上郊小・・お邪魔してきました。エコムーブカーを呼んでの環境学習・・・
片岡小PTAフェスタで何が出来るのか実践体験を踏まえて学んできました。
(実行委員長と事業責任者(4学年の役員さん)と本部役員の担当者総勢6名で)
このお話は、いずれフェスタ話シリーズの時に・・・・
11月18日の本番に向けて7つのブース(プログラム)がある中で・・
19日、23日、25日、26日、26日と・・それぞれが実践現場や打ち合わせに・・
この実践体験や講師の先生或いは担当者の方々との打ち合わせの過程・・・
貴重な体験として・・・それぞれの皆さんの財産になって欲しいと思います。
さて・・
昨日のブログの冒頭に書いた観音山公園(カッパピア跡地)再整備検討委員会・・
10月23日付け上毛新聞18面(社会面)に写真入で大きく載りました。
なのでちょっと続きを・・・
(ハハハ・・・・・写真の右から二人目が・・・そう私です。 判った方、凄い!!)
写真の場所は・・・カッパピアの一番奥のところの流れるプールがあった場所です。
左側に見える橋のアーチ上の物が・・プールの上を横断する橋で・・
その奥にあった・・・ステージはもう跡形もなく・・・解体・・土がむき出しに・・
私達が立っている場所は、更衣室があった場所です。・・・途中の遊具もほとんどなく
思い出のカッパピア・・・頭に浮かぶ施設はその様相を丸っきり変えていました。
この検討委員会に集まった19名の方々・・・
委嘱状の後の自己紹介のとき・・・それぞのカッパピアへの思いを語ってくださいと・・
19名皆さんが・・・それぞれの思いを・・・また将来への思いを語り・・・
この先・・活発な議論・・真剣な思いのぶつかり合いが予感されました・・・
委員長に選ばれた大宮先生のコーディネートも手馴れたものでした。
この施設は、昭和27年に「新日本高崎子ども博覧会」が開催され、その施設を使って市営で観音山遊園地として運営を・・
昭和37年にフェアリーランド社が特許事業の許可を得て施設の整備・運営を行ってきた。
「カッパピア」は、昭和44年に整備された流れるプールの愛称としてつけられたと・・。
私の小学生時代は・・まさにカッパピアの誕生でもあり・・カッパピア世代でした。
写生大会は4月29日・・・この日はカッパピアで絵を書いて出来た人から遊具にのれる。
絵を描くのが目的か?・・遊具にのりにいくのかが目的か??・・もちろん後者??(笑)
夏になれば・・・流れるプールに・・・ちょっと背伸びして潜水用プールに飛び込む・・
途中のお化け屋敷は・・本当に度胸試し??・・・等々たくさんの思い出がそこに・・・
白衣大観音・・・そこに連なる参道商店街・・・
ちょっと歩けば染料植物園、ひびき橋、洞窟観音・・・等々観光資源も豊富で・・
この観音山公園(163.6ha)が総合公園として市民の集いの場・憩いの場としての機能。
そして・・・観光資源としてたくさんの方が訪れて楽しめるそんな“場”になって欲しいと思います。
私達が子どもの頃の様に・・ここに行けば・・ここに行きたい・・・って思える場に
親子で何か触れ合える場になって欲しいと思います・・・
自然とのふれあいの場面、生の体験の場面、そういう機会が身近では減ってきているのでは・・・
(自然そのものもそうですが・・・親と子で出かけるそういう機会そのものも・・)
“生きる力”というのが・・・“こころ”の部分の生きる力をつけることも大切です・・
そして
“からだ”・・いわゆる体力や体験・・体感・・そこから入る“生きる力”も・・・
この広大な土地なら何でも出来る気がします・・可能性は大きい・・
今後は、この検討委員会でたくさんの夢が語られていくことを期待します。
また、自身もこの高崎の未来のを託す子ども達が・・・大人達が・・みんなが・・
一緒に成長していく・・・そんな“場”創りのために関わって行きたいです。
夢や希望を形にする・・当初日本に発信したこの地から・・もう一度発信を!!
片岡小PTAフェスタで何が出来るのか実践体験を踏まえて学んできました。
(実行委員長と事業責任者(4学年の役員さん)と本部役員の担当者総勢6名で)
このお話は、いずれフェスタ話シリーズの時に・・・・
11月18日の本番に向けて7つのブース(プログラム)がある中で・・
19日、23日、25日、26日、26日と・・それぞれが実践現場や打ち合わせに・・
この実践体験や講師の先生或いは担当者の方々との打ち合わせの過程・・・
貴重な体験として・・・それぞれの皆さんの財産になって欲しいと思います。
さて・・
昨日のブログの冒頭に書いた観音山公園(カッパピア跡地)再整備検討委員会・・
10月23日付け上毛新聞18面(社会面)に写真入で大きく載りました。
なのでちょっと続きを・・・
(ハハハ・・・・・写真の右から二人目が・・・そう私です。 判った方、凄い!!)
写真の場所は・・・カッパピアの一番奥のところの流れるプールがあった場所です。
左側に見える橋のアーチ上の物が・・プールの上を横断する橋で・・
その奥にあった・・・ステージはもう跡形もなく・・・解体・・土がむき出しに・・
私達が立っている場所は、更衣室があった場所です。・・・途中の遊具もほとんどなく
思い出のカッパピア・・・頭に浮かぶ施設はその様相を丸っきり変えていました。
この検討委員会に集まった19名の方々・・・
委嘱状の後の自己紹介のとき・・・それぞのカッパピアへの思いを語ってくださいと・・
19名皆さんが・・・それぞれの思いを・・・また将来への思いを語り・・・
この先・・活発な議論・・真剣な思いのぶつかり合いが予感されました・・・
委員長に選ばれた大宮先生のコーディネートも手馴れたものでした。
この施設は、昭和27年に「新日本高崎子ども博覧会」が開催され、その施設を使って市営で観音山遊園地として運営を・・
昭和37年にフェアリーランド社が特許事業の許可を得て施設の整備・運営を行ってきた。
「カッパピア」は、昭和44年に整備された流れるプールの愛称としてつけられたと・・。
私の小学生時代は・・まさにカッパピアの誕生でもあり・・カッパピア世代でした。
写生大会は4月29日・・・この日はカッパピアで絵を書いて出来た人から遊具にのれる。
絵を描くのが目的か?・・遊具にのりにいくのかが目的か??・・もちろん後者??(笑)
夏になれば・・・流れるプールに・・・ちょっと背伸びして潜水用プールに飛び込む・・
途中のお化け屋敷は・・本当に度胸試し??・・・等々たくさんの思い出がそこに・・・
白衣大観音・・・そこに連なる参道商店街・・・
ちょっと歩けば染料植物園、ひびき橋、洞窟観音・・・等々観光資源も豊富で・・
この観音山公園(163.6ha)が総合公園として市民の集いの場・憩いの場としての機能。
そして・・・観光資源としてたくさんの方が訪れて楽しめるそんな“場”になって欲しいと思います。
私達が子どもの頃の様に・・ここに行けば・・ここに行きたい・・・って思える場に
親子で何か触れ合える場になって欲しいと思います・・・
自然とのふれあいの場面、生の体験の場面、そういう機会が身近では減ってきているのでは・・・
(自然そのものもそうですが・・・親と子で出かけるそういう機会そのものも・・)
“生きる力”というのが・・・“こころ”の部分の生きる力をつけることも大切です・・
そして
“からだ”・・いわゆる体力や体験・・体感・・そこから入る“生きる力”も・・・
この広大な土地なら何でも出来る気がします・・可能性は大きい・・
今後は、この検討委員会でたくさんの夢が語られていくことを期待します。
また、自身もこの高崎の未来のを託す子ども達が・・・大人達が・・みんなが・・
一緒に成長していく・・・そんな“場”創りのために関わって行きたいです。
夢や希望を形にする・・当初日本に発信したこの地から・・もう一度発信を!!