at randomで行こう!

手当たり次第に読んだ本、食べ物、旅行記など兎に角好き勝手に話します。

お店のこと

2011-05-27 19:08:12 | グルメ
 新しいお店に行くとき、色々情報を得るのですが、結局最後は、店の前に行ってから決める事が多いです。
 評判がいいんだけれど、なんとなく、今日は行きたくないなー、と。
 こちらの体調もあるんでしょうけれど、お店と自分の相性がちょっとなぁ違うかなぁ、と。
 そういうときは、潔く帰ります。

 大体、情報誌の写真は綺麗ですし(笑)各ブロガーさんの写真もかなりお上手ですから、料理の見栄えだけでは、判断できないことが多いです。
 何よりも味覚は人それぞれだし。
 またお店って、そのときは美味い!と思えても、次回行ったときにもそう感じるとは限らないし。
 食べる側の体調もあるだろうし。
 (友人は、最低三回行く、とらしい。二勝一敗なら可、とか。確かに一理あるかも)
 
 美味しければ何でもいいよ、とアバウトな私ですが、それでも、一応基準のようなものがありまして・・・
 お客さんの姿がある程度見えるお店、というのが結構大切です(バーみたいなお店は除いて) 
 全く見えない隠れ家的なお店は、評判だけではまず行かないです。

 まず、とりあえず、店の前に行ってみる(笑)
 要するに、偵察ですね。
 それで、こう周囲の様子を伺ってみる(怪しいな・・・:苦笑)
 一番わかりやすいのが、『匂い』
 その瞬間が来たとき、あ!と思います。
 表現できないのですが、私が好きな美味しいと思える『匂い』が決め手です。
 それで初めて、行こう!となります。
 自分が決める事が出来る場合は、かなり熱心な私。 
 特に、周囲が誰一人としていったことのないお店の場合は、かーなーり頑張ります!

 やっぱり、折角お金を払うんだから、絶対に美味しいものが食べたいじゃないですか!(笑)
 それに一緒に行く人にも、いいお店だったね!といわれたいじゃないですか!
 美味くないお店に連れて行かれた、と思われるのは、ちと辛い・・・。

 
 これが人様が決める場合は、また違います。
 美味しいらしいよー、一緒に行こうよー、と言われて行ってみたら、あー微妙、というお店もたーまにあります。
 大抵、最初にお店の外観で『なんとなく波長があわないような・・・』とセンサーが(苦笑)
 どんなに素敵なお店であったとしても。何故か、不安になります。
 
 料理は美味しい!
 でも、出てくるのがやたら遅い・・・。しかも、メインのあとに、最初に頼んだサラダが来たりとか、段取りが悪い。
 あるいは、サーブがやたら下手・・・。いくら呼んでもスタッフが来ないとかね。
 そんな感じなんですね。

 なんともいえない、ストレスを感じてしまって、かえって疲れてしまって・・・。
 『微妙』だから、なんともいえない(苦笑)
 だからといって、二度と行かない、というわけでもないです。
 大概、半年から一年ぐらいして、行く事が多いです(かなり間があくなぁ)
 
 多分、評判のお店というのは、開店してからあまり日が経っていなかったり、移転したばかりだったりするんですよね。
 つまり、スタッフがお店に慣れていない。
 厨房にしろ、フロアにしろ、お客さんの対応にしろ。
 お店がとくに移転した場合は、キャパは絶対増えているだろうから(まず減らすことはないでしょう)、特にサーブに対して勝手が違うのだと思います。
 メニューも変えたりしていて、なんとなく使い勝手が悪いようなものになっていたり(特にランチ)
 
 それもあるかな、と思ってからは、大抵評判が落ち着いて、世間の皆様が次のお店に関心を持った頃に、行くことにしています。
 ある意味忘れた頃だな(笑)
 その頃には、お店そのものが落ち着いて、料理もサーブも安定したものになっていることが多いので。
 だから、私のブログに出てくるお店は、旬の店はまず出てこない(笑)
 どちらかといえば、かなり前からあるお店ばかり(例、明月館:笑)
 
 まぁそれもいいのかなぁ? 
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飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ

2011-05-27 00:01:11 | 
『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 井村和清著 祥伝社

 1980年発行の昔の本です。新装版にて再出版されています。
 地元民なら、知っている人が多いと思います。
 うちにも昔あった。
 
 最初に読んだとき、多分中学生ぐらいでした。
 その後、20代に一度読んだかな。
 一昨年あたり読んで、そして、先日また読む機会がありました。

 内容は、
『骨肉腫により右足を膝から下で切断、のちに肺に悪性腫瘍が転移したことにより若くしてこの世を去った医師井村和清が家族に対する思い等を綴った遺稿』です。

 この本は、当時のベストセラーでもあり、ドキュメンタリー、映画、ドラマ化されました(2005年 SMAPの稲垣吾郎さんのドラマでした)
 
 今では、病に冒された医師の手記というのは、珍しいものではないかもしれませんが、昭和55年あたりでは、珍しいものだったと思います。
 井村和清氏は当時31歳でした。
 
 若い・・・と今なら私も思います。
 その年を越えている私だから、井村医師が『生きたい、生きたい』と書かれている言葉の意味が身に染みます。
 生きたいよなぁ、子供もいるんだしなぁ、と。
 
 昔は、あんまり深く思わなかった文面の一つ一つに、心が動かされました。
 私も年を取り、家族が倒れたりして、死が身近になってきたせいでしょうか。
 
 
 その中でも、まえがきに、井村和清氏が

『もしもお母さんが再婚したくなったら、それを祝福してあげなさい。人は1人では生きられないのだから』といったような言葉がありました。
 今から、死に向かうというのに、残された妻と、子供たちの将来のことも、考えているのです。
 また、子供が先に逝く苦しみを与えてしまうと両親に対しても、深く悲しんでもおられました。


 死の直前にあってでも、人はここまで懐が広くなれるものなのでしょうか?


 医師としてやりたかったこともまた、書かれていました。
 当時の医療の問題を指摘なされていました。
 けれど、今でもそれは変わってはいません。
 30年経っても、医療のシステムというのは、変わらないんだなぁと実感。

 また医師として、患者さんに対する色々な思いも書かれていました。
 特にそうだなぁと思ったのは、『お見舞いに誰も来ない患者さんが一番可哀想だ』という一文でした。
 患者さんの人生にどういう経緯があったにせよ、誰も家族も知人もこないというのは、寂しいものです。
 そうならないような人生を私も送らねば、と思いました。
 
 31歳は、やっぱり若い・・・。
 まだまだこれからしたいことがあっただろうに、と。

 是非、医療従事者の方々には読んで頂きたいと思います。
 わかっていても、もう限界だとわかっていても、人はやっぱり『生きたい』んです。
 ぎりぎりまで希望を持ちたいのです。

 
 私は井村和清氏には勿論会ったこともありません。
 けれど、父・井村和夫医師には会った事があります。
 実は、医院を開業されており、中学の頃何度かお世話になったからです。
 そのときに、多分、家族から『井村先生の息子さんの本だよ』とこの本を見せてもらったのだと思います。
 人として医師として深い情を持っていらした井村和清氏の父である井村先生は、町の人たちからとてもとても好かれていて、信頼されていました。
 年寄りたちは、具合が悪くなったら『井村先生のところへいけば、直ぐに治る!』と。
 家庭医として長く開業なさっておられました。
 最後は耳が遠くなっていても、看護婦さんと筆談(笑)して、患者さんをみておられたそうです。 
 井村先生は、数年前お亡くなりになりました。
 医院のあった場所は更地になり、今は駐車場です。
 町の中は、少し寂しくなりました・・・。 
 
コメント (2)
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