霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「死について語る会」第2回目の御案内です

2017年08月05日 | 心霊現象
矢継ぎ早に2回目のご案内をいたします。
今回も日曜日を選びました。それも3連休となるところを狙ってです。
東京から離れている方にとっては、出かけやすいかと。
しかし、そんな心配りは無用だと、むしろお叱りをうけるかもしれませんね。



   日  時   平成29年 9月17日(日) 午前10時~12時

   会 場    東京都練馬区区役所会議室  1905 室 (本庁舎 19階)

   会 費    無料です

   担当者    島田


今回も、事前にはお知らせ頂く必要はありません。


わたくしめ、設営係りといたしましては、自分の有給をありったけ使えばなんてことはありませんゆえ、会場を先に抑えて皆様にご連絡するというもの。
いずれ平日や夜の会合も考えております。
ただ、「あの世」はなぜかわたくしを急がせている気がしてなりません。
何を見たり、何を聞いたからという訳ではありませんが、私の気持ちの中に「焦り」があるといったら、あたっているでしょうね。
「これはいったい、どこから来ているんでしょうか?」と祈るのですが、答えは今のところありません。





今日は土曜日、8月5日です。
午前9時ころね、NHKの総合テレビでこんな番組をやっていましたねぇ。

最近この世はきな臭い。
核拡散も甚だしく、とどまることを知らない。
広島、長崎の1万倍とも言われている核爆弾は、世界中にある。
そのエネルギーは、地球を何度ぶち壊しても余りあるものとなった今、止めるどころか、一触即発の危険さえはらんで現在に至っている。
「世界の終末時計」というのがあるそうな。
それをみると一回りのあと数分で目盛が合わさってくる。(終末を表す12時に)
そうだ、今その時計は「あと2分半」を示して止まっている。
いや、止まってはいない。目に見えない動きで「終末」の目盛に向けて「時」を刻み続けている。
現在約11時57分30秒。ご丁寧に12時丁度のところには「ドクロ」の絵が貼ってあった。

という内容である。


北朝鮮とアメリカ。
そして、それぞれの国を代表する「役者」がようやくそろった。

「いつでも来い!」

どちらが先に打って出ても、勝敗はない。地球規模で滅亡が待っている。


しかし人はそれほどまでに愚かだろうか・・・。

と、ここまでくると、思い出すのは・・・。
先にご紹介したことがある「あの話」だ。


「この先、核戦争は起きるか」との問いに、氏答えて曰く。
「起きるかもしれないが、一回目で地球は駄目にはなるまい。が、北半球は当然人が住めなくなる。
よって、南半球へと人類の大移動がおきる。
その次に何が起こるか、どのように起こるかが分かれ道になる。

「第3次世界大戦における朝鮮半島の今後のゆくえ」のことである。

「神の預言者」とも「救い主」とも言われ、はたまた「悪鬼の頭」ともいわれた文氏の預言である。


死に急ぐわけではないが、こんな事でわたしの「焦り」があるわけではないと思いたい。
私の死期がせまっているのは、それはそれでいい。


以前から一つ気になっているのがある。
前に紹介した「シルバーバーチ」。
覚えておいでだろうか。
彼(としておく。実は霊団らしい)がね、こんなことを言う。
「霊界へどんどん人の霊が送られてくる。しかし最近は本当に何も知らない、無知と未熟な霊があまりにも多い。頼むから、すこし教育をしてから送ってくれないか」・・・だって。



さあさあ、皆さま。
設営係といたしましては、どんどん会合を重ねていくつもりでございます。
今年の12月までの予定は近々組む予定です。追ってお知らせいたしますので、ご都合をつけて足をお運びくださいませ。





「死について語る会」第一回目のご案内です

2017年08月01日 | 心霊現象
善は急げ!とばかりに、仕事の休みを利用して会議室を予約してまいりました。
小さな会議室でいいと、空いているところを聞きました。
日曜日はもう当然埋まっています。ただ一日をおいてはね。
朝から晩まで借り手のない日。それも日曜日で。
まるで待っていたよ、といわんばかりの日。そして終日空いている。

ん?、・・・。
それはね、8月13日でした。
練馬区の区役所の会議室を、全室空けて待っているといわれてもね~。

でもわたし、借りちゃいました。
全室?、いえいえ一番小さい会議室を一つだけ。


と、いうわけで、「死について語る会」そのまんまの名前で一回目の集まりを天の前に、霊界の前に捧げることにいたしました。


    日 時   平成29年 8月13日  午前 10時~12時

    場所    東京都練馬区区役所 会議室 1905室 (本庁舎19階)

    担当者   島田


    前もっての連絡はいりません。
    料金は無料です。
    飲み物は、お茶の道具は区からお借りできるようです。
    どのような内容かは、その日その場になってみなければわかりません。
    

本日より私は当日までの間祈り込み、あの世の住人に精一杯働きかけ、覗きたい方々は覗きにくるもよし、実際に地上の縁者をその場に連れてくるも良しと、制限なしの「初回」にしたいと思っています。
時、丁度お盆。
誰一人いない静寂の中にあるか、それともてんやわんやの大賑わいか・・・。
ふふふ、いまからよだれが出そうですわい。


そうそう、これを書き、今まで読んでいただいた皆様に深く感謝を申し上げるとともに、この担当者こそ、「わたくしめ」でござりますれば、以後お見知りおきいただきたく、おん願いあげたーてまつりまするう~。(ちょん・・拍子木の音なり)


今まで人が、いや、とりわけ日本人が避けて通ろうとした世界に、わざわざ分け入り踏込み、「霊界(死後の世界)」に風穴を開けるというものであれば、何事もないはずがありません。

なぜ人は死ぬのか・・・。なぜわたしは死ななければならなかったの?・・・。
なぜ人は死ぬのに、あの世が分からないのか?
死後の世界はあるのか?、あるとしたらどのように存在しているのか?。
輪廻転生って何?、そして本当にそうなるの?・・・。
もしあの世があるのなら、わたしの愛したあの人は「今」どうしているの?。

などなど、解決しなければなりません。


丁度お盆は、あの世の人達が帰ってくると言われている時。
その彼らは、私達の集まりを心から待っているはずだと思わずにはいられない。

さあ、皆様から、何から最初にお聞きできるのでしょうか・・・。
楽しみ、たのしみ。
ここでの主役は、「あなた」です。
わたくしめは、あくまでも設営係であれば、「この場」がより話しやすくなるように最大の努力をさせていただきます。



では今年のお盆の良き日、皆様にお目にかかれる事を心より祈りながら、筆を置きます?。


    

お久しぶりです 

2017年07月27日 | 心霊現象
私、今、パソコンの打ち方を忘れて、練習中です。
3年間のブランクは、筆舌に尽くし難く、その機会がもしあればお話しをばいたしましょう。

結論から申し上げれば、我が弟は自ら命を絶つことを選びました。
今から3年前です。その時をもって、このブログを書く事を止めました。
いえ、書けなくなったと言った方がよいでしょう。

そして、つい先日、霊能者k氏もこの世を去りました。

私の周りには、「死の気配」が漂い、その足音さえ聞こえてくるようでした。
「いよいよですか?・・・私」
何の答えも聞こえないが、ただ分かることは「人」にとって「死」は確かにいつか必ず訪れるという事でした。


今は私、どこも悪くは無い(と、そう思っている)高齢者の一人です。
ただ、そう思っているだけ。

さて、何をすれば?・・・。
ただ空を見つめて、そればかりを繰り返し聞くわたし。

ある日、そうある時ね。
私の目が釘付けになる。
本を何気なく読んでいた。その時ある言葉を見たまま凍りついた。

「死について語る場を提供する」(現代にはそれがあまりにもなさすぎる、という)

今の世に欠けているもの。それを今すぐ急いで提供しなさい、とまあこういうことなのでしょう。

来る日も来る日も考えて、否定と肯定と迷いと反発と納得が、ある日ようやく定まった。

このブログを書いた3年間、いろんな人に出会わせていただきました。
その中で、最後の最後に奇跡という現象まで起こして出会った「禰津家」の方。
この世で最後に霊能者k氏と出会えた方でもありました。
あり得ないことを幾つも重ねて、ようやく発射のベルが鳴り終わる寸時に滑りこむがごとく、霊界の在り様を知る彼女達(母と娘)をみて、滋野一族の救いにおける執念をまざまざと見た思いがしました。


その後彼女たちの今までの修行やその内容、そして選ばれた経緯を知るにつけ、納得がいくとともに、
この私もまた、最後の力を振り絞り、「あの世の語り部」としてその一員として「死について語る場」に同席出来れば幸せです。



いつ、どこで、何をするか。
智恵もない、お金もない、若くもない、人脈もない・・・の、ないないずくしの者の集まりですが
「神の思し召し」と思うことにし、準備と行動を同時に行うという無謀なる「離れ業」をもって実行に移したく存じます。

お借りする場は「練馬区役所の会議室」。
時は第一条件は日曜日。時間は10時から12時まで(いずれは平日も)を押さえられればいいかと。
下話はすでにできている。
あとは、区の広報に載せるだけ。

とまあ、こんなあんばいで今を生きています。

今後は皆様方とお会いできる事を、なによりもの楽しみにして人生の幕を引きたいと思っています。

いずれ事務局の電話番号や住所などお知らせいたします。
「死について語る場の提供」ですから、いたるところに「ある」ことが理想ですね。

宗教でもなく、霊能者の育成でもなく、人が人として生まれ生きるとき、「死」がどんな位置ずけとなるのかをより良く正しく知って、明るい正しい未来を築こうではありませんか。
一番近しい者の死の意味がわからない。
これはあってはならないことです。知る事が出来るならば、是非知りたい!
こんなところから話しだして、みませんか・・・。




パラオが再び騒がしくなる日

2015年03月30日 | 心霊現象
あんなに寒かった冬もようやく終わり、春がきたようです。
靖国の桜の花の「開花」をもって宣言されるほどに、日本の国は「春」と「桜」を待ち焦がれて今日まできました。
そしてそんな「今日」という日を待ちわびた「人達」が、他にもあることを忘れてはなりません。


昭和で言えば、今年は90年。戦後で数えれば「70年」となる。
その区切りからなのでしょうか、天皇皇后が来月4月8日から「あのパラオ」を訪問されるという。
待ちに待った「彼ら」(玉砕した兵士の霊達)が、どれほど喜んでいるかがうかがえるというもの。
その報道を兼ねて、大勢の報道陣がパラオの地を踏むであろうし、さらにまた野次馬をも兼ねて心ある者無い者がわんさと訪ねていくだろう。
「何事もない」ことを、ひたすら祈る私である。

今からもう十数年も前になる「私のパラオの旅」の時でさえ、あんなことが起きたのだから。
ましてや「天皇皇后」のご訪問である。
何も起きないわけがない、と言ったほうが当たるだろう。
が、「それ」は悪い事を意味してのことではない。
彼らの歓喜が、どのような形で出るかの問題である。
パラオの国自体は親日であれば、大事はないとみる。
しかし「それ」を、再び日本が戦争を正当化しょうとする意図と見れば、なんかしらの「なんくせ」をつけたくなる「輩(やから)」が現れてもおかしくはない。
それが「個人」か「国」かは分からない。が、屁理屈はなんとでも言えるし、何にも都合よく張りつく。
強く希望されたと聞く「天皇皇后」のパラオ行き。
霊界はどうみているのだろうか・・・。
ここが一番の関心事となる。(あの世などくそくらえの者には、ナンセンスだろうが)
「彼ら」の魂は、今どこで何をしているのだろう。
日本の国民を70年間も見守り続けてきた彼らの心は、はたしてその結果を何と出しているのか。
前に私が書いた「こんな国にするために、我々は命を捧げたのではない!」と、もしも今でも思っているのだとすれば・・・。
ある意味において「70年経た時」の重い審判が、今下されるはずである。
しかし、「その想い」つまり長い間心はあれども訪ねることが叶わなかった「天皇皇后」の彼らに対する積年の思いはすでに伝わり、さらにすでにその審判は受けておられよう。
残るは日本人つまり日本の総国民への心の在り様に対しての「審判」だけの問題である。
明治天皇の御製を思い出してほしい。
また、そのひ孫?とやらの「池田氏」の皇室とはの質問に対しての答えを思い出してほしい。
先の御製は、国民を「我の生みし子なれば・・・」と結んでいる。
つまり「罪あらば、我を咎めよ天津神~」で始まる歌の内容である。
皇室は親であり、国民を我が子とする日本の国の出発を物語る内容であった。
ひ孫殿の答えは「こう」だった。
「皇室とは祈る人のところです」と。
始まりから終わりまで、この国と国民の安寧をひたすら神(天照大御神)に祈る日々を務めとした、日本の長(おさ・国父、国母)たらんとした。
天皇のこなされる行事は、大半が国民を代表しての神への催事がほとんどである。
こうして「日ノ本」といわれた国、つまり「日本国」は存続して今に至っている。

「70」という数字が何を意味するか・・・。
世界に向けての日本が背負った宿命(あるいは使命)は、この「70」が表している。
皆様も思い出してください。
「7」は何の数だったか。
サタンが持つ「6」を越えなければならないという「7」は、神の「成る」という希望の数、つまり完成数でもある。
これからの日本は、この「7」を土台にして再びの国造りを目指さなければなりません。

天皇皇后のパラオ行きは、単純に行きたくなったから行くという衝動的な気まぐれではないということであり、歴史的必然に由来するであろうことを、国民の私達も意識しながら、目に見えないが確かに在る存在「霊界」の皆様を強く意識しつつ、ことの行く末を祈り、見守りたく存じます。



戦後は忘れられていく。
そして昭和も忘却の彼方へ消えようとしている。
若いヘルパーがね、「美空ひばり」をよく知らないという。
「時間」という形無きものが、あれよあれよという間に私達を離れ離れにしていくことさえ、気にしない時代を迎えた感がある。
この先高齢者社会が増々進む日本は、私なぞが入るスキは無くなっていくだろう。
いやもうすでに無いのかもしれない。
よしんばあったとして、介護をされる側にまわった時。
歌う歌も「わからないもの」では、心のふるさとを失ったまま生きていくようなものである。
軍歌もいずれ誰も歌わなくなるだろう。
超未来的(将来的)には、「非平和的」なものは淘汰されてきっと良い時代の要因のみが残る日がくるだろう。
が、そこまでに辿りつくために味わった数々の「忘れてはならないもの」をしっかりと後世に残して教訓にすることが今生かされている者たちの「使命」でもある。

再び、いや三度になるか・・・。
忘れてはいけないあの「因果経」を思い出しながら、今日の日を噛みしめてまいりましょう。

  『 今日起きているこの果を知らんと欲せば、過去の因をみよ
    将来起きる果を知らんと欲せば、今日の因をみよ  』


まっことこの世は、因果なことでございます。





孔子が示す「人の道」とは

2015年03月08日 | 心霊現象
最近私は、自分が変わったことに気が付く。
それは理論や理屈ではなく、「情」に動く自分にである。
一頃の私からは、考えられない事だ。
それはある意味、最も危険なことであるからだ。
だから私は先ず、頭に理論つまり「道理」を叩き込み、湧き出る情を封印してきたといっても過言ではない。
先ず「真理」であり、「天法」だった。
罪深い愚かな我が情など、くそくらえだ・・・と。
それよりももっと「天」に近い「親の言い分」に耳を傾けよとばかりに生きようと、「信仰」という私には最も似合わない、無理ともいえる分野に足を入れ、身に付けようともがき務めた日々であった。
そして、50年ちかく経った今・・・。
この私の心に湧き出る「情」こそが、今の私の人生の「道連れ」となって現在がある。

今聞いたことに反応し、今見たことに私の五感が「総毛立つ」。
歓びも悲しみも怒りも、なぜか今が一番強く露わになった感がある。
(ん?、あの世が近いか?・・・)
そう思って日々を送っている。


今日の題で示すことは、あの「論語」という中で示された「人の道」。
つまり「人としての到達点」の事である。
元(もと)は中国からのものであるが、日本人の我々でさえ知っている。
そして「それ」がある意味をもって、「人として行き着く道」と説明付けられ、目標であるかのように常に自分の前にあるとき。
本当にそうだろうか?・・・、という疑問が湧く。
先ず、その論語とは・・・。
おなじみの内容を少し書いてみる。


『子曰く 吾十有五にして学に志す 三十にして立つ 四十にして惑わず

 五十にして天命を知る 六十にして耳従う 

 七十にして心の欲する所従えども矩(のり)を踰(こ)えず   』


つまりこういう意味らしい。
「三十才で学問の基礎ができて自立でき
 四十才になり迷うことがなくなり
 五十才には天から与えられた使命を知り
 六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができる
 七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった 」
と。


私なぞ、はるか昔に習ったことだから何の疑問も持たなかった。
が、今ここで再び耳にすると、「おや?」と思う気持ちがおさえられない。
本当にそうか?・・・。
「この人」は、幾つまで生きるつもりだろうか・・・。
人が「成人」となるのは、肉体からみても精神からみても『二十歳』か『二十一』である。
つまり「人として則を越えず」という領域まで辿りつかなければならないのが、神が与えた人の生きるうえでの成長過程である。
そうして男であり女であるそれぞれの「木」となって結婚し、家庭を成し産み増えていく。
「思うままに生きても、何一つ道に外れることがない」という領域こそ「成人」の領域であった。
その年齢が「七十才」では、すでに手遅れとなる。
(なぜ?、その後に結婚や出産が待っているのが、神が人に与えた人生の成長過程であった)
また天命を知ることは、人にとって必須の内容であり成人となる条件の一つであった。
天から与えられた使命、あるいは天性、あるいは天稟(てんぴん)は、若いうちに悟らなければ、その後の方向、つまり人生に狂いを生じることは必至である。(これもまた早いうちが求められる)
四十才にして迷わず?・・・。
最も良い方向を選び出すための「迷い」は、当然出てくる。
何が一番「神(親)」の願いかをひねり出す子供の真剣さに、親は目を細めるだろう。
これは迷いとはいわない。最善を捧げる努力の域にはいる。
迷いとは善と悪に揺れ、自分の為には何がいいかを計る「邪念」から出る心の「ふれ」である。
となれば、「そのふり幅」が小さくなっていく人生経験の時間の長さからくる知恵とでもいったものに置き換えたほうがいい。

さてさて、一人の人間が「成人」になるのがこれほど難しくなったのは、「道」を親によってふさがれたからでもある。
また、探せば辿りつけたものを、「いらない!」と撥ね付けたからでもある。
生まれた時から死ぬまで、いや死んでもなおその後でさえ「迷い続ける運命(宿命)」を知らなければならない。



今私は、光が当たれば当然現れる影のように、事に当たって「瞬時」に心に湧く「感情」がある。
そして「その感情」を分析するのが日課となっている。
「それ」はどこから出てくる「情」なのか・・・。
「あの世」のある部分を投影するかのような「反応体」となってのことか、それとも私の人生で少しばかり学んだ「その実り」からくる「情」なのか・・・。

あの世の試験(テスト)は、紙で問われる答案用紙はありません。
「その事」に反応して瞬時に現れる「わたしの心模様」であれば、隠しようもなく言い訳も通用せず、己の正体をそのまま相手に見せてしまう瞬間の連続の中で生きていくこと、それが「霊界」なのでしょう。

ここまできて霊界の在り様を少しばかり学んできた私達には、「どうしたらあの世の住人」にすんなりとなれるのかが今一番、それも早急に学ばなければならない事柄ではないでしょうか?。


山口百恵が歌う「プレイバック・パートⅡ」?の歌詞。

♪ いったい何を教わってきたの~ わたしやっぱり疲れるわ~

ってなことにならないように、気を付けましょう。



70歳になってしみじみ思う日々ですから、ついついこんなことを書いてしまいました。
70歳になって、例え神の思召す域に到達しても、「もうすでに遅い!」ということです。
そして、「いったい何を教わってきた!」と一喝されるのがオチでしょうねぇ~。
時間は止まりません。
「光陰矢のごとし」です。
若い人も年寄も、この世に一つしかない自分の天性を見い出しながら、人生を全うしてくださいませ。
そして、その背後に「たむろする」守護霊をはじめとする先祖の霊達にいつも見つめられていることを忘れないでお励みくださいませ~。


目の前にたむろする(失礼)お年寄りを見ながら、いつも思うことでもあります。