数コラム(№36)2006年7月
1,200頭
2004年、対馬のイノシシ捕獲数
長崎新聞web版、2005年7月20日によると、対馬ではイノシシによる農作物被害が深刻化しており、2004年度のイノシシの捕獲頭数は1,200頭となり、前年の4倍にもなっているが、被害は減少していないという。
さて、このイノシシの始め、元祖はなんだろう。8万頭余を駆除して全滅させたはずの対馬だが、柳田国男『孤猿随筆』中の「対州の猪」によると、殲滅作戦から数10年後にできた「津島記事」という書に「此島南端の豆酘郷(つつごう)の條には、産物として野猪を挙げ、稀々には今でも居ると書いてある」とのこと。柳田によると、対馬にはシゲという大小数多くの霊地があり、凡俗の立入りを禁じていた。今でも残っているほどの永年の崇敬の場所だったので、そういったところでは、畏れて見落しがあったのではないか、としている。
また、イノシシはあのかっこうでも、案外泳ぎはうまいらしく、まれには対馬に漂着することがあるらしいという。「対州の猪」には2、3そういった例を紹介し、「今度(柳田が訪れる半月前のこと)の猪は朝鮮から、渡つて来たらうと土地の者は謂つて」いると記す。
1,200頭
2004年、対馬のイノシシ捕獲数
長崎新聞web版、2005年7月20日によると、対馬ではイノシシによる農作物被害が深刻化しており、2004年度のイノシシの捕獲頭数は1,200頭となり、前年の4倍にもなっているが、被害は減少していないという。
さて、このイノシシの始め、元祖はなんだろう。8万頭余を駆除して全滅させたはずの対馬だが、柳田国男『孤猿随筆』中の「対州の猪」によると、殲滅作戦から数10年後にできた「津島記事」という書に「此島南端の豆酘郷(つつごう)の條には、産物として野猪を挙げ、稀々には今でも居ると書いてある」とのこと。柳田によると、対馬にはシゲという大小数多くの霊地があり、凡俗の立入りを禁じていた。今でも残っているほどの永年の崇敬の場所だったので、そういったところでは、畏れて見落しがあったのではないか、としている。
また、イノシシはあのかっこうでも、案外泳ぎはうまいらしく、まれには対馬に漂着することがあるらしいという。「対州の猪」には2、3そういった例を紹介し、「今度(柳田が訪れる半月前のこと)の猪は朝鮮から、渡つて来たらうと土地の者は謂つて」いると記す。
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