」と言われた。
彼らが夜なべをして「お客」を喜ばせようとした事や内容を、むげにも「否」と一蹴した?・・・。
その被害妄想となった彼らは、今もどこかで「たむろ」して、現役のスタッフたちと飲み会を続けながら、気の晴れる日を待っているのか?・・・。

私が味わった「地獄」の種類は、『一人ぼっち』だった。
朝のあいさつをしても、私には返ってこない。
何を聞いても、聞こえないふりで人がどこかへ行ってしまう。
ある日は、ほんとうに何もしないで黙って一日すごした。
走り回って一日が暮れた「もといた階」では、こんなこと想像もつかない。
地獄の「針のむしろ」のすわり心地は、おかげさまでじっくりと味わった。
これが今回の引き金や、原因や恨みの根底に漂う心情の深い闇だと言われれば、私には「それを解く」役としての条件が、悲しいかなそろったことになる。
こんなに悲しい、こんなに痛い心は・・・、久しぶりに味わった・・・。(そして、もういい)


一人の男の「自殺未遂事件」が起こった日。
私は勤務でその場にいた。目撃者ではないが、建物全体を巻き込んだ「異様な雰囲気」は、味わった。
未遂で終わった「それ」を、切り捨てて今に至っているのだろうか?・・・。
どんな人間であれ「人一人の命」だ。
その事件の裏にあるものを、どれだけどんな視点から『検証』したのだろうか?。
それもこれもみんな、これから起こることの「原因」「引き金」になりえるからである。
人の心の寄せ集まるところ。
小さな亀裂のうちに心配りをしなければ、いずれ大きな事件となって「しっぺがえし」を食うハメになる。

取りこし苦労であれと説に願うが、この建物は健全な資材で建てられたももだろうか、とさえ疑ったことがある。
よもや、まさか地下の埋め立てに墓石など使ってないよね~、とまあこういったことである。
また、一回の会合で胡散無償(うさんむしょう)した話であるが、二階の「幽霊ばなし」である。
ある入居者の運び込んだベッドに「霊」が付いてきて、夜な夜な「音」が聞こえるというのだ。
夜勤をやりたくない、という者まで出た。(私から言わせてもらえば笑止千万。幽霊達に悪い)
2月から始まった「新設された夢と希望の近代施設」の介護の中身がこれでは、増々恨みつらみを巻き込んで、身動きできなくなる危険性をはらみながら、それでも行かねばならない。
しかし、「人の心」は「ガス抜き」を願い、その時を待って今に至っている。


この度の「こと」は、終わりではない。始まったばかりである。
地雷を埋めたのは私ではない。
前から埋まっていたのだ(彼らによって埋められた解けない心がそうさせている)。
それが条件と時が逢えば、炸裂する。やっと一つ目が意味不明の様相をもって炸裂し、終わったばかりである。(さしずめ条件とは私という媒体をもって、事を進めるチャンスを得たということか)
7月は納涼大会と称して、あちらこちらで「炸裂」を楽しむ機会が多くなる。
ことが起こるのであるならば、7日の七夕が過ぎた日にしてほしい。
一年に一回しか出会えない「牽牛(ひこ星)」と「織姫」は天の川を挟んでようやく会えるという。
あの世とこの世を結ぶ、あるいは分ける「川」は、そこを通って出会おうとする「先祖」と「わたし」のようでもある。
無事に出会ったあかつきにこそ、「炸裂」の花を見せていただきたいものである。

施設の屋上の花壇には、きゅうりやナス、ミニトマト、ゴウヤなどが植えてある。
これからが最盛期であり、実がたわわに実ってお客様の食卓に上る予定である。
恨みやつらみのなる木、つまり私達の霊の木には決して原因となる種さえも残さぬように、胆に銘じたいものであります。

6月で体重が2キロ減りました。
これで合計8キロ減ったことになる。
私の貯金?はあとわずか。こっそ粗鬆症の薬も、私的には手足の末端がしびれ、ふくらはぎの痙攣という副作用が現れている。(医者は気のせいだと言ったが、私は薬を止めた)
しかしドクター・ストップはかかった。
「もうこれ以上痩せないこと。命にかかわる」と。
はいはい、ご心配なく。いずれはいつか「あの世」へ行くんですから~。
「二回目の炸裂の日」は、私まだこの世にいますよねぇ~・・・。

内ポケットでガサガサ音をたてるのは、「退職願」。
もちろん私のものであり、毎月日にちを書き直している。
「あの日」つまり、地雷炸裂と訓戒を受けた日以来、空気が少し変わったことを、私は見逃してはいない。
何かが動き始めた。女子職員が私に同情の目や言葉を向けてきたのが見える。
彼らが使うスマートホーンのメールが飛び交ったのも「その日」だったろう。
その場にいなかった「彼ら」が、何の思惑でメールをし合ったかは分からない。
が、多分にも起こったことを他人事ではなく、少しは自分にあてて考えてくれたら、ありがたいことだと私は思っている。


(ぶっつけ本番で書いてまとまりません。ご理解あそばして、ご容赦のほどを・・・)
では、またね~。