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手当たり次第に読んだ本、食べ物、旅行記など兎に角好き勝手に話します。

師というもの

2016-04-07 00:32:16 | 日記
 先生、という存在は確かにあるのですが…『師』と呼べるかどうかはまた別のお話(笑)

 諸事情があり人一倍教育機関で学んだ間、数々の先生には会いましたが、『師』と呼べるのは数人です。


 小学校…お一人(担任)
 中学校…うーん、とりあえずお一人(担任)
 高校、お一人(担任ではない)
 大学、お一人(ゼミの先生ではない…一般教養の先生)


 特に、小学校の先生が私にとっては、一番思い出があり、影響を受けた先生でした。
 一年生二年生だったので、特に影響が強いのかもしれません。
 遥か彼方の話なのに…。
 三つ子の魂百までって本当だと思います(苦笑)


 多分40代後半か50代前半かな?
 所謂、脂がのりきってきたベテランの部類の先生。


 何故、ここまで思い出に残っているのかと言えば…。


 必ず休みの次の日の国語は『作文』だったんです。
 日曜日(当時土曜日は学校がありました。休日も今ほどありません)何をしたのか?といった感じで、日記に近いかな?
 
 兎に角、文章を書かせる先生で、何かイベントがあれば必ず次の国語の時間は『作文』でした。
 国語の授業で物語が終われば、それの感想を書くことも日常茶飯事。

 お陰様で、上手い下手かかわらず、文章を書くことには抵抗のない子供に育ちました(笑)
 読書感想文、平気だった。
 

 そして、もう一つ。兎に角『音楽』の授業が多かったよーな。
 歌を歌っている時間が多かった気がするんです。他のクラスよりも。
 何かあれば、歌を歌っていたよーな…。

 
 こう考えると、文章を書く、歌を歌う…どちらも子供の感受性を高めるものばかりです。
 子供が持つ瑞々しい感性を磨く授業だったように思えます。

 情緒を育てる、というのか。
 表現力を育てる、というのか。
 想像力を育てる、というのか。

 兎に角、子供の持っている元々の能力を引き出そうとして、更にそれを伸ばそうとする授業だったように思います。

 音楽の専門の先生だったのかな?と思ったのですが…後々別の先生に聞けば『国語』の先生だったそうです。
 


 お陰様で、元々感受性の強い星回りの私は、更に感受性の強い子供に育ってしまったのでした…(苦笑)
 良くも悪くもね…トホホ。

 
 
 
 
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